研究課題別研究評価

研究課題名:見えないものを見る仕組み

研究者名: 杉田 陽一


研究のねらい:
 プリズム等によって視野の左右を逆転させると、歩くことはおろか、目標に向かって手を伸ばすことさえ極めて困難になる。ところが、数週間に渡って装着し続けると、殆ど支障なく日常生活が可能になるという。この逆転視への順応に視覚系の機能的変化が伴うのか否かについて、長い間論争が続いてきた。ニホンザルにプリズムを装着させて視野の左右を逆転し、行動が適応的になったのを確認した後に第一次視覚野の細胞活動を記録したところ、反対側の視野に呈示した刺激のみならず同側の視野に呈示した刺激に対しても応答する細胞が確認された。このような機能変化が、どのように主観的な知覚の変化と対応しているのかという問題および機能変化のメカニズムを明らかにする目的で研究を行った。
研究結果及び自己評価:
 変換視野への順応に伴って機能変化を示した細胞は、刺激の方位や運動方向には全く選択性を示さず、刺激光の点滅に対して良く応答した。これは、機能変化を示す細胞が、後頭-頭頂を結ぶ神経連絡(空間視系)ではなく、後頭-側頭を結ぶ神経連絡(形態視系)に属していることを示唆している。一方、ヒトを被験者とした心理物理的研究からは、順応に伴って両眼立体視が適応的に変化することが報告されている。この矛盾する実験結果を整理するために、奥行きの変化に伴って応答特性を大きく変化させる細胞を捜し出し、この細胞が変換視野への順応に伴った機能変化を示すか否かを検討することにした。
 日常生活では、手前にある障害物によって、見ようとする物体の一部が隠されることが頻繁である。たとえば、茂みの背後の動物、電柱の後ろの小さな家、窓枠の後ろに見える自動車等々。それらの物体の一部分は見えないにも関わらず、我々は見えない部分が「在る」ことを信じて疑わない。そして、見えている断片を上手につなぎ合わせて全体の形状を認識する。このように、「見る」ことは、網膜像を正確に解釈するのではなく、眼に写ったものから本質を推察する行為に他ならない。このような推論は、脳の何処で行われているのだろうか。パソコン画面上に一本の線分と障害物を呈示した。左右の眼から見える障害物の位置をそれぞれ少しだけずらすと、いわゆる両眼立体視が可能になり、障害物の見えの奥行きが変化する。この両眼立体視を利用して、障害物が垂直な線分の手前に在るように見せると、線分は障害物の背後で左右に動いているように見える。しかし、逆に障害物が線分より遠くに在るように見せると、もはや障害物が線分の一部を覆っているようには見えず、垂直方向に並んだ2本の短い線分が障害物の手前で左右に動いているように見える。
 このような絵をサルに見せながら、第一次視覚野の細胞の応答を記録した。第一次視覚野は、後頭部に位置し、網膜からの視覚情報が最初に到達する大脳皮質の領域である。第一次視覚野の細胞の多くは、特定の傾きの線分あるいは輪郭線に対して特異的に応答する。これらの細胞の中から、線分に隙間がある時には応答を停止し、隙間の部分を障害物で隠すと再び活発に応答する細胞があることを確認した。この細胞は、障害物だけ呈示しても全く応答しないことから、障害物の後ろにある線分に対して応答していると考えられる。図はその結果を示したもので、この結果は我々の主観的な知覚と見事に対応している。
 障害物に隠されていて実際には見えない輪郭を「在る」と知覚することは、認知的輪郭線と呼ばれ、視覚情報処理が相当に進んだ段階ではじめて達成されると考えられてきた。ところが、逐次処理の最初の段階で、既に見えない部分の推測が行われていることが明らかになったのである。
図 第一次視覚野の細胞活動 この細胞は線分が左から右に動く時に強く応答した。しかし、線分の中央に隙間を設けると応答は著しく減衰した。この時、隙間を覆うように障害物を置くと、再び強く応答するようになった。ところが、障害物だけを単独で呈示しても全く応答しない。
それぞれの図の上は、呈示した視覚刺激の模式図を表している。下の部分は応答のヒストグラムである。ヒストグラムの下の左側のアンダーラインは線分が左から右に動いている時間、右側のアンダーラインは逆に右から左に動いている時間を示している。

 さきがけ21で設定した目的は、第一次視覚野の細胞の機能変化が、どのように主観的な知覚の変化と対応しているのかという問題および機能変化のメカニズムを明らかにすることであった。ところが、奥行きの変化に伴って応答特性を大きく変化させる細胞を捜し出すことには成功したものの、この細胞が変換視野への順応に伴ってどのように機能変化するかという問題、あるいは機能変化のメカニズムについては、全く手を付けないまま終了してしまった。
領域総括の見解:
 障害物に隠されて実際には見えない輪郭を「在る」と知覚する現象が、第一次視覚野で生じている可能性を、サルを使っての実験で示した。認知的輪郭線と呼ばれるこの現象は、従来、視覚情報処理の高次の段階で生じていると考えられていたが、初期の段階で生じていることになり、視覚情報処理系の再考をうながす発見といえる。本研究者の当初からの研究の目標は、第一次視覚野細胞の機能変化が、どのように主観的知覚の変化に対応しているか、機能変化のメカニズムはどのようなものかを明らかにすることであった。それは手付かずになっているが、せっかくの今回の発見から、どのような戦略によって再考を行えばよいのか、そのことについての提言が欲しい。
主な論文等:
Y. Sugita (1999) Grouping of image fragments in primary visual cortex. Nature 401, 269-272
Y. Sugita (1999) Global plasticity in adult visual cortex. In: C. Shaw &J. McEachern (eds.) Toward a Theory of Neuroplasticity. Tayler & Francis Publishing, in press.
杉田陽一(1999)第一次感覚野の情報統合、脳の科学(印刷中)

This page updated on March 30, 2000

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