インタビュー

野依 良治 CRDSセンターインタビュー

 今年は、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」が施行開始される年であり、また「第5期科学技術基本計画」と「第4次男女共同参画基本計画」が始まる年でもあります。これらには、女性の活躍はもちろんのこと、広い意味での多様性が今の社会には必要とされ、科学技術の世界も例外ではないことが記されています。科学者は多様性をどのように考え、これからどのように私たちの社会に多様性を取り入れていくべきなのか、共通の認識を持って実行していくことが求められています。日本の科学技術を牽引されてきた野依良治先生に、様々な観点から多様性についてお話を伺いました。ご自身の若い頃の体験をもとに、人材の多様性と個人の中の多様性がいかに新しい世界を創り出せるのか、なぜ今女性の活躍が必要とされるのか、科学技術においても単位の多様性が新しい概念を創り、多様性を重視した研究が新しい産業を創り出せることをお話いただきました。また、海外の方々との連携のあり方、多様性が美しい音色を創り出す音楽等々、盛り沢山の内容となりました。これまでにない新しい多様性観について、熱い思いを語っていただきました。

野依先生からのメッセージ動画も是非あわせてご覧下さい。<https://youtu.be/3mo_qOUJt8o>

インタビューの様子 野依センター長とダイバーシティ推進室 渡辺室長

渡辺:野依先生は第一線の研究者として活躍され、ノーベル賞を受賞されました。理化学研究所理事長をされ、現在JSTの研究開発戦略センター長をされています。他の方にはできない多様なお仕事に関わった立場から、科学や社会について考えられるところが多いのではないかと思います。まずは、現代社会におけるダイバーシティ(多様性)の意義についてお話いただけませんか。

野依:世界は元々多様性に満ちているものです。現代社会は、国の内外で様々な人が行き交い、集団をつくり、活動することによって成り立っています。ここに参加する全ての人が、公平に扱われ、生き甲斐を持って暮らせる環境をつくらなければなりませんし、不当な差別や不公正な格差があってはならないというのが基本的な考えです。これは個々の人々にとっての意味で、現代民主主義社会における基本的人権の一つということもできます。
逆に、社会の側から見れば、「多様性の確保」こそが、良い社会を実現すると考えられています。目指すところは、人々の豊かな生活であり、国の平和・安全であり、文明社会の持続です。まず、現代の豊かさは、新しい社会的価値をつくるイノベーションによってもたらされることが多いのですが、そのためには知恵の結集が必要です。従って、当然人材の多様性が鍵となります。
また、わが国の繁栄と安全のためには、国際競争力とともに協調力を培う必要があります。わが国は他国を理解し、逆に他国から共感を持って理解してもらわねばなりませんが、そのためには、世界に通じる制度をつくり、積極的に頭脳循環を図るべきです。
さらに広く、地球温暖化、感染症などの人類社会の存続を脅かす問題に取り組まねばなりません。これらの解決は一国では不可能であり、広範な知の統合、合意形成と政策実現にむけての共同活動が不可欠です。

渡辺:多様性を確保する意義や重要性についてお話いただきましたが、実際に多様性を重視し確保するために必要なことは何でしょうか。

野依:まず、一点強調しておきたいことは、「多様性の確保」は本来的な相違を尊重することであって、全てを画一化して「同化」するのではないということです。全ての人は、それぞれに国籍、人種、宗教などにもとづくアイデンティティを持っています。無理やりの同化は無用な軋轢や対立、場合によっては、昨年11月のパリの惨劇のようなテロさえ生みかねません。グローバル化と言われる時代においても、世界を同化することは決して適切でない。日本にも誇りとするJapan Wayがあると思います。異なる者に対しての寛容が必要です。相手の目線に立ち、それぞれの相違を尊びながら、協調して良い社会を作るという「共生の知恵」が必要です。
科学社会に住む人たちには、パスツールの言葉を思い出して欲しい。「科学に国境はない。しかし、科学者には祖国がある。」現代でも意味深い名言です。

渡辺:多様性を求める社会においては、国際化あるいはグローバル化が重要になると考えられます。多様性と国際化、グローバル化の関係、更には科学技術における多様性の効果についてどうお考えですか。

