鉄系高温超伝導
―細野教授による「新大陸」の発見で世界にフィーバー広がる

(独)科学技術振興機構 戦略的創造事業本部
古川 雅士Masashi Furukawa
屠 耿Geng Tu

はじめに

2008年、固体物理をはじめとするマテリアルズ・サイエンスにとっての大きな「事件」が、我が国から発生した。それは、東京工業大学・細野秀雄教授らがこの年2月18日に発表した、26ケルビンの臨界温度(Tc)で超伝導を示す、鉄オキシニクタイド化合物LaFeAsO1-xFxの発見1)であり、その後世界的な研究フィーバーへ一気に拡大した2)。筆者らは、日頃から細野グループの研究推進3)を支援する研究資金のファンディング機関の立場から、「事件」直後よりフィーバーを見守り、我が国でこの研究を加速するための方策を進めてきた。以下これまでの経緯などを紹介し、研究者とは違った視点でこの研究の「未来」を述べたい(「未来材料」2月号に、細野教授による解説が出ており、本稿を前段的位置づけでお読み頂きたい)。

鉄系超伝導物質
-「新大陸」の発見

超伝導物質探索の歴史において、1911年のオンネスによるHgの超伝導発見(Tc = 4.2 ケルビン)に端を発する「金属系物質」、1986年のベドノルツとミュラーによるLa-Ba-Cu-Oからなるセラミックスの超伝導発見(Tc = 30 ケルビン)に端を発する「銅酸化物系物質」などは、つとに有名である。多くの研究者はまるで探検隊のように、このマテリアルズ・サイエンスの「新大陸」に集い、物質探索やメカニズム解明を進める一方、実用化や新研究分野創出への道を切り拓いた。そして今、新たな「大陸の発見」に、俄然注目が集まっている。
今回の発見が研究者の大きな驚きと関心を集めたのは、以下2つの常識や先入観に起因すると考えられる。
(1)「鉄は磁性を担うため、超伝導にとっては、もっとも忌み嫌うべきもの」という常識
(2)「超伝導物質とは、大別すると『金属系』と『銅酸化物系』しかないのではないか」という先入観;とりわけTcが50ケルビンを超えるものは、これまで銅酸化物系でしか見出されておらず、Tcの最高記録も1993年のHg-Ca-Ba-Cu-Oからなる物質の発見(135 ケルビン)以降更新されていない。
今回の物質発見の意義は、まさに磁性の象徴である鉄が高温超伝導の担い手になることを明らかにした点、そして「『細野物質』の背後に、数千もの可能な物質群が探索されることを待つ時代が到来した」とされる点にあり、物質の奥深さを改めて認識する好例ともいえる。この表現が決して過分ではないというエピソードを、ここに紹介する。筆者らJSTはこの研究の「火付け役」として、最初の国内および国際シンポジウム4)(6月初旬と6月末)をそれぞれ開催し、いち早く研究の現状や展望を議論する場を設けたが、参加者からの惜しみない感謝の拍手が細野グループに送られる、通常の会議にない雰囲気となり、まさにそれは、新時代の到来を全員で祝福するかのようでもあった。

鉄系超伝導研究最前線
-世界で過熱するフィーバー

図 鉄系超伝導物質の結晶構造(東京工業大学・細野教授のご厚意による)
図 鉄系超伝導物質の結晶構造(東京工業大学・細野教授のご厚意による)

