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平成18年7月27日

科学技術振興機構(JST)
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国立大学法人東京工業大学
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生体内の硫化反応における新しい酵素触媒メカニズムを解明

(酵素を用いた触媒工学や合成化学の産業応用の道を開く)

 JST(理事長 沖村憲樹)と東京工業大学(学長 相澤益男)は、生体内の硫化反応における新しい酵素触媒メカニズムを世界で初めて解明しました。硫黄原子は、大腸菌からヒトにいたるあらゆる生物の全ての生体分子に含まれ、様々な形で重要な生命現象を担っています。特に、核酸に含まれる硫黄原子は、分子の目印として働き、特定の核酸やタンパク質と相互作用することを可能にします。しかし、硫黄原子は火薬などに代表されるように極めて化学反応性が高いのですが、生体内の酵素が硫黄原子と水を反応させることなく、生体分子の特定部位と結合させるメカニズムは長い間謎でした。
 本研究では、RNAとRNAに硫黄を結合させる酵素の複合体に着目し、化学反応過程に沿った3種類の複合体の立体構造を、X線結晶構造解析によって決定しました。そして、酵素とRNAはお互いに形を変えながら、水分子を排除するような反応器をつくり、反応性の高い硫黄原子を安定な環境で、RNAの定位置に結合させていることが分かりました。このような反応を人工的に行うことは大変困難なのですが、生体内で酵素と基質(RNA)の構造がダイナミックに変化することで、巧妙に反応を進めている様子が世界で初めて明らかにされました。今後、このような酵素触媒のメカニズムを活用することにより、酵素触媒を用いた触媒工学や合成化学の分野での産業応用へと導くことができると期待されます。
 本成果は、戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけタイプ)「生体分子の形と機能」領域「構造ゲノム科学およびプロテオミクスに基づく新規の遺伝暗号翻訳装置の同定と機能発現メカニズムの解明」の研究者・濡木理(東京工業大学大学院生命理工学研究科教授)によるもので、英国科学雑誌「Nature」に2006年7月27日(英国時間)付で誌面に掲載されます。

<研究の背景>

 硫黄原子は、大腸菌からヒトにいたるあらゆる生物で、タンパク質、核酸、脂質、糖、補酵素など全ての生体分子に含まれ、様々な形で重要な生命現象を担っています。例えば、硫黄原子は電子数が多いため、酸化還元反応注1求核置換反応注2などの化学反応を起こします。生物の呼吸や植物の光合成では、鉄イオウタンパク質がこれらの化学反応を利用することで、電子の流れを引き起こし、エネルギーを産生します。また、補酵素や補欠分子族に含まれる硫黄原子は、酵素触媒を助ける働きをします。さらに、核酸に含まれる硫黄原子は、分子の目印として働いて、他の核酸やタンパク質と特異的に相互作用することを可能にします。
 しかし、硫黄原子は極めて化学反応性が高いことでも知られております。身近なところでは、硫黄はマッチや火薬の燃焼成分であり、また活発な火山活動も硫黄の化学反応性を反映しています。したがって、生体内の酵素がどのように、この反応性の高い硫黄原子を周囲の水分子等と反応させることなく、生体分子の決まった部位に正確に結合させることができるのか、そのメカニズムは長い間謎でした。

<研究の経緯および成果の概要>

 タンパク質合成にあたり、転移RNA(tRNA)注3が特定のアミノ酸と結合し、その結合体はタンパク質合成の場であるリボソームまで運ばれます。このプロセスにおいて、tRNA中に存在する硫黄原子を持つチオ(SH)基注4が目印として働くことで、遺伝暗号を正確に認識することができます。本研究では、1 基質であるRNAと、2 RNAに硫黄を結合させる酵素の複合体の立体構造に注目しました。そして、化学反応過程に沿った3段階の立体構造を、X線結晶構造解析によって決定することで、化学反応の進行するありさまをムービーのように示すことができました。その結果、それぞれの化学反応段階において、RNAと酵素はお互いに形を変えながら、水分子を排除するような反応器をつくり、反応性の高い硫黄原子を安定な環境で、RNAの定位置に結合させていることが分かりました。
 本研究で注目したのは、tRNA上にある核酸の一種であるウリジン(U)注5です。このウリジンにおいて、2位のカルボニル基が硫化された2-チオウリジン(s2U)と呼ばれるものが分子の目印として働きます。このs2UはtRNAの遺伝暗号部位であるアンチコドン注6、すなわち遺伝暗号のコドンと相補的な関係にある3塩基の配列の1文字目に存在しています。そして、この中で硫黄原子を持つチオ基が分子の目印として働くことで、遺伝暗号であるコドンを正確に認識し、特定のアミノ酸結合酵素を認識することができるようになります。
 チオ基をtRNAへ導入するのは、酵素の一つであるMnmAが行います。本研究では、1 グルタミン酸tRNA(基質であるRNA)と2 チオ基をtRNAへ導入する酵素MnmA(RNAに硫黄を結合させる酵素)の複合体に焦点を当てました。そして、化学反応段階が異なる3種類の複合体の構造を解析することで、チオ化反応の3つのスナップショットを撮ることに成功しました。まず、この化学反応段階が異なる3種類の構造は、それぞれ、
  (A)tRNAの初期結合段階
  (B)前反応段階
  (C)アデニル化中間状態
であることをつきとめました(図1)。これらの3つの段階を通じて、酵素MnmAの活性部位付近にあるらせん構造(αヘリックス)が構造変化して、平面構造(βシート)とループ構造を形成することで、閉じられた複合体になります。そして、外に突き出た核酸(U34)を活性ポケットの奥に押し込んで、反応中間体(アデニル化中間体)となります(図1)。
 また、触媒残基の2つのシステイン残基(側鎖にチオール基を持つ)は、(A)と(B)の段階において、分子内ジスルフィド結合注7(チオ基2分子が共有結合によりS-Sを形成する)を形成し、不活化しています。しかし、(C)の最終段階において、分子内ジスルフィド結合が開裂しスルフヒドリル基注4となることで、還元活性型となります。そして、199番のシステイン残基が反応性の高い硫黄原子を受け取ることで、ウリジン(U34)のカルボニル炭素を求核置換攻撃します(図1)。このようなプロセスを通じて、ウリジンの適切な部位が正確にチオ化修飾されるのです。
 さらに、興味深いことに、αへリックスから構造変化したβシートとループ構造は、酵素の活性部位に蓋をして一種の反応器を形成します。そして、この反応器により、水分子等の侵入を妨げ、反応性の高い硫黄を正確にウリジンの定位置に結合させているのです(図2)。もし、人工的に、2-チオウリジン(s2U)を有機合成する場合には、反応性の高い官能基(水酸基やカルボニル基)を不活性にするため、保護基の付加やその保護を外す脱保護など、何段階もの反応ステップが必要となります。しかし、生体内の酵素は、化学反応の場を巧妙に形成することによって、この困難な化学反応を成し遂げているのです。

<今後の展開>

 本研究は酵素による化学反応触媒の新たなメカニズムを提唱するものであり、従来の常識であった鍵と鍵穴という酵素反応の一般的な概念を覆し、教科書の内容を塗り替えることになると考えられます。また、酵素触媒反応のプロセスを原子分解能で明らかにしたことで、化学反応の動態に新たな構造的知見をもたらし、類似の化学反応を予測するための分子シミュレーションの確度を飛躍的に高めることに貢献し、今後のコンピューターサイエンスに対しても、多大な影響を与えるものと思われます。また、本酵素の触媒機構を模倣して、反応性の高い原子を分子内の特定位置に結合させるタイプの化学反応を遂行させることにより、触媒工学や合成化学の分野で産業応用への道を開くことができると期待されます。


<用語解説>
図1 tRNAの硫化の反応機構
図2 tRNAの硫化反応機構の模式図

<論文名>

Nature
"Snapshots of tRNA sulfuration via an adenylated intermediate"
(アデニル化中間体を介したtRNA硫化反応のスナップショット)

<研究領域等>

この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下のとおりです。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)
研究領域:「生体分子の形と機能」研究領域 (研究総括:郷 信広)
研究課題名:構造ゲノム科学およびプロテオミクスに基づく新規の遺伝暗号翻訳装置の同定と機能発現メカニズムの解明
代表研究者:濡木 理
研究実施場所:東京工業大学 大学院生命理工学研究科 生命情報専攻
研究実施期間:平成14年11月~平成18年3月

<お問い合わせ先>

濡木 理 (ヌレキ オサム)
 国立大学法人 東京工業大学 大学院生命理工学研究科 生命情報専攻
 〒226-8501 神奈川県横浜市緑区長津田町4259
 TEL: 045-924-5711  FAX: 045-924-5831
 E-mail:

白木澤 佳子(シロキザワ ヨシコ)
 独立行政法人 科学技術振興機構
 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第二課
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4丁目1番8号
 TEL:048-226-5641  FAX:048-226-2144
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