野依センター長

野依:現在、ほとんどの経済先進国は、それぞれに基本的アイデンティティーを維持しながらも、多文化国家として生きています。現在のパクス・アメリカーナ(超大国アメリカによる平和)も人材の多様性で構成された社会で成り立っています。スポーツや芸術のみならず、科学技術振興のために、高等教育、研究においても、多様性の意義が強く認識されています。日本は先進国の中で例外的に、その点が自覚されていません。その結果、何か大きな問題が生じると、国力が傾きかねない状況にあります。いかなる国も、一国では求める人材の全ては養成できません。いわゆるThe best and brightestだけでは、世の中は成り立ちません。価値観やものの考え方がトップ・ダウンかつ画一的になりがちだからです。
女性、外国人、若手の登用は何れも、第一義的には知の質の転換のためであって、労働力不足の解消、軽減という量的なものではないことをまず銘記すべきです。国も人も謙虚であるべきで、自らの力には限界があることを知り、足りないものは他にお願いしなければならないはずです。
とりわけ科学技術の世界では、多様な知識、技術の集積や統合が必要です。長期的には、もちろん国内人材の育成が大切ですが、短中期的な目標の達成には間に合わないのも事実です。外国から招いて確保しなければ、迅速に計画は実行できないことは当然でしょう。そのため、積極的な頭脳循環や国際連携が不可欠であり、わが国の科学論文指標の低迷の一因は国際連携の少なさにあることが明らかになっています。
スポーツでは、日本は2019年のラグビーW杯をどう戦うのか、国技大相撲の今日の隆盛、さらに英国のウインブルドン・テニス大会の成功の理由をよく考えて欲しいと思います。
実は、「国際化」と「グローバル化」は似ているようで違うものです。ともに得失があります。互いに自らの国の特質を維持し、生かしながら連携することが国際化です。現在、文化の違いを考えない均質な世界化、グローバル化が蔓延していますが、国際化はこれとは異なります。グローバル化は時代の流れとともに社会の画一化を進めることになり、真の多様性を否定することにもなりかねません。国際化は文化をはじめ個々の特徴を尊重し、長い目で多様性を保つため、全体的により高い質の社会をつくることになり得ます。
国境のないグローバルな情報通信技術(インターネット)が発達した現代でも、直接的な人と人の出会い、絆は最も大切です。とくに、若い日の友情は、その後も一生涯続くもので、人生の宝になります。国際共同作業をするには、異なる背景の研究者同士が知り合い、信頼関係を培わなければなりません。先ずは、個人的に誠意を尽くすことが肝心です。
しかし、わが国では文化の壁、特に言語の問題が大きく立ちはだかっています。今は「英語の世紀」ですが、各国や各地域の独自性を尊重するなら、今後は多言語化する可能性があります。但し、英語問題の克服は容易ではないだろうと思います。

インタビューの様子 野依センター長とダイバーシティ推進室 渡辺室長

渡辺:多様性の確保には人材が最も重要だと思います。通常は女性、外国人、若手と言われています。まずは外国人が日本社会に入ることについて、国際化との関係も含めていかがですか。

野依:日本の多くの大学、研究機関では、外国人を年配者なら客人(guest)として迎えますが、若手なら労働者(labor)ないし兵隊(soldier)として扱う傾向が強いと思います。むしろ価値を共有する同僚(colleague)として分け隔てなく処遇することが何より大切です。わが国の組織では、運営体制外に位置づけられた外国人が、規則などを不公正だと感じることが少なくないようです。同じ生活者として、無用の摩擦を排除し、最小限にする配慮や環境づくりが必要ですね。国際情勢が厳しい折に、あまたある国の中で、敢えて日本を選んで来てくれるわけですから、この人たちを大切にしなければなりません。