さて今日のフィーバーぶりは、何より中国の存在を抜きにして語れない。「細野物質」合成の追試にいち早く成功し、そしてその元素置換などによりTcの記録を次々と、50ケルビンを超えて更新させたのが、中国科学院物理研究所や中国科学技術大学、浙江大学などのグループである。特に中国科学院は20年来、 "National Lab. for Superconductivity"を構え、今回も複数のグループが関与する一大勢力である。
この中国科学院で10月中旬、"Beijing International Workshop on Iron (Nickel) -Based Superconductors"と題した会議が開催され、世界の研究者(総勢200名弱:写真)による活発な議論が行われた。筆者らは6月の我が国でのシンポジウム以降の動向把握を目的に、研究者らに混じってこのワークショップに参加した。以下、そこで見聞きしたことなどを述べる。
まず物質という切り口では、初期の「細野物質」を含めて4種類-11111型:LaFeAsO1-xFxなど、2111型:LiFeAsなど、311型:FeSeなど、4122型:BaFe2As2など-がこれまで発見されている(右図参照)。いずれも鉄およびV族(ニクトゲン; プニコゲンとも呼ぶ)もしくはVI族(カルコゲン)元素からなる層状物質であり、奇しくもCuO2層と金属酸化物層などからなる銅酸化物系物質を連想させる。銅酸化物系物質では、伝導層であるCuO2層は変化させず、上下を挟む「ブロック層」の組成や価数などを制御することが物質探索の鍵であったが、鉄系物質では、Feサイトの一部を他の遷移金属(CoやMn)で置換したものについても超伝導が発現する点などが対照的で、上述のように今後の「数千もの物質群」探索へ期待が膨らむ。
加えて応用という観点でも眺めた場合、まず薄膜作製が可能である5)ことは重要な知見である。応用の観点では、上部臨界磁場Hc2が比較的高い(50テスラを超える)6)という示唆も大変興味深い。そもそも現在の超伝導応用は、強い磁場を作り出すことに主眼があるが、臨界磁場が高くないと、超伝導線材には大電流が流れるために、自らが作り出す磁場に耐えられない可能性があるからである。
超伝導発現メカニズムの解明へ向けた取り組みもまた、実験・理論ともに緒についたばかりである(物理的描像など詳細をまとめたものは、文献7)-9)を参照されたい)。これまでの評価は多結晶が主流であるが、最近では多くのグループが単結晶の作製に成功しており、今後の進展が期待できる。また新たな物質探索も進めば、解析や考察に系統性が持たせられる。
さて中国では、こうした研究動向に加えて世界の「意気込み」も知ることができた。その一例として、まずドイツでは、同様のワークショップが2008年10月下旬に開催されるとともに(開催場所のライプニッツ固体物理研究所は、中国科学院と並ぶ、一大勢力のひとつである)、ドイツ研究財団DFGが、この研究に関する国家的プロジェクトを発足させる予定であるとのことだ。なおワークショップは、その後もアメリカで翌11月に2回(プリンストン、メリーランド)、さらにイタリア(ローマ)で翌12月と相次いで開催された。中国の熱気は上述のとおりであるが、何よりこのワークショップに参加していた多くの研究者(とりわけ30歳にも満たないような若い大学院生クラス)の「真剣な眼差し」が印象的であり、発表者らと大変熱心に議論していた。このように世界の多くの研究者は、極めて短期間において、異常なフィーバーの渦中にいる。

写真 中国科学院物理研究所(囲み内)で開催されたワークショップ(同所からのご提供による)

写真 中国科学院物理研究所(囲み内)で開催されたワークショップ(同所からのご提供による)


我が国における研究の取り組み

このように世界は、「この新大陸にはどんな山や河があるか?」、つまりより高いTcを持つ物質の探索やメカニズムの解明といった課題に対して、動きを活発化させている。この情勢下で我が国が執ったアクションは、今日のフィーバーをまるで予期するかのように、実に迅速であった。
JSTでは、物質発見から2週間後の3月6日および4月25日に外部有識者会議が開催され、1細野グループの研究資金の追加支援、2シンポジウム開催(上述参照)、3研究課題の緊急公募―の方針が示された。月が替わり5月19日、国の総合科学技術会議は「革新的技術戦略」10)をまとめ、その中では全科学技術の分野から23の革新的技術および5つの国家基幹技術を特定し、こうした技術シーズを迅速に伸ばし育てるべきであるという提言を行ったが、この革新的技術に、鉄系超伝導体に関連する「新超伝導材料技術(磁性元素超伝導体等)」が含まれた。これらを踏まえ、JST戦略的創造研究推進事業内に、研究領域「新規材料による高温超伝導基盤技術」(研究総括:福山秀敏 東京理科大学理学部 教授)が設けられ、上記3の研究課題公募の実施、外部有識者による選考審査を経て、10月から研究が本格的に開始した11)
この領域は24の研究課題からなるが、「より高いTcを持つ物質は?」「発現メカニズムは?」のみならず、「真に応用可能な材料となるか?」といったことにも、この時期からチャレンジしていく。まずこれからの新物質探索においては、たとえば非平衡状態での合成が可能な、高圧合成法や薄膜作製法などが威力を発揮するだろうし、ブロック層の開発もまた重要な鍵となろう。その結果得られる物質はさまざまな測定や理論計算を促し、現在は混沌状態にあるメカニズムの全容解明へと繋がるだろう。さらに、線材化技術の確立や臨界電流密度の精密測定を行うことで、材料としての可能性が見えてくるだろう。このように世界的な研究フィーバーが拡大する中、我が国では多くの夢抱く「探検家」がいち早く結集し、新大陸の大地へ旅立つ準備が整った。各課題が独立に取り組まれるのではなく、「オール・ジャパン」として大きな目標に向かい融合する研究プロジェクト(バーチャル・ラボ)の要素を持つこと、および「新大陸への旅」というコンセプトを踏まえ、領域の愛称は「TRIP (Transformative Research-Project on Iron Pnictides)」とされた。物質発見のお膝元の我が国から今後発信されるメッセージに、期待して頂きたい。
このように、有識者会議開催も併せた研究加速のための「4本の矢」は、国(総合科学技術会議)のトップダウン的示唆も踏まえ、世界情勢に対して極めて迅速かつ先見的に放たれた。むろんこれらが成功であるか否かは、これからの有形無形の成果で全て評価されるが、「4本の矢」の背景-これに関連する我々の経験や教訓をもう少し紹介しよう。分野は変わり、ライフサイエンス近年最大の「新大陸」は、京都大学・山中伸弥教授らによる、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立である。2007年11月21日に世界を席巻した「ヒト皮膚細胞からのiPS細胞樹立」のニュースは、将来の再生医療や創薬への期待も相まってお茶の間にも波及する一大フィーバーとなり、今や我が国を含め世界中が研究加速の方策を講じている。さて山中教授らの研究は、JSTの「CREST」で進められたが、実はその前年にマウス体細胞からのiPS細胞樹立が成し遂げられ、関連研究者への多大なインパクト、すなわちフィーバーの口火を切っていた。ここからの我々の教訓は(もちろん結果論かも知れないが)―社会的フィーバーになる前から、この優れたシーズを見極め、それを発展させるための「4本の矢」を速やかに放っていれば―である。今回の鉄系超伝導体発見は、そういう意味ではまだ研究者レベルのフィーバーに過ぎないが、今後さまざまな角度から「新大陸」の全容を明らかにし、産業界・社会レベルのフィーバーを巻き起こすためにも、我々のとるべき「Next Step」の持つ意味は大きいと考える。

