「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」

平成23年度 研究終了にあたって

研究領域総括 矢川元基

 本研究領域は、世界最先端レベルの超高速・大容量計算機環境と精緻なモデル化・統合化によって、複数の現象が相互に影響しあうようなマルチスケール・マルチフィジックス現象の高精度且つ高分解能の解を求めることを研究の対象としてH17年度に発足した。具体的には、地球環境変動、異常気象、およびそれに起因する災害予測、人工物の安全性・健全性の評価、複雑な工業製品の設計・試作、ナノレベルの材料挙動、生体内たんぱく質構造と生体内薬物動態など、支配因子が未知あるいは不確定性を含む現象やスケールが極度に異なる現象等のモデル化の研究、そのようなモデルの統合数値解析手法の研究、モデルや入力データの妥当性・結果の信頼性の評価方法の研究などが含まれる。

 平成18年度の研究課題公募に対しては40件にのぼる多数の応募があり、当該研究課題に近い専門分野の研究者によるピアレヴューも経て、研究総括ならびに12人の領域アドバイザーにより以下の7研究課題を採択した。

(1)「凝集反応系マルチスケールシミュレーションの研究開発-大規模原子情報の疎視化・再構
  成技法・疎視的理論の開発-」(研究代表者:長岡正隆)
(2)「海洋循環のスケール間相互作用と大規模変動」(研究代表者:羽角博康)
(3)「超伝導新奇応用のためのマルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションの基盤構築」
   (研究代表者:町田昌彦)
(4)「DDSシミュレータの研究開発」(研究代表者:三上益弘)
(5)「複雑分子系の複合分子理論シミュレーション」(研究代表者:諸熊奎治)
(6)「海洋生態系将来予測のための海洋環境シミュレーション研究」(研究代表者:山中康裕)
(7)「ソフトマターの多階層/相互接続シミュレーション」(研究代表者:山本量一)

 これらは、専門分野が量子化学から地球物理までと多岐に渡っており、研究領域のマネジメント上の困難を感じなくはなかったが、6年半が経過した現時点になってみると、「地球・環境」、「マクロ・情報・工学」、「ナノレベル材料科学」、「ナノレベル生体科学」、の4分野にバランスよく選考されたように思われる。これはアドバイザー各位の洞察力と選眼力に負うところが大きかったと感謝している。

 各研究課題の成果の概要は以下のとおりである。

(1)「凝集反応系マルチスケールシミュレーションの研究開発-大規模原子情報の疎視化・再構成技法・疎視的理論の開発-」
 凝集反応系シミュレーション研究において、溶質分子の振る舞いに対する溶媒の影響を取り入れる取り組みは、マルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションの大きな課題である。この課題に対し、(1)原子性と統計性をつなぐQM/MMインターフェイスの開発、(2)並列コンピューティング技法による統計処理法の開発、(3)大規模原子情報を疎視化する技法を開発する研究、を進めて、凝集反応系マルチスケールシミュレーション実用化基盤を築き、将来の大規模シミュレーション研究のための理論的基盤研究として位置づけられる成果を上げ、我が国の計算科学技術の水準を高めることに貢献した。

(2)「海洋循環のスケール間相互作用と大規模変動」
 海洋の中・深層水の形成・変質・輸送過程に関して、微小プロセスから全球大循環までの様々なスケールごとのシミュレーションとそれらの相互作用のシミュレーションを行い、中・深層循環をコントロールする物理的メカニズムを明らかにした。その理解に基づき、様々な気候変動がもたらす海洋の大規模変動や、それが沿岸海況等の局所的現象に及ぼす影響を評価するための、効果的かつ効率的なモデリング手法を確立し、更に、新たに得られた観測データに、開発したシミュレーションシステムを適用して、その有効性を示すなど、国際的にも存在感を示す成果を出すことができた。

(3)「超伝導新奇応用のためのマルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションの基盤構築」
 人類が知りうる物質の最も劇的な状態である超伝導(超流動)発現機構に対し、超並列計算機を用いて、従来にない超大規模シミュレーションを行い、その謎に新たなメスを入れ、国際的に注目される研究成果を上げた。また、量子力学や量子化学における基本的な方程式の解法において、大規模行列の対角化は中心的な問題の一つであるが、本研究はこの問題に挑戦し、大規模行列対角化の並列計算による高速化を実現するという、計算法で期待されるブレークスルーをもたらした。

(4)「DDS シミュレータの研究開発」
 リポソームと糖鎖からなる能動的標的指向性DDSを対象にしたマルチスケールシミュレーション技術の開発を目指し、フラグメント分子軌道法・分子シミュレーション・流体力学に基づいた手法を用いて、DDSの開発で重要な(1)DDSナノ粒子設計、(2)レクチンと糖鎖との分子間相互作用解析、(3)血管内におけるDDSナノ粒子の流動解析、を可能にした。

(5)「複雑分子系の複合分子理論シミュレーション」
 本研究以前に、代表・共同研究者たちによって開発されていた多層ハイブリッド理論(ONIOM法)、RISM-SCF理論、その他の複合分子理論をさらに大きく発展させ、これらの方法を用いてナノシステム、生命分子系、並びに溶液系など複雑分子系の構造、反応、ダイナミックスなどのシミュレーションが可能であることを示した。また、これらの分野でのいくつかの重要な問題の理論的解明を目指した研究を遂行し、世界的に高く評価される極めて優れた成果を上げた。

(6)「海洋生態系将来予測のための海洋環境シミュレーション研究」
 人間活動に伴い放出されたCO2が、大気中CO2濃度を上昇させ地球温暖化を引き起こすとともに、海洋によって吸収され海洋酸性化を引き起こし、海洋生態系などに影響を与えると予想されているが、この地球温暖化や海洋酸性化による海洋生態系や水産資源への影響などの将来予測のために、その基盤技術となる海洋科学の各分野でのモデルを統合した海洋環境シミュレーション技術を開発した。我々の生活に直結した、社会的に与えるインパクトの大きな研究であった。

(7)「ソフトマターの多階層/相互接続シミュレーション」
 高分子や固体粒子を含んだ複雑な物質(ソフトマター)は機能性材料として重要であるが、性質を理論的に予測することは大変困難である。この問題を解決するために、ミクロ階層(原子・分子)・メソ階層(濃度分布や界面など)・マクロ階層(材料の形や製造プロセスなど)が物理的に矛盾なく相互に影響し合う画期的な多階層/相互接続シミュレーション手法を確立し、全く新しい包括的材料・プロセス設計ソフトウエアの開発を行い、世界的にも初めての手法を開発するなど、大きな成果を上げた。

 研究の終了にあたって、研究成果を研究終了報告書として取りまとめた。ご高覧いただき、今後の研究・実用化の進展に向けてアドバイスをいただければ幸いである。
 最後に、課題の選定評価にとどまらず、シンポジウム、サイトビジット、評価会等で適切なご助言、ご指導をいただいた領域アドバイザー、石谷久、戎崎俊一、遠藤守信、岡本祐幸、佐藤哲也、寺倉清之、土居範久、萩原一郎、久田俊明、平田文男、藤谷徳之助、渡辺貞の各先生方に深く感謝いたします。

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