渡辺:若手の活躍についてもご意見をいただけませんか。

野依:若い時に異文化に接することがとても重要です。自分自身や自国を見つめ直すと共に、潜在能力が触発されるよい機会となります。優れた外国人の参画は、既成の分野に大きなインパクトを与えることが多々あります。キュビズムを編み出したパブロ・ピカソは「パリに住むスペイン人」で、やや冷めた目で、当時のフランスの画壇の動きを見ていたと言われています。
日本の伝統に想いを寄せる立派な外国籍の方は少なくありません。文化勲章を受けられたアメリカ生まれのドナルド・キーン先生ほど日本文学に造詣の深い方は少ないでしょう。若き日から主要な日本人作家と親交を温めてきた結果と考えられます。
科学界では、近年多くの日本人がノーベル賞を受賞するようになり、このことは大変結構なことです。しかしノーベルの遺言に照らしても、過度のナショナリズムは慎むべきです。むしろ、日本を舞台に活躍した外国籍の研究者がノーベル賞を受賞するのが当たり前になって、初めて日本は科学立国といえるのではないでしょうか。
一方で、わが国の若者たちが、もっと世界に羽ばたいて光り輝いて欲しいと強く思います。日本の若者は豊かさに慣らされ、とかく些細なことに不満を持ちすぎる傾向にありますが、外に飛び出して、もっと様々な世界を勉強すべきです。母国日本が素晴らしい国であることを実感し、自信を持って欲しいと思います。
科学はすべての人に開かれています。途上国の青年たちの志、情熱にも期待したいですし、「持たざること」は創造力の源でもあります。
私のささやかな経験談を一つ話します。我々世代の海外経験は比較的遅くなってからで、学生としてではなく、博士研究員としての経験者が多かった。私は,1969年から1年余り、ハーバード大学に滞在しましたが、時の日米の経済格差は10倍以上もあり、私の名古屋大学の月給は僅か70ドル、ハーバード大学のポスドクの月給は600ドルでした。問題は何故、ハーバード大学のE. J. コーリー教授が私を採用したかです。私は、当時20歳台後半、東洋の発展途上国の全く無名の若者でした。正規の欧米風の合理的教育を受けず、我流で勉強しただけでした。英語も話せない駆け出しの化学者に過ぎませんでした。一方、コーリー先生は、30歳台後半で、既にアメリカを代表する輝ける存在で、のちにノーベル賞を受けました。アメリカのみならず、欧州の有名大学から沢山の優秀な若者の応募があったはずで、採用はより取り見取りだったはずです。自らの研究費を割いてまで、私を採用した理由は何か。それは、日本人というマイノリティを意図的に採択したことではないでしょうか。これはアメリカの基本的な考え方であり、力強い科学力の根源もここにあります。経済大国になった今の日本にこの器量が果たしてあるでしょうか、よく考えなければなりません。

渡辺:若い頃の体験談をもとに、米国がいかにして新興国の若い人を育てることで、米国そのものが強くなっていったかについて、お話をいただきました。今、社会の様々な局面で年齢の偏りをなくし、様々な立場の人の意見が社会制度に反映できるようにすることが必要とも言われています。若者とシニアのバランスの点については、いかがでしょうか。

野依:年齢の偏りをなくし、異なる世代の考え方を取り入れるという観点では、若手の登用はとくに大切です。年配者の多くは保守化して、新しいことに挑戦するエネルギーに欠ける傾向がありますが、平成生まれの若者は我々とは全く異なる環境で生まれ育っていて、感性が違います。次世代を担う若者には、できる限り早くから責任をもって意思決定にも参加して欲しいものです。
同時に、年配者の豊かな経験や分別力、人脈などは有効に活用すべきです。ただし、徒に権力を振りかざしはいけません。2015年における65歳以上とそれ未満の比率は、1:2.5ですが、2050年になると1:1.3になるとされています。しかし、年配者の社会参画意欲は旺盛で、80%の人が働きたいとの意思をもっています。

渡辺:昨年、いわゆる女性活躍推進法が成立し、今年4月から施行されます。日本は今女性の活躍を国の力にしようとしていますが、職業として女性の参画が増えることの意義や効果についてはどう見ますか。

