取材レポート

令和7年度 JST研究公正セミナー ~新作!映像教材「倫理の空白IV」の紹介と解説~報告

令和7年度 JST研究公正セミナーフライヤー
 2025年5月、研究倫理教育映像教材「倫理の空白」シリーズの最新作として、「倫理の空白Ⅳ」が公開されました。本作では、研究活動における「疑わしい研究行為(QRP:Questionable Research Practice)」をテーマに、研究データの取扱いや研究室内のコミュニケーションといった課題を、人文・社会科学編と自然科学編の2編で描いています。どの研究現場でも起こりうる課題をドラマを通じて疑似体験することで、研究者や学生などさまざまな立場から研究倫理を自らの問題として捉える契機となるよう制作されました。

本セミナーでは、この教材の制作監修・協力の先生方を招き、研究現場の倫理的課題やQRPの実態、そして教育現場での映像教材の活用方法について講演いただきました。

*「倫理の空白」シリーズの映像教材はこちら https://www.jst.go.jp/kousei_p/measuretutorial/mt_movie.html

●疑わしい研究実践に陥らないためにー心理学の経験からー

慶應義塾大学 文学部 教授 平石 界 氏
講義資料はこちらからご覧ください。
平石 界 氏
平石 界 氏

 平石氏は、「倫理の空白Ⅳ 研究活動のグレーゾーン2」人文・社会科学編の監修を担当されました。講演では、本映像教材の背景にある、2010年代前半に心理学分野において発生した「再現性危機」についてまず触れられ、心理学の世界でその後、何が議論され、どのような対策がとられてきたのかを紹介されました。

 心理学分野では、2011年に社会心理学領域のトップジャーナルに「ひとには未来予知能力がある」という論文が査読を経て掲載されるという大事件があり、それを発端に一大追試ブームが起こりました。そして、2015年には、心理学の3つの主要雑誌に2008年に掲載された研究を100本ほど追試した結果、「再現率は40%未満」という論文が、Scienceに掲載されました。この「再現性危機」に対し、なぜこのような事態になっているかの原因究明が進められた結果、「多くのデータを取っておき、変数を入れ替えながら手当たり次第に分析をかけ、統計的有意になった組み合わせだけ報告を行う行為(Multiple testing)」や、分析結果から得られた解釈を「最初から予測していた」として仮説をあとから入れ替えて報告するHARKingなどが特に問題視され、研究の健全性について見直されるようになりました。今回制作された「倫理の空白Ⅳ 研究活動のグレーゾーン2」人文・社会科学編は、このMultiple testingからHARKingを行う流れが描かれ、その問題点が指摘される仕立てになっていると平石氏は解説されました。

 次に、映像では敢えて触れなかった点として、これらの問題の本質は「Prediction」と「Postdiction」の混同であり、心理学分野ではこの問題を防ぐ手段として、研究計画をデータ取得前にタイムスタンプ付きで登録する事前登録(Pre-registration)という仕組みが採り入れられるようになったと紹介されました。
PredictionとPostdiction
出典:平石氏 講義資料P.9より
  Prediction : 理論や仮説から導かれた実験前の予測
  Postdiction: 実験結果から生まれた新たな説明や解釈
       (次の研究で検証すべき新たなPrediction)
  ※ PredictionとPostdictionを繰り返すことで科学は進む

 また、事前登録にも「結果が出てから事前登録する」などの抜け道が存在するため、更に進んだ対策としてRegistered Reportという仕組みか考えられ、雑誌によっては実装されつつある、と紹介されました。

 Registered Report:
 研究計画自体の査読をあらかじめ実施し、 査読が通った計画に基づき実施された結果についてはどんな結果であっても原則受理する仕組み
マルチレイヤー指導
出典:平石氏 講義資料P.15より

 但し、どんなシステムもハックされる(悪用してしまう/悪意はなくても、スキを突いて本来も目的と違う使い方をしてしまう)可能性があるため、制度面の強化だけでなく研究者の間に信頼と透明性を築いていくとともに、指導の面では、複数の人がそれぞれ異なる立場と違ったアプローチから学生をサポートする「マルチレイヤー指導」が重要であるとされ、今回の映像教材では、周囲がそれぞれ主人公の相談相手として描かれていた点はよかった点として挙げられると振り返られました。

●グレーゾーンの研究活動から考える「健全な」研究室

京都薬科大学 病態薬科学系 薬理学分野 教授 田中 智之 氏
講義資料はこちらからご覧ください。
田中 智之 氏
田中 智之 氏

 田中氏は、「倫理の空白Ⅳ 研究活動のグレーゾーン2」自然科学編の監修を担当されました。講演では、この映像教材をもとに、研究現場で起こりやすい"グレーゾーン"の問題点を取り上げ、それに対する具体的なリスク回避の方法や研究室運営の在り方について話されました。

