生物時計は、ほとんど全ての生物にみられ、生命が地球上で生きていくための基礎機構である。研究チームは、昨年秋までに、シアノバクテリアの時計蛋白質KaiCのリン酸化サイクルが時を刻んでいることを明らかにしていたが、どのようにそのサイクルが生じるかについては不明だった。これまでの常識では細胞内の複雑な仕組みが必要だと考えられていたが、今回、3つの時計蛋白質を試験管内で混合するだけで、リン酸化サイクルを発生させることに成功し、生物時計の本体を3つの蛋白質にまで絞り込んだ。本発見は、ヒトをも含めた高等生物の時計研究にも非常に大きなインパクトを与えるものであり、この試験管内システムにより、生物が時間を測定する原理について、最終的な解答を得る道が拓けた。
本成果はJST戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)の研究テーマ「光合成生物の生物時計:その分子機構と環境適応」の研究代表者・近藤孝男(名古屋大学大学院理学研究科教授)および、チームメンバー・中嶋正人(JST研究員)らによって得られたもので、4月15日付(米国東部時間、日本では4月16日)の米国科学誌「サイエンス」に発表される。なお本研究は、科学研究費補助金(学術創成研究費)「概日時計により統合されるシアノバクテリアの細胞システムの時間的統合」および、名古屋大学21世紀COEプログラム「システム生命科学:分子シグナル系の統合」の研究の一環としても進められているものである。
背景 -生物時計の転写・翻訳モデル
生物時計はほとんどすべての生物にみられ、生命が地球上で生きていくための基礎機構であるが、そのメカニズムは永らく謎であった。しかし1990年から研究は急速に展開し多くの生物でそれぞれの時計遺伝子(生物時計の発振に不可欠な遺伝子群)が発見され、時計遺伝子から作られる時計蛋白質がそれ自身の遺伝子の発現を抑制するというフィードバック制御が、生物が時間を測定する原理とされてきた(転写・翻訳モデル)。我々もシアノバクテリア*1)でkai時計遺伝子*2)を発見し、その発現に顕著なフィードバック制御を見いだし、このモデルが該当すると考えてきた。
昨年秋の発見 <暗期中のKaiCリン酸化サイクル>
しかし昨年我々は遺伝子発現が強く抑制される連続暗条件下で,シアノバクテリアの時計遺伝子kaiCのmRNAは直ちになくなってしまうにもかかわらず,時計蛋白質KaiCのリン酸化*3)が約1日周期の顕著なリズムを継続することを発見し、従来の転写・翻訳モデルを否定し、時計蛋白質間の相互作用基づくKaiCのリン酸化サイクルが生物時計の発振メカニズムあることを示した。この成果は生物時計の原理についてこれまで考えを一変する重要なものである。
今回の成果 <試験管内での生物時計>
では、どのようにしてKaiCのリン酸化サイクルが成立するのか?このためには細胞内の多くの要素や細胞内の環境が不可欠で、それらの共同作業で24時間振動が発生すると想定するのが普通であり、我々もそのように考えていた(細胞時計ドグマ)。シアノバクテリアは核を持たない原核生物だが、細胞内は決して単純ではない。1000以上の蛋白質とDNA, RNA、多くの低分子が存在し、細胞内には生体膜が複雑に入り組んでいる。事実、これまで多くの生物での試みにもかかわらず、細胞外で生物時計を観測できた例は知られていない。しかし、驚くべきことに、今回我々はこのサイクルが最小限の構成で、すなわち3つのKai蛋白質とATPを試験管内で混ぜれば、可能であることを発見した。さらにこの構成でも、温度が変わっても時計の早さが変化しないという生物時計の最も重要な性質は失われていなかった。また周期の変わった突然変異体の蛋白質を使うと、試験管内の時計も突然変異体の周期に従って変化した。これらの事実は我々が作った<試験管内での生物時計>は、実際に細胞内で機能していることを示すものである。
