研究のねらい: |
脳の分子生物学的研究から「脳機能」の基盤となる多くの遺伝子が単離され、神経細胞、神経回路、個体レベルで、遺伝子機能と脳機能の関係が少しずつ理解されてきた。しかし、脳の生理学的研究からは、脳は特定領域をつかって特徴的な情報表現を行うことが示されている。課題名にある「遺伝子をツールとして」とは、このような脳内表現の中での遺伝子の機能の実際を理解したいということを意味している。もう少し具体的にいうと、脳の特徴的な情報表現を遺伝子発現や遺伝子産物のリアルタイムなダイナミクスによって表現すること、脳領域特異的な遺伝子発現系を構築することを、本研究は目指している。 |
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研究結果及び自己評価: |
「Suspension」法の開発:数多くの遺伝子の中から目的にあった遺伝子を選定するスクリーニングの実験は、大変な労力を要する。私は、調整時の培養脳神経細胞の遺伝子取り込み能力が高いことに着目し、脳のさまざまな領域の神経細胞への簡便な遺伝子導入法「Suspension」法を開発した。この方法は、とにかく簡便な方法なので、中枢神経細胞内での遺伝子産物の動態の解析はもちろんのこと、脳領域特異的な遺伝子の同定のようなスクリーニング的研究に重宝するものと期待している。 |
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脳の生理活性分子 BDNF がシナプス近傍から放出される様子をリアルタイムにイメージングした:近年の電気生理学的研究は、BDNF(脳由来神経栄養因子)が脳機能をコントロールする重要な液性蛋白質であることを示唆しているが、この分子が脳機能を変えるためにどのような場所からどのように放出されるか、についてはよく理解されていなかった。私は、このような
BDNF 分子の動態を観察するために、クラゲ由来の蛍光蛋白質Green Fluorescent
Protein(GFP)をつないだ BDNF 分子(BDNF-GFP)を、上記「Suspension」法を用いて培養海馬神経細胞に導入した。その結果、BDNF-GFP
は、シナプス近傍に集合し(下図)、電気的な刺激を与えるとそこから特異的に放出されることが、リアルタイム共焦点レーザー顕微鏡の観察からわかった。つまり、脳機能の基本骨格であるシナプス近傍から神経活動依存的に放出されることによって、BDNF
はシナプスの機能を積極的にかつ特異的に修飾している可能性が示された。 |
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海馬特異的遺伝子発現カセットの単離に向けての研究と海馬特異的遺伝子発現マウス作成の試み:さきがけ研究21に提案した海馬特異的遺伝子発現カセットの単離に向けて、海馬特異的に発現したマーカー遺伝子
lacZ の周辺約 140kb の遺伝子の単離とその遺伝子の数 kb レベルへの断片化を進め、さらに、上記研究と同様にマーカー遺伝子
GFP あるいは lacZ を各断片につないだ。海馬特異的遺伝子発現カセットになりうる遺伝子断片の検索は、海馬神経細胞に上記「Suspension」法で遺伝子導入することによって進めている。また、海馬特異的遺伝子発現に必要な配列の有無を確認するために、先に単離した
140kb 全体を導入したトランスジェニックマウスの試作をすすめている。 |
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この3年間は、実際の脳内表現の中での遺伝子の機能を理解するための試行錯誤の準備期間であった。「海馬特異的遺伝子発現カセットの単離」においてもまず方法論的に苦心したが、「Suspension」法という脳のさまざまな領域の神経細胞への簡便な遺伝子導入法を見いだせたことから視界がずいぶん良くなった。これを含めた有用な遺伝子ツールのスクリーニングの研究がこれから楽しみである。現在、さまざまな生物種の
DNA 配列を決定すべくゲノムプロジェクトが進行中だが、ポストゲノム研究である脳特異的遺伝子群の検索を想定して「Suspension」法をさらに整備してみたい。
BDNF-GFP をツールとした研究からは、生理活性分子 BDNF が脳機能の基本骨格であるシナプス近傍から活動依存的に放出される様子を観察できた。この研究を神経回路、個体レベルに発展させていくことによって、脳機能に必要なBDNF分子の動態を詳しく観察していきたい。
このような研究を通して、脳機能を表現するような新たな分子的ダイナミクスを見いだしてみたいと思う。
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成熟した海馬神経細胞においてBDNF-GFP は神経突起上のシナプス近傍に集合した。 |
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領域総括の見解: |
遺伝子が記憶や認識とどうつながるか、遺伝子蛋白質が脳の情報をどう表現しているか、そのことへの挑戦を試みた研究である。そのために、神経細胞を痛めずに遺伝子を導入する「サスペンジョン法」を開発した。また、緑色蛍光蛋白質GFPを結合させることによって、脳機能に重要な関わりをもつ液性蛋白質BDNFの、神経細胞上での蓄積・放出の過程を可視化する手法を開発した。「サスペンジョンン法」という毒性の少ない遺伝子導入法の開発は、脳特異的な遺伝子やプロモータなどのスクリーニングに有力な手法を与えたといえる。また、BDNF-GFPを用いたBDNF可視化の技術は、記憶や学習という脳の機能でのBDNFの役割を解明する上での有効な手法といえる。しかし、当初の目標の一つである情報表現に関しては、別の切り口が必要と思われる。いずれ、それへの挑戦も期待したい。 |
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主な論文等: |
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Kojima M. and Suzuki S. A brief method for gene transfer: Suspension
method.Brain Sci. in press. |
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Kojima M., et al. Dendritic clustering and activity-dependent
dynamics of GFP-tagged BDNF in living hippocampal neurons. Submitted. |
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