 田中氏は、まず「偽陽性(αエラー、第一種の過誤)」のリスクについて解説されました。生命科学のように個体差が大きく、評価指標が多数存在する領域では、「たまたま大きな差が出る」ことがあり、統計的に有意であっても再現性がない可能性があります。検体数が少なく評価指標が多いときに問題となりやすく、例えば被験者数が少ない実験や、多数の遺伝子の発現データを一度に取得する研究においては、この偽陽性のリスクが特に高まります。こういったものを扱う場合には、再現性があるかもう一度実験してみることや、検体数を増やすこと、別の方向から検証実験を行うことが肝心であるとされました。

指導者の責任
出典:田中氏 講義資料P.5より
 次に、指導者の責任について言及されました。指導者が仮説に強い思い込みを抱くと、学生や若手研究者が「期待された結果を出さなければならない」と感じてしまい、結果として健全な関係性が崩れる可能性があります。このため、指導者には、嬉しい結果が出たときほど警戒して慎重に確認し、異なる仮説に対しても常にオープンな姿勢を日頃から示しておくことが求められると話されました。

 さらに、大学や研究室を取り巻く競争的な研究環境についても懸念を示されました。研究費の獲得、人事評価、プロジェクトの時限性などが研究成果を急がせる圧力となり、研究者の心理や判断に影響を与えることがあります。特に教員は、研究・教育・学務の多忙さから、自身の研究の意味を見失ってしまうこともあるため、大学内でサポートされる方はこういったことがあり得るということも理解いただいたうえでサポートされるとよいのではないか、と助言されました。

データの選択(チェリーピッキング)
出典:田中氏 講義資料P.9より
 共同研究に関しては、役割分担が曖昧なまま進行するケースや、立場の違いから対等な議論が難しい場合にリスクが生じると述べられました。そのためには、関係者全員で責任の所在を明確にし、十分な議論と信頼関係を築くことが重要だと語られました。

 また、学生が、望まない実験結果を自身が未熟であるためと考えて、実施した実験を勝手にお蔵入りにしてしまう「データの選択(チェリーピッキング)」も問題視されました。想定外の結果、説明がつかないデータが得られた場合には、それは実験方法を改良したり、より適切な仮説に発展させるチャンスであると考え、結果を丁寧に扱う姿勢が大切だと強調されました。

 最後に、「知的好奇心を充足させたい」「難治性疾患を治療したい」といった研究の当初のモチベーションが充足されていれば研究者が不正に価値を見出すことはあまりなく、「元のモチベーションは何か」に立ち戻ることが誠実な研究環境を促進するためのヒントなのではないかと話されました。また、田中氏がJSTのRISTEXプロジェクトおいて作成されたパンフレット「「健全な研究環境」を形成するための指針」を紹介され、パンフレット中の6つの指針(以下)は今回の映像教材とリンクするため、ワークショップなどで映像教材とともに活用いただけるとよいのではないかと提案されました。

(6つの指針)
1)自由な発想を尊重する
2)対等な立場で議論する
3)詳細な実験記録を作成する
4)想定外の結果を大切に扱う
5)喜ばしい結果は警戒する
6)研究室の外とのネットワークをつくる


●同じ事実が"真"にも"偽"にもなる データ管理は何のため?

国際医療福祉大学 大学院医学研究科 公衆衛生学専攻 教授 飯室 聡 氏
講義資料はこちらからご覧ください。
飯室 聡 氏
飯室 聡 氏

 飯室氏は、医学系研究の支援に長年携われており、「倫理の空白Ⅳ 研究活動のグレーゾーン2」自然科学編では、電子ラボノートに関する使用方法やデータ管理についてご指導・ご協力をいただきました。今回は、2編の倫理の空白Ⅳを研究公正教育に使うとするとどのような視点があるのかというポイントでご講演いただきました。

 飯室氏は、まず自然科学編について触れ、研究の公正性を研究者個人の倫理観にのみ負わせてしまっていいのか、という問題提起をされました。教材の中で主人公の志村が「狙ったデータが再現できない」と悩んでいるシーンを取り上げ、「仮説に沿ったデータでなくとも、得られたデータ自体は嘘ではない。様々な背景と事情(メタデータ)によりそのデータは得られたものである」ということを、データを管理する立場の人間として強調しておきたい、と話されました。その上で、研究に疑義が生じたときには、そのデータの素性が説明できるということが重要であり、だからこそ、電子ラボノートの有用性が強調されると述べられました。
データの選択(チェリーピッキング)
出典:飯室氏 講義資料P.6より

