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アドバイザリーコミッティ―からのメッセージ

小川 温子

(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科 教授)


理工系へ進んだきっかけ

 中学生頃から理科が好きで、特に高校生頃から生物と化学には興味があり、生物を化学の眼で透視してみたいという気持ちを持ちはじめました。受験生の時は、国語より数学の成績が悪くて理系に進むのが適しているか迷いましたが、やはり自分の興味のある分野は他に替えがたいものがあります。当時、不況下で特に女子学生の就職難がマスコミでも取り上げられており、就職に有利であることも理工系(化学)を選ぶ動機の一つになりました。

研究者としてスタートしたころ

 大学を卒業する頃は、より厳しい不況になっており、まして地方出身の私は企業への就職はほとんど無理でした。1980年ごろの正社員募集は、今からは想像しにくいことですが、自宅(譲歩しても親戚宅)から通勤する学部卒女性に限定する企業が多かったのです。均等法後はよくなったと思います。私は教育者になるよりも研究者がよく、考えた末に大学院修士課程へ進学し、非常勤で製薬会社に1年足らず勤めた後、大学の助手ポストに付く機会に恵まれました。

転機や飛躍に関するエピソード

 一人目の育児中、34歳の頃文部省在外研究員としてアメリカへ10ヶ月留学しました。子供が2歳半、二重保育体制で時間的に精一杯の頃でしたので、悩みつつ、結局は上司や周囲の勧めもあり夫の元に置いて留学しました。留学は自分の研究を客観的に見直すよいきっかけになりましたが、子供のことは毎日とても気にかかりました。育児の大きな転機は、小学校入学後間もない子供の小児ペルテス発病と入院でしたが、一番の悩みは面会時間でした。職場から片道1時間以上かかる小児病院でしたので、平日に仕事時間を工面して昼間の面会にいってもベッドの傍にはたった15分しかいられないという時もありました。幼い子供患者に毎日朝から夕方までつききりのお母さんたちが多い中で、我が子に寂しい思いをさせているという呵責に苛まれました。一方、院内ではほかの様々な病気をもつ子供たちと家族の姿を見て、女性が仕事をもつ時の家族への影響、それでも仕事をする意義を考えながら精一杯時間を作って面会に通いました。 それでもある時小児科医によばれて、面会回数が少ないと注意を受けました (記帳をする間ももどかしく、2,3度は省略して病室に直行したこともあり・・・)。このとき入院期間は3ヶ月、その後2年間のリハビリがつづきましたが、入院や闘病期間がもっと長い場合、私は仕事を続けられたかどうかわかりません。

後輩への応援メッセージ

 能力と意欲をもっていても、家族に関する理由で、仕事を中断しなくてはならなくなる方は多いと感じます。今、振り返ると、私が直面したような事柄に対しては、もう少し違う対処ができて、自分の精神面も、子供や家族のケアも、よりよく保てる別の方法があったように思います。しかし当時の私は家族の助けを借りる以外は、素手でぶつかるしか考えられませんでした。こんな時、メンターが身近にいて、相談できるような環境が必要だと思います。自ら思い込みの既成の価値観や倫理感にとらわれて、悩みを余計に深くすることもあると思います。窮地に陥った時は、他の価値観にもとづく問題のとらえ方ができるのでは?と発想を変えてみることで、解決策を見つけるのに有効な場合があります。

男女共同参画アドバイザリーコミッティーメンバーとしてのひとこと

 現在、理工系で学ぶ女子学生の割合は増加してきており、生命科学分野では大学院生でも平均して3人に1人が女性です。学部生ではさらに多くの女性がいます。この人たちが社会で活躍する正式な立場が与えられることがまず必要だと思います。さらに、意欲ある女性が仕事(研究)を続けるためには、職場の制度や理解に加えて、多くのロールモデルに出会い、かつ職場や大学の先輩(に限りません)などのメンターがいることは、とても大きな力になります。少数のトップスターだけではだめで(芸能プロダクションと違う点です)、メンターになりうる女性から養成していく必要があるので、大規模で時間のかかる事業ですが、そのために何ができるかを皆さんと考えたいと思います。