おわりに
-世界に「競争」と「協調」を育む

以上、鉄系超伝導体発見後の世界情勢や、我が国の研究加速へ向けた取り組みなどを述べてきた。改めて超伝導物質探索の歴史を辿れば、ベドノルツとミュラー以降の銅酸化物系La214相の同定、Bi系銅酸化物やMgB2の発見等々―我が国発「新大陸発見」のニュースは、多くのマテリアルズ・サイエンスの研究者を魅了し、彼らに活力を与え、そしてそれらが今日、我が国がこの分野の中心で冠たる地位を占めてきた要因でもある。そして今、鉄系超伝導体の発見―我が国発の新たなニュースに世界は驚嘆し喜ぶ一方、国家的プロジェクトを立ち上げるなどの動きを見せ、紛れもなくマテリアルズ・サイエンスの「覇権争い」の新たな幕が切って下ろされた。
さらに歴史に思いを馳せると、それは優れた研究人材が世に輩出された歴史でもある。今では世界に名高き研究リーダーも、約20年前のフィーバー当時は若き研究者(あるいは学生)として、研究室の主が日々世界で最新の成果を発表する間、研究室を守り、寸暇を惜しんで試料を作製し、測定装置の前で出てくる物性の変化に胸を躍らせた。今回発足したTRIPの研究課題24のうち、約半数・13のリーダーが、結果的に30歳代もしくは40歳代前半となったが(さらに各課題にも若き研究者が参画する)、中長期的にみれば、彼らはマテリアルズ・サイエンスを世界的に牽引しうる人材でもある。マテリアルズ・サイエンスには、結果のエレガントさと表裏一体で、日夜試行錯誤する「泥臭さ」が付随するが、リスクを顧みないこの若き「泥臭さ=探究心」こそが、研究を飛躍的に発展させる原動力であることを、我々ファンディング機関としても、肝に銘じておく必要がある。
そこで改めて思い出されるのが、中国で筆者らが目にした光景-若き研究者たちの「真剣な眼差し」である。世界にいる意欲溢れる研究者らは、あるときは世界の最先端で互いに切磋琢磨し「競争」の渦中にいるが、あるときは同じ志や戦略を抱く者として互いに交流することで、世界を股にかけた共同研究の機会など(=「協調」)が生まれることもある。既に筆者らの活動を聞きつけた海外のファンディング機関からは、具体的な人材交流に関する申し出があるが、今後同じ目標に向かって研究を進める中での世界的な「競争」と「協調」のムーブメントが、我が国の得意とするマテリアルズ・サイエンスから、大きくそして力強く巻き起こることを願ってやまない。

〔謝辞〕この稿をまとめるにあたり、ご意見を頂戴した福山秀敏(東京理科大学)、細野秀雄(東京工業大学)、永崎洋(産業技術総合研究所)、北澤宏一(科学技術振興機構)の各氏に深く感謝申し上げます。また、貴重な紙面を快く割いてくださった編集委員および編集局にも厚く御礼申し上げます。

〔文献〕
1) Y. Kamihara et al.: J. Am. Chem. Soc. 130, 3296 (2008).
2) 例えば、A. Cho: Science 320, 432 (2008).
3) 戦略的創造研究推進事業 発展研究(ERATO-SORST)
4) プロシーディングスは、Journal of Physical Society of Japan 77 (2008) Supplement Cで掲載。
5) H. Hiramatsu et al.: Applied Physics Express 1, 101702 (2008); Appl. Phys. Lett. 93, 162504 (2008).
6) F. Hunte et al.: Nature 453, 903 (2008).
7) 伊藤利充ら: 固体物理 43, 651 (2008).
8) 福山秀敏: パリティ 23, 48 (2008).
9) 細野秀雄: 応用物理 78 vol.1, 31(2009).
10) http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu75/haihu-si75.html
11) 研究規模は1課題あたり年間500万から2,000万円程度で、研究期間は最長で2011年度末まで。採択課題は、https://www.jst.go.jp/kisoken/htsc/index.htmlを参照。

出典:(株)エヌ・ティー・エス発行「未来材料 2009年1月号」