 一方、電子ラボノートを導入すれば、それのみで研究の公正性を担保できるというものではなく、必要なメタデータを必要なやり方で管理する「プロセス管理」こそが重要であると解説されました。そして電子ラボノートに着目して映像教材を見ると、この研究室では電子ラボノートを有効に活用できていたか、という点に疑問があり、この点もディスカッションポイントになると指摘されました。適切なプロセス管理を行うための電子ラボノートの使用ルールが明確に決められていれば、また、神崎先生や桜井先生が電子ラボノートを見ているのであれば、装置の使用ログなど気になる点をもう一歩深く確認していれば、若い研究者を救うことができたのではないか、といった点を指摘され、この映像教材を通じて、そういったことが議論できるといいのではと提案されました。

 さらに人文・社会科学編については、他の領域の研究不正事例をしっかり学ぶべきだという観点から解説が行われました。飯室氏は、人文・社会科学編で描かれたHARKingに通じる話として、1970年代終わりに開発され、1996年の再評価にてプラセボ(薬効成分を含まない偽薬)との有意差がないということで承認を取り消されたた脳循環代謝改善薬「HPT」の事例を紹介されました。この事例では、多数の評価項目を用意しておき、統計的有意さが出たもののみが報告された可能性があり、こういったことを防ぐために、臨床試験では主要/副次エンドポイント解析方法、選択/除外基準等を事前に登録する仕組みが採り入れられたと解説されました。一方、基礎研究の場合は、1つ1つの研究を事前登録することは難しいが、電子ラボノートを含め、様々な仕組みを駆使して記録を残すことが大事であるとされました。研究者は、チャンピオンデータなどいい結果が出た実験は光輝いて見えるが、そのデータがどのような背景で出たデータであるのか、自分の実験を振り返ることが必要であり、そのためにもラボの中で品質管理活動を設定し、メタデータ管理を適切に行うことが重要であると話されました。

 最後に、研究公正にかかる留意点として、「研究の公正性を個人的な倫理観のみに押し付けるのはどうか(特に若い研究者に対して)」という点や、「研究不正、研究公正の歴史は似た様な歴史が領域を変えて何度も繰り返されている」ことをもう一度強調され、これからの研究公正教育は分野横断的に構築されるべきと提言されました。その上で、今回制作された「倫理の空白Ⅳ」についても、専門にとらわれず、人文・社会科学編、自然科学編を両方見ることで得られるものが多くなるのではないか、と述べられました。


●質疑応答

 講演後の質疑応答では次のような議論がなされました。

Q 事前登録の仕組みについて、医学など他の分野も参考にされたか? システムは世界的に存在するのか?

平石氏:

既にある医学分野の仕組みをベースにしようという話はあったが、心理学分野でそのまま使うことには沿わない部分もあったため、いくつかの案を並行させることで研究分野として重要な部分が何であるか議論しチューニングをおこなってきた。システムとしては、アメリカに拠点のあるOpen Science Collaborationという組織が作っているものが一番大きいと思われる。データをどの国・地域に置くかにより情報公開の基準が変わるため、どこに自分のデータを置くのかを選べるシステムになっている。


Q 映像教材の活用にあたり、研究者に向けてどのような問いかけをすると効果的か?

平石氏:

飯室氏の講演にもあったが、個人の倫理感のみに押しつけないことが重要であると思われる。組織としてどのような仕組み・システムをつくるとよいのか考えていただくとよいのではないか。

田中氏:

他の研究者と意見交換することで、自身の研究の在り方を考えるきっかけとすることができるため、ぜひディスカッションのような場を設けることができると効果的である。

飯室氏:

それぞれの研究者には背景となる考え方があるかと思われる。少し手間はかかるが、実際に研究を行うラボの責任者や人事の責任者などを上手に巻き込んで検討するとよいのではないか。



アンケートには次のような感想が寄せられました。(JSTにおいて一部を抜粋、編集)
  • 映像教材が現実にありそうな設定であり共感できた。先生方の話とあわせて、より理解が深まった。
  • チェリーピッキングに近いことは研究の過程で起こりうることや、被験対象が少ないほど擬陽性のリスクも高まるため慎重に進めなくてはならないことが理解できた。
  • 指導者には悪意がなくても、若い研究者をつらい立場に追い込んでしまう発言があることなどは、自機関にもフィードバックできる。



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