補 足 説 明


(研究の背景)

 多様な神経細胞(ニュ-ロン)からできている脳が計算機としての機能を果たすためにその神経回路は正確につくられなければならない。そのためには一つ一つの神経細胞が自分自身の個性に応じて正しい方向に神経繊維(軸索)を伸ばすことがまず必要である。伸びていく神経の先端には成長円錐という手の指の様な構造があり、これが活発に動き回って周囲を探って伸びるべき方向を見つけることが分かっている。そのメカニズムとしては、なにかシグナルとなる分子が周りに濃度勾配をもって分布しており、成長円錐はその勾配を認識して方向性を知るという「化学走性仮説」が有力である。近年ネトリンと呼ばれる化学誘引性を持つ蛋白質が、胚の正中線付近から分泌されることが発見され、この仮説を裏づける分子として注目を浴びている。ネトリンと結合する分子としてDCC/フラズルドが同定されており、これらは成長円錐で機能しネトリンの濃度勾配を読み取っていると考えられている。しかし生体内でのネトリンの濃度勾配が観察された例はなく、ネトリンの濃度勾配が軸索ガイドを行うモデルは想像上のものにすぎなかった。

 これに対して、科学技術振興事業団研究員の平本正輝博士と国立遺伝学研究所の堀田凱樹所長、広海 健教授 とは、この考えは正しくなく、ネトリンとフラズルドは全く新しい作用様式で軸索走行誘導に寄与していることを発見して学術雑誌ネーチャー8月24日号に論文を発表した。

(具体的な実験結果・考察)

 平本博士らはネトリンは合成されたパターンと全く違うパターンに分布する事に気づいた。平本博士らは解析を進め、ネトリンの分布は拡散で決まるのではなく、フラズルドと結合して特定のパターンで分布することを示した。フラズルド分子には特定の場所に集まる能力があり、これにより不安定な拡散に左右されない正確なネトリンの分布パターンが形成される。このパターンを基に dMP2の軸索が正しく誘導される。すなわちネトリン受容体として同定されたフラズルドは、ネトリンの分布を決定するという役割を担っていたのである。
 ショウジョウバエ腹部神経系には前後方向に軸索を伸ばす dMP2 と呼ばれる神経がある。dMP2はフラズルドに配置されたネトリンに沿って軸索を伸ばす。正常胚においてこの神経はフラズルドを発現していない。にもかかわらずフラズルドが存在しない突然変異体ではdMP2は誤った方向に伸びてしまう。これは、フラズルドはdMP2の成長円錐のネトリンセンサーとしてではなく、dMP2のまわりにネトリンを配置するために必要だからである。
 この研究によって、分泌性シグナル分子は合成された場所およびその近傍で働くとは限らず、離れた特定の領域に再配置されてそこで機能するという機構があるという例が初めて示された。

(今回の成果のポイント)
  1. 一般的には組織内の細胞に現在地を知らせる分泌性シグナル分子は、合成された場所とその近傍をマークすると考えられている。本研究の重要なポイントは、結合分子の働きで合成場所とは全く違う正確なパターンに再配置されるという新しい「位置情報メカニズム」を発見したことである。
  2. 受容体はリガンドのシグナルを細胞内に伝えるために、リガンドと結合する。フラズルドはリガンドとの結合をこの様なシグナル伝達の他に、リガンド分布を再編成するために利用している。すなわち受容体にはリガンドからのシグナルを細胞内に伝達するだけでなく、分布を再編成して他の受容体に対する位置情報を形成する役割も担っている例が初めて示された。
  3. dMP2では、フラズルドが発現していない。また、ショウジョウバエのゲノム解析はほぼ終了しているが、フラズルド類似の遺伝子は見つかっていない。従って、ネトリンを認識する未発見の受容体分子が存在する事も示したことになる。
(今後の展開)

 脊椎動物おいてもフラズルドホモログ DCC は脊髄腹側の両脇に局在するが、ここはショウジョウバエ腹部神経節においてネトリンとフラズルドが蓄積する領域に相当する。ショウジョウバエではここにおいて dMP2 が後方に軸索伸長方向を変えるが、脊椎動物でもまたDCC が集まる領域で横行神経が縦方向に方向転換する。この事からネトリンとフラズルド/DCC は神経系の構造とそれを作る過程でショウジョウバエでもヒトでも同じように働いている可能性がある。他の軸索誘導シグナル分子としてスリット、セマフォリンなどが知られているが、どの様に位置情報を形成するかはまだ分かっていない。本研究で明らかになった「受容体によるリガンド分布の再編成機構」は正確でかつ安定な位置情報を形成できるものであり、これらを説明できる有力なモデルである。


This page updated on August 24, 2000

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