今回の<試験管内での生物時計>は言うまでもなく世界初のものであり、時間を計るという複雑なメカニズムが3つの蛋白質に組み込まれていることを証明したものである。この発見は生物時計研究にとってコペルニクス的転回と言うべきもので、ヒトをも含めた高等生物の時計研究にも非常に大きなインパクトを与えるものである。<図1>
今後の展開
今回の成果でいわば生物時計の本質は「裸」になったといえよう。我々は、機械式時計の振り子に相当するものがこのKaiC蛋白質のリン酸化であること解明した。もちろん、振り子が本体であることが判っても、その原理(等時性)がすぐに判るわけではない。このためにはその運動を詳細に調べ、運動方程式をとかなければならない。我々はこの作業をKaiC蛋白質のリン酸化サイクルで、既に始めているが、それはまさにわくわくする作業である。さらに、このシステムを構造生物学、蛋白質物理化学的方法で解析すれば、生物が時間を測定する原理について最終的な解答を得ることが期待できる。<図2>
もう一つの重要な課題は、もう一度細胞にもどり、生きた細胞のなかでKaiC蛋白質のリン酸化がどのように遺伝子発現を制御し、生命の活動を地球の環境変化に適合させているかを解明することである。生きた細胞のなかではKaiC蛋白質はリズミックに合成分解されており、KaiC蛋白質のリン酸化はより動的に機能しており、生物時計の同調と長期間の安定性の向上を実現している筈である。これは機械時計で言えば、脱進器(振り子の動きを歯車に伝えると同時にゼンマイのエネルギーを振り子に与える装置)に相当するものであるが、この理解ももう一つの重要な課題である。<図3>
別の興味深い点は、シアノバクテリアで見つかった生物時計の原理がヒトも含めた高等生物の生物時計にも当てはまるかという問題である。これは現在、予想することは困難であるが、今後多くの研究者によって、検討が進むと思われる。もし当てはまれば、生物時計(体内時計)の応用に道が拓けるだろう。
さらに今回の発見は情報素子としての蛋白質の新たな機能を理解することにもつながることも重要な点である。残念ながら目で見える針は備えていないが、今回のKaiCリン酸化サイクルは、おそらく懐中時計として使える。即ちこの3つの蛋白質はごくわずかなエネルギーで時間情報を計測し蓄えることが出来る。これはこれまで全く注目されてこなかった蛋白質の新しい機能であるといえよう。この機能の解明があらたな蛋白質のナノシステムデザインへの応用の可能性を持っていることを指摘しておきたい。
この研究テーマを支援した競争的資金の研究領域、研究期間は以下の通りである。
JST戦略的創造研究推進事業
研究領域: | 植物の機能と制御<研究総括:鈴木昭憲、秋田県立大学 学長> |
研究期間: | 平成12年度~平成17年度 |
なお、本研究は、科学研究費補助金(学術創成研究費)「概日時計により統合されるシアノバクテリアの細胞システムの時間的統合」(研究代表者:近藤孝男、名古屋大学大学院 教授)および、名古屋大学21世紀COEプログラム「システム生命科学:分子シグナル系の統合」(拠点リーダー:町田泰則、名古屋大学大学院 教授)の研究の一環としても進められているものである。
用語説明 |
図1.世界初の生物時計の再構成 |
図2.3つ蛋白質による生物時計のペースメーカー(振り子) |
図3.KaiCリン酸サイクルがゲノムワイドな転写を制御する |
本件問い合わせ先:
近藤 孝男
名古屋大学大学院理学研究科
〒464-8602 愛知県名古屋市千種区不老町1
Tel: 052-789-2498
FAX: 052-789-2963
E-mail:
佐藤 雅裕(さとう まさひろ)
独立行政法人科学技術振興機構 研究推進部 研究第一課
〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
Tel:048-226-5635
Fax:048-226-1164
E-mail: