新倉弘倫 

200410~20083

「構造機能と計測分析」領域 さきがけ研究員

研究場所:National Research Council of Canada

 

(Last update: 2010.3.3)

Research Interests

              1. アト秒の科学     PDF1    PDF2

              2. 強レーザー電場を用いた分子制御

              3. 超音速自由噴流法を用いた吸収・蛍光励起スペクトル同時測定法の開発

              4. 放射光とレーザーを併用した軟X線領域の分子動力学

 

Publications

1. "Frequency resolved high-harmonic wavefront characterization"

Eugene Frumker, Gerhard Paulus, H. Niikura, David Villeneuve, and Paul Corkum, Opt. Lett. 34, 3026-3028 (2009). 

 

2.“Observation of electronic structure minima in high-harmonic generation”, Hans Jakob W¨orner, H. Niikura, J.B. Bertrand, P.B. Corkum, and D.M. Villeneuve, Phys. Rev. Lett 102, 103901 (2009).

 

3. ”Attosecond strobing of two-surface population dynamics in dissociating H2+

A. Staudte, D. Pavi?i, S. Chelkowski, D. Zeidler, M. Meckel, H. Niikura, M. Schoffler, S. Schossler, B. Ulrich, P. P. Rajeev, Th. Weber, T. Jahnke, D. M. Villeneuve, A. D. Bandrauk, C. L. Cocke, P. B. Corkum, and R. Dorner , Phys.Rev.Lett.98, 073003 (2007).

 

4. “Controlling vibrational wave packets with intense, few-cycle laser pulses”

      H.Niikura, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Phys. Rev. A 73, 021402(R) (2006).

 

5. “A molecular-scale photocathode-using a molecule's own electrons to image itself”

    D. M. Villeneuve, H.Niikura, N. Milosevic, T. Brabec and P. B. Corkum,

Nuclear Instrum. and Methods B 241, 69-72 (2005).

 

6. “Tomographic Imaging of Molecular Orbitals with High Harmonic Generation”

J. Itatani, J. Levesque, D. Zeidler, H. Niikura, P. B. Corkum and D. M. Villeneuve,

Laser Physics 15, 525-528 (2005). 

 

7. ”Mapping attosecond electron wave packet motion”

H. Niikura, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Phys. Rev. Lett. 94, 083003 (2005).

 

8. “Attosecond Physics using sub-cycle electron pulses”

      H.Niikura, F. Légaré, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, J. Mod. Optics 52, 453-464 (2005).

 

9. “Tomographic Imaging of Molecular Orbitals"

J. Itatani, J. Levesque, D. Zeidler, H. Niikura, H. Pepin, J. C. Kieffer, P. B. Corkum and D. M. Villeneuve, Nature 432, 867-871 (2004). 

 

10. “Attosecond science”

J. Itatani, H. Niikura, and P. B. Corkum, Physica Scripta T110, 112-119 (2004).

 

11. “Stopping a vibrational wave packet with laser induced dipole forces”

H. Niikura, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Phys. Rev. Lett. 92, 133002 (2004).

 

12. “Controlling vibrational wave packet motion with intense modulated laser fields”

H. Niikura, P. B. Corkum, and D. M. Villeneuve, Phys. Rev. Lett. 90, 203601 (2003).

 

13. “Probing molecular dynamics with attosecond resolution using correlated wave packet pairs”

H. Niikura, F. Légaré, R. Hasbani, M. Ivanov, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum,

Nature 421, 826-829 (2003).

 

14. “Sub-laser-cycle electron pulses for probing molecular dynamics”

H. Niikura, F. Légaré, R. Hasbani, M. Ivanov, A. D. Bandrauk, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Nature 417, 917-922 (2002).

 

15. “Rotational state distribution of N2+ produced from N2 and N2O observed by a laser-synchrotron radiation combination technique”

H. Niikura, M. Mizutani, and K. Mitsuke, Chem. Phys. Lett. 317, 45-52 (2000).

 

16. “Laser-induced fluorescence excitation spectroscopy of N2+ produced by VUV photoionization of N2 and N2O”

M. Mizutani, H. Niikura, A. Hiraya, and K. Mitsuke, J. Synchrotron Rad. 5, 1067-1071 (1998).

 

17. “Shift from an inverse to a normal isotope effect on the non-radiative decay rate of anthracene-d10 observed under partially jet-cooled conditions”

H. Niikura and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 296, 343-349 (1998).

 

18. “Intramolecular non-radiative relaxation from the first excited singlet background manifolds of anthracene and 9,10-dichloroanthracene in partially jet-cooled states”

H. Niikura, U. Graf, and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 266, 217-222 (1997).

 

19. “Fluorescence quenching by oxygen. Lack of evidence for the complex formation of oxygen with 9-cyanoanthracene and anthracene in a supersonic free jet”

   U. Graf, H. Niikura, and S. Hirayama, J. Phys. Chem. A101,1292-1298 (1997).

 

20. “Thermal energy assisted heavy atom effect: fluorescence quenching of 9-cyanoanthracene in the supercritical fluid of Xe”

   M. Maeda, U. Graf, H. Niikura, M. Okamoto, and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 257, 175-180 (1996). 

 

21. “Laser free measurement of absorption and fluorescence excitation spectra in a supersonic free jet”

U. Graf, H. Niikura, and S. Hirayama, Rev. Sci. Instrum. 67, 406-409 (1996). 

 

総説

英文

1. “Attosecond and Angstrom Science”, H. Niikura and P. B. Corkum,

Advances in atomic, molecular and optical physics 54, 511-548 (2006)

2. “Ionization of Small Molecules by Strong Laser Fields”, chapter for “Strong Field Laser Physics, H. Niikura, B. Bhardwaj, F. Légaré, I. Litvinyuk, P. Dooley, D. M. Rayner, Springer Series in Optical Sciences 134, Springer, (2008)

M. Yu. Ivanov, P. B. Corkum and D. M. Villeneuve. Ed. By T. Brabec.

 

邦文

1. アト秒科学の基礎とその展開新倉弘倫 光科学 40 3巻 (2009)

2.高強度レーザー電場を用いたアト秒時間分解能での分子振動波束の測定と制御

 日本物理学会誌”最近の研究から”新倉弘倫 62(11), 842-846 (2007).

3. ここまで見えた分子軌道-HOMOの可視化” 新倉弘倫 現代化学435, 20-25 (2007).

4. 再衝突電子を用いたアト秒の電子・分子動力学” 新倉弘倫

原子衝突研究協会誌「しょうとつ」創刊号 8-27 (2004).

 

 

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1. アト秒の科学

Hiromichi Niikura (JST/NRC)

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1.      背景

より速い物体の運動を観測するためには、より短いパルスが必要とされてきた。1962年にレーザーが発明されて以来、レーザーのパルス幅は約二十年間で数フェムト秒にまで短縮された。しかし、1986年に600nm , 6 fsに到達して以来、ほぼ十年間、その記録が破られることはなかった。これは、一パルスの中で電場が数回しか振動しないほど短いパルスである。そこで、フェムト秒のバリアを破りアト秒(10-18)領域に到達するためには、新しい物理的概念に基づく新しい手法の開発が必要とされてきた。

 

一方、フェムト秒レーザーの発達により、数mJの尖頭強度を持つレーザーパルスが卓上で生成できるようになった。例えば、10mJ800nm50fsのレーザーパルスを30mm2まで集光すれば、その強度は6.7 x 1014W/cm2 となり、この強度をレーザー電場に換算すれば、7 x108 [V/cm]となり原子または分子中の電子が感じるクーロン電場と同程度になる。

 

この非常に強いレーザー光を用いることで、アト秒光パルス及び電子パルスの生成が可能になった。その基本的な原理は、1993年に提案された三段階モデルに基づいている[1]。このモデルなどを用いて、アト秒光パルスが発生できることが1995年に示された[2]。その後、2001年にアト秒のパルス列を含む高次高調波の発生が実験的に確認された[3]。同年にオーストリア工科大学などで、単一のアト秒光パルス発生が確認され[4]2003年にそれを用いて、オージェイオン化過程のダイナミックスが測定された[5]。さらに、レーザー位相を制御することで、精密にアト秒光パルスの発生を制御した実験が行われた[6]。一方、筆者等によって、2002年にアト秒電子パルスの発生が確認され[7]2003年に、それを用いて、重水素分子の振動運動がアト秒の精度で測定された[9]。(2008年には、80アト秒というパルス幅が確認されている[10]。)

 

2.トンネルイオン化と電子再衝突

アト秒光パルスとアト秒電子パルス(再衝突電子波束)の発生は、トンネルイオン化と電子再衝突という共通の物理現象を元にしている(三段階モデル)[1]1014W/cm2程度の強度を持つ近赤外レーザー光を気相の原子または分子に照射すると、電子の感じるクーロンポテンシャルがレーザー電場によって歪み、原子内(分子内)に束縛された電子波動関数の一部がレーザー電場とクーロンポテンシャルの作るバリアを抜けてイオン化する(トンネルイオン化)。イオン化した電子波束は未だレーザー電場の中にあるので、レーザー電場によって加速され、レーザー電場の周期が変わると、軌道を変えて再びもとのイオン核に衝突する(再衝突)。トンネルイオン化はレーザーの強度に対して非線形な過程であるため、レーザーパルスの各周期のピーク付近でのみイオン化し、レーザーの一周期以内に再衝突する。

 

 

3. 再衝突電子波束を利用したアト秒ダイナミックスの測定

加速された電子の再衝突により、様々な過程が生じる。最大の衝突エネルギーは、レーザーの波長の自乗と強度に比例し、例えば800nm, 3×1014W/cm2では約60eVの衝突エネルギーを持つ。

 

もしイオンと弾性的に衝突すれば、分子の構造を反映した散乱角で散乱される。また、もし衝突時に他の電子をたたき出したり励起したりすれば(非弾性衝突)、二重イオン化過程(double ionization)、2電子励起過程、解離過程などが生じる。輻射性再結合過程が生じれば、衝突エネルギーに応じてアト秒パルスを含んだ軟X線領域の光パルス(高次高調波High harmonic generation :HHG)が生成する。電子の再衝突過程はレーザーの一周期(800nm2.6fs)以内のある領域で起こるので、これらの衝突過程を利用することで分子の構造変化や分子・原子中の電子軌道の変化がアト秒の精度で測定できる。筆者等は、論文[7]でアト秒時間分解能の測定方法として、「光パルス」を用いる方法に加えて、「再衝突する電子波束」を用いる方法を提案した。

 

本研究では、再衝突する電子波束の時間構造を、新たに提案した分子時計法によって測定した(3.1, 3.2)。次に、この再衝突電子波束の運動を制御することで、重水素分子イオンの運動をアト秒の精度で測定した(3.3)。また、再衝突電子波束のコヒーレントな性質を利用して、分子の最高占有軌道のイメージング測定を行い(3.4)、同様に分子内束縛電子波束の運動をアト秒の精度で測定する方法を提案した(3.5)

 

 

3-1. アト秒電子波束の時間構造・大きさの測定

再衝突する電子波束の時間的・空間的構造を、水素分子のイオン化-再衝突過程を用いて測定した。イオン化によって電子波束と水素分子イオン(H2+)の振動波束が同時に生成する。再衝突までの間(~1.7fs)、振動波束はH2+の基底状態ポテンシャル上を動く。その後再衝突によって、H2+の励起状態またはH2++に振動波束が励起(イオン化)され、解離する。このとき、解離種(H+)の運動エネルギーは、いつ電子が再衝突したのかを示す。このように、トンネルイオン化により電子波束と同時に生成した振動波束の運動を、電子波束の時間構造の測定に使用する方法を分子時計法と呼ぶ。

 

分子時計法を用いた実験および計算結果から、電子波束はトンネルイオン化後レーザー電場の2/3周期の時にもっとも大きな確率を持って衝突し、その後5/4, 7/4にも衝突することがわかった。800nmの場合には、これらはそれぞれ1.7fs, 3.3 fs, 4.6 fsに相当する。 一回目の衝突は<1fsの間続き、その強度は電子密度に換算して1011Amps/cm2程度であることが求められた。また、再衝突時の空間的な広がりが~14オングストローム程度であることがわかった。

 

3-2. Few-cycle laser pulse を用いた単一アト秒電子波束の測定

もしレーザー電場のパルス幅が短くなれば、一回のイオン化につき、一回だけ再衝突を起こすことが出来る。800nm, 40fs, 0.4mJのレーザーをアルゴンガスで充填された中空ファイバーに導き、バンド幅を広げた後、チャープミラーに数回反射させることで、~8fsのパルスを得た。このパルスを用いて、分子時計法により再衝突電子波束の時間構造の測定を行った。その結果、二回目・三回目の衝突が抑制され、ほぼ一回だけ衝突が起こっていることが実験的に確認された。

 

3-3. アト秒電子波束を用いた重水素分子(D2+)の振動波束運動の測定

重水素分子をトンネルイオン化すると、電子波束と振動波束が同時に生成する。電子波束と振動波束の衝突時間は、レーザー電場の波長を変えることで制御できる。再衝突時間を1.7fs (800nmのとき) から4.2fs (1850nmのとき)まで変化させ、D2+振動波束の運動を200アト秒・0.05オングストロームの精度で測定した。エンタングルした波束対を同時に生成し、その片方の運動を強レーザー電場で制御することで、他方の運動をアト秒の精度で測定できることが示された。

 

3-4. 最高占有軌道の測定11

再衝突する電子波束のコヒーレントな性質を利用して、分子の最高占有軌道のイメージング測定を行った。高強度レーザーパルスを分子に照射すると、一般に垂直イオン化エネルギーの最も低い電子軌道の一部がトンネルイオン化し、イオン化連続状態に電子波束が生成する。再衝突時に、この連続状態の電子波束(再衝突電子波束)と元の軌道に残っている電子軌道とがコヒーレントに相互作用し、高次高調波が生成する。このとき、高次高調波のスペクトルには、もとの電子軌道の情報が記録される。分子軸と再衝突電子波束が入射する方向を変えることで、最高占有電子軌道のイメージングを行うことが出来ることを実験的に示した。

 

3-5. 分子内アト秒電子波束の測定12

分子内の束縛状態に電子波束が生成していれば、その運動は同様に高次高調波のスペクトルに記述される。高次高調波のスペクトルは再衝突するまでの時間に換算できる。分子の中を動く電子波束が、再衝突する電子波束と逆方向に動いているときに高調波のスペクトルはへこみを持つ(destructive interferenceが生じる)ことを量子力学的計算によって示した。 レーザー位相の制御された十分に短いパルスを用いることで、分子の中を動く束縛電子波束の運動がアト秒の精度で測定できることを理論的に提案した。

 

まとめ

アト秒科学の目標は、分子内の束縛状態に電子波束を生成し、その運動を実時間で測定することだと言われている。本研究では、再衝突電子波束を利用する方法を提案した。従来のフェムト秒科学では、分子の構造変化や核の運動を測定することが主に行われたが、分子構造や化学反応の反応性・選択性は、分子内の電子構造やその変化と密接な関係がある。アト秒の時代には、分子内の電子軌道の時間変化や、電子波束の運動を直接イメージングするという観点から化学反応を理解する試みが行われるであろうと考えられる。

 

 

References

[1] P. B. Corkum, Phys. Rev. Lett. 71, 1994 (1993).  

[2] M. Ivanov et al., Phys. Rev. Lett. 74, 2933 (1995).  

[3] P. M. Paul et al., Science 292, 1689 (2001).                

[4] M. Hentshel et al., Nature 414, 509 (2001).                

[5] M. Drescher et al., Nature 419, 803 (2002). 

[6] A. Baltuska et al., Nature 421, 611 (2003).  

[7] H. Niikura et al., Nature 417, 917 (2002).     

[8] H. Niikura et al., J. Mod. Opt. 52, 453 (2005).  

[9] H. Niikura et al., Nature 421, 826 (2003).     

[10] E. Goulielmakis et al., Science 320, 1614 (2008).

[11] J. Itatani et al., Nature 432, 867 (2004).   

[12] H. Niikura et al.Phys. Rev. Lett. 94, 083003 (2005).

 

 

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2.高強度レーザー電場による振動波束の制御

Hiromichi Niikura (JST/NRC)

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1.   概要

強いレーザーパルスを分子に照射すると、大きなシュタルクシフトが生じる。シュタルクシフトの大きさは、レーザーの強度および電場方向に対する分子座標に依存し、レーザー誘起の力(laser-induced dipole force)を分子に及ぼす。シュタルクシフトの大きさを変えることで分子にかかるレーザー誘起の力を制御すれば、分子を動的に操る事が出来る。この方法は分子光学(Molecular Optics)と呼ばれている。それぞれ分子の配向[1]、配列[2]、並進運動[3]、振動運動[4,5]を制御する試みが行われている。

 

本研究では、強レーザーパルスを分子振動の一周期以内に印可することで、分子の内部運動(振動運動)が制御できることを示した。振動の周期に対してレーザーパルスを与えるタイミングを変えることで、振動波束の解離・加速・停止が制御できることを実験的・理論的に示した。

 

 

2. 8fsのレーザーパルスを用いたポンプ・コントロール・プローブ法6

化学反応動力学の研究における一つの方法は、ポテンシャル上に振動波束を生成し、その運動を追跡することである。もしポテンシャルを、振動波束が動くにしたがって変形させることができれば、希望する位置に振動波束を導くことができると考えられる。本研究では、非共鳴の強レーザー電場を用いて、シュタルクシフトによってポテンシャルをゆがめることにより、重水素分子イオンの振動波束の運動を制御した。まずポンプパルスを重水素に照射し、トンネルイオン化過程によって重水素イオンの基底状態に振動波束を生成する。振動波束は、25fsの周期で束縛ポテンシャル上を運動する。制御パルスを分子軸と平行に与えると、シュタルクシフトにより基底状態のポテンシャルは押し下げられ、連続状態になる。ここで、振動波束が外側の古典的回帰点に到着したときに、もし制御レーザーパルスを与えれば、分子は解離する。一方で、振動波束が内側の古典的回帰点に来たときにレーザーパルスを与えても、分子は解離しない。制御パルスを与えるタイミングを変えることにより、振動波束を連続状態に導いたり、束縛状態にとどめておいたりすることができる。三つ目のパルスを用いて重水素分子イオンをクーロン爆発させることで、制御された振動波束の時間発展を測定した。予期されたとおり、制御パルスを32fs (振動周期の3/2)に与えると、振動波束は2つに分離し、片方は束縛状態を振動し、もう片方は連続状態を核間距離の長い方向に発展していくことが観測された。一方で、制御パルスを25fs(1振動周期)に与えたときは、振動波束は解離せずに束縛状態間を動くことが観測された。このように、圧縮された8fsのレーザーパルスを用いて、(1)振動波束のポンプ (2) シュタルクシフトによる制御 (3) クーロン爆発による制御された波束運動の観測というポンプ・コントロール・プローブ法を確立した。

 

 

3.振動波束の操作----振動波束の加速・停止5

シュタルクシフトの大きさは分子の核間距離が長くなるにしたがって大きくなることから、レーザー誘起の力は、基底状態では分子を引っ張る方向に働く。したがって、振動が縮んでいるとき(波束が核間距離の短くなる方向に動くとき)に制御パルスを与えると、振動波束は減速(停止)する。また、振動が伸びているとき(波束が核間距離の長くなる方向に動くとき)に制御パルスを与えると、振動波束は加速される。重水素分子イオンを例にとって、このことを量子力学的な計算により示した。2×1014W/cm2, 8fs, 800nmのレーザーパルスを振動波束の3/4周期(19fs)に与えると、分子の振動エネルギー(内部エネルギー)が約0.3 eV低下することがわかった。これは、ほぼ振動波束の運動が停止していることに相当する。このとき、波束を構成している振動準位間のコヒーレントな分布移動がv = 0に対して選択的に起こる。また、6fs(1/4周期)に与えたときは、0.3eV振動内部エネルギーが増加することがわかった。このように、波束を生成し、振動波束運動の一周期以内に強レーザー電場を印可することで、多準位間の分布移動を選択的に行えることを示した。

 

4.まとめ

レーザー誘起の力と波束運動を組み合わせることにより、多原子分子の振動運動も制御できると考えられる。例えば、非対称振動運動を行っている三原子分子に対して、片方の結合が伸びているとき(そのときはもう片方の振動は縮んでいる)レーザー誘起の力を与えると、伸びている方は加速され縮んでいる方は減速すると予測される。同時に分子の配向や配列等を制御すれば、気相分子を三次元空間に固定して、ある特定の分子内の原子を“引っ張る”ことも可能になると考えられる。

 

 

References

[1] B. Freidrich and D. Herschbach, Phys. Rev. Lett. 74, 4623 (1995).

[2] H. Sakai et al., Phys. Rev. Lett. 90, 083001 (2003).

[3] H. Sakai et al., Phys. Rev. A 57, 2794 (1998).

[4] H. Niikura, P. B. Corkum and D. M. Villeneuve, Phys. Rev. Lett. 90, 203601 (2003).

[5] H. Niikura, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Phys. Rev. Lett. 92, 133002 (2004). 

[6] H. Niikura, D. M. Villeneuve and P. B. Corkum, Phys. Rev. A 73, 021402(R) (2006).

 

 

 

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3.超音速自由噴流法を用いた

微少物質の吸収・蛍光励起スペクトル同時測定法の開発

本研究は、京都工芸繊維大学繊維学部高分子学科 物理化学研究室(平山鋭教授)で行われました。

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1.      概要

超音速自由噴流法(Supersonic free-jet)は、真空中に分子を吹き出すことにより、多原子分子などの極低温孤立状態を生成する方法である。熱的撹乱がなく(=極低温)、媒体の影響を受けない(=孤立状態)分子環境を生成することで、多原子分子のスペクトル情報やダイナミックスを測定することができる。レーザー誘起蛍光スペクトル法、多光子イオン化法など様々な分光法が超音速自由噴流法と共に用いられているが、試料が不揮発性分子の場合には、試料密度が低いことから、その吸収スペクトルを測定することは困難であった。

 

本研究では、10-6の吸光度で吸収スペクトルが測定でき、かつ同時に蛍光励起スペクトルの測定を可能にする測定装置を開発した。本装置は高価な波長可変レーザーや特殊なパルスノズルを必要しない。また、同時測定により蛍光量子収率の測定が可能である。本装置系を用いて、アントラセン分子の第一電子励起状態からの緩和過程が、どのように分子環境に依存するのかを(1) 微少な熱的効果 (2)ミクロ溶媒和効果の2つの観点から調べた。

 

2.      吸収・蛍光励起スペクトル同時測定法1

浜松ホトニクス製のキセノンランプを分光器で分光し、真空チャンバーに導く。試料はGeneral Valve製パルスノズルを用いて、真空中に噴射する。試料域を通過した励起光の強度(I0)を、フォトダイオード(PD)でモニターした。励起光の強度変化(DI)をパルスバルブの周期に同期したロックインアンプで検出した。SNR > 10dBを測定可能吸光度Imin (= DI / I0)とすると、分光された励起光の強度が10-6 Wのとき、Imin = 10-6を達成することが出来た。これは、励起光の強度を1とすると、吸収による0.000001の励起光の強度変化が測定できることを意味する。概算として、励起光の強度が一桁大きくなれば、測定可能吸光度は半桁さがる。また、光電子増倍管(PMT)を試料噴出・励起光と垂直の方向に取り付け、蛍光励起スペクトルを測定した。

 

第一電子励起状態の0-0バンドに付随するキセノン錯合体は、吸収および蛍光スペクトルの両方で観測され、蛍光量子収率が1であるのに対して、12ag振動モードを励起すると、キセノン錯合体の蛍光が消える。一方で、錯合体を形成しない時には、12agモードを励起しても蛍光は消光しない。このことから、錯合体形成および熱的励起の双方が、分子の緩和過程を促進していることがわかる

 

 

3. 熱的効果2,3

極低温孤立分子系は、媒体との相互作用のない、熱的に冷えた系である。本研究では超音速自由噴流法を用いて、完全に「冷えてない」状態を創り出し、その冷却度を制御することで、特に~0K – 77Kまでの微少な熱的環境が分子励起状態の緩和過程にどのように影響するかを調べた。その結果、アントラセンの低振動数(<200cm-1)を占める面外振動が、より大きな振動数を持つ面内振動よりも電子励起緩和を促進していることがわかった。温度が高くなると、面外振動準位への占有数が増える。面外振動の緩和速度を考慮することにより、気相高温(〜450K)での緩和速度を極低温孤立分子系の緩和速度から説明することが可能になった。

 

4.ミクロ溶媒和効果 4

緩和過程が分子環境によってどのように異なるかを調べるため、(1)キセノン超臨界流体中 (2)キセノン分子錯合体中の9-シアノアントラセン(9CNA)分子の第一電子励起状態からの緩和速度を測定した。錯合体中の緩和速度は、9CNAをキセノンガスと共に真空中に噴射し、1.の装置系を用いて吸収・蛍光励起スペクトルを測定することで求めた。比較のため用いた二酸化炭素の超臨界中では、緩和過程の促進は見られなかったが、キセノン超臨界中では緩和過程の促進が確認された。他方で、キセノン錯合体では過剰エネルギーが0の時には蛍光量子収率は1であったが、わずかに9CNAの振動(12ag)を励起することで、無輻射遷移の速度が促進されることがわかった。錯合体を形成しない場合には、振動を励起しても緩和過程は促進されない。このことから緩和過程の促進には、振動準位の励起と錯合体の形成の双方が必要であることが示された。

 

5. 分子錯合体・ミクロ溶媒和中の酸素消光過程5

酸素は生体にとって重要な物質であるが、分子の励起状態を効率よく脱励起(消光)する。本研究では、芳香族分子と酸素との錯合体形成を試み、それらのミクロな緩和過程を、超音速自由噴流法を用いた吸収・蛍光励起スペクトル同時測定法によって研究した。吸収スペクトルを測定することで、仮に消光過程によって蛍光が放出されなくても、錯合体形成が観測されると期待できる。しかし、酸素分子とアントラセン分子との錯合体は吸収スペクトルでも観測されず、他の原子や二原子分子と比較して錯合体を形成しにくいことがわかった。一方で、アントラセン-アルゴン-酸素の錯合体形成は確認され、励起状態を消光することがわかった。酸素は溶液中でアントラセン分子の励起状態を効率よく消光することが知られているが、その消光過程には、酸素とアントラセンをとりまく溶媒が重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

 

6.まとめ

本装置系は、特に不揮発性分子や蛍光を出さない大きな分子の、吸収スペクトルの測定に適している。微少物質の気相中での吸収スペクトル測定には、キャビティリングダウン法などが知られているが、本装置は簡単でかつ安価であるという特徴があり、さらに蛍光量子収率を測定できるものである。S/N比の計算結果から、安定度の高い出力の大きな定常光源を用いれば、さらに小さな吸光度を測定できると考えられる。

 

References

[1] U. Graf, H. Niikura and S. Hirayama, Rev. Sci. Instrum. 67, 406 (1996).

[2] H. Niikura, U. Graf and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 266, 217 (1997).

[3] H. Niikura and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 296, 343 (1998).

[4] M. Maeda, U. Graf, H. Niikura, M. Okamoto and S. Hirayama, Chem. Phys. Lett. 257, 175 (1996).

[5] U. Graf, H. Niikura and S. Hirayama, J. Phys. Chem. A 101, 1292 (1997)