野依センター長

野依:世界的に男性が主導して来た社会が、今揺らいでいます。良質の潜在能力を持つ女性を含めた人材の多様化によって、新しい価値観が生まれるでしょうし、社会の質が向上する可能性は大きいはずです。
日本の研究社会の女性比率は14.7%、まだ不十分ですが、増加傾向にはあります。世界経済フォーラム(WEF)2015の男女平等ランキングで、日本は145カ国中、101位と、女性の地位が低いとされています。日本の中における実感は必ずしもそうではなく、結構高いと思いますが、経済、教育、政治、健康の4分野に関わる統計値から判断すると、さらなる向上が期待されています。
しかし、女性のいわゆる社会進出、男女共同参画は、自己実現を目指す女性の意思が優先されるべきであって、社会事情が女性に強要すべきものではありません。ともあれ、ぜひ女性の感性を活かして旧態依然たる既成概念の岩盤を打ち破ってほしいと強く思います。
男女平等は、決して女性が男性と同じになることではありません。是非個々の特性を大事にして、個性を活かした参画を考えてほしいと思います。 生物的要請と社会的要請を整合させて、女性が自立(孤立ではない)できる環境を整えるべきです。果たして外国の女性にとって日本社会は働きやすいでしょうか。マレーシアなどでは、医者などの高学歴な職ほど、女性の割合が多くなっています。これは父母など家族皆で支える慣習があるから実現できているようです。日本も、日本らしい社会環境をよく考える必要があります。

渡辺:科学技術の分野での女性の活躍についてはいかがでしょうか。

野依:近年、世界の科学界では女性の活躍は目覚しいものがあります。科学技術分野のノーベル賞受賞者はまだ総数では18人(4.3%)ですが、2001年以降は既に7人と多くなっています。2度の受賞に輝くマリー・キュリーの他にも、異彩を放つ女性は多いのです。例えば、1983年、81歳で生理学・医学賞を受けたバーバラ・マクリントックは、30年間、独りトウモロコシ畑にこもり、遺伝子が周囲の影響下で染色体の中で動くことを突き止めました。科学界の無視と冷笑の中、孤独と忍耐に打ち勝ってなし遂げました。この継続は男たちには絶対にできないことです。
国別の女性研究者の比率は25−40%位が標準です。日本は14.7%と他国との比較では低い状況ですが、逆に言えば、わが国の科学水準は伸び代が大きいと考えられます。もちろん、専門分野によるばらつきは大きく、例えば、医歯薬学系では24.3%ですが、工学系では8.0%に過ぎません。高等教育における母数、つまり女子学生の数が世界に比較して少ないという問題もあります。
国立大学の理工学部における准教授以下の女性教員は、順調に伸びています。2009年には5.8%でしたが、5年後の2014年には7.6%となりました。JST「さきがけ」研究においては、実際に、ライフ、グリーン、ナノ、ICTいずれの分野でも、女性の採択率は男性を上回っています。
今後は、大学(25.4%)や公的機関(16.2%)だけでなく、企業(8.1%)にも頑張ってもらう必要があります。JSTでも、女性の定年制職員の比率は伸びていて、2005年には21.8%でしたが、2015年には26%になり、独法等の平均値を上回っています。男女共同参画基本計画の達成は確実と聞いています。
JSTには、総じて有能な女性が多いと強く感じています。女性役員も活躍しています。男性の理解や協力が必要ですが、働き易い環境が十分整備されているだろうかということを常に考えなければなりません。
日本女性は紫式部、清少納言に始まり、さらに近年の多くの文章家や芸術家をあげるまでもなく、豊かで繊細な感性を持っています。徒らに既成の価値観で他と競争するのではなく、自らの特性を生かして新たな境地を開いて欲しいですね。男性も、女性独特の特徴に抗してまで、女性とは戦いたいとは思わないはずです。

インタビューの様子 野依センター長とダイバーシティ推進室 渡辺室長

渡辺:ここまでは人の多様性についてでしたが、次は文理融合についてお伺いします。文理融合を進めることで、あらゆる面で個別細分化された議論にとどまらず、大局的に状況を把握し、考えることが必要と言われています。そのための多様性についてもご意見いただけないでしょうか。

野依:科学技術における専門分野の細分化は大きな懸念材料でして、思い切って多様性を取り入れなければいけません。例えば、日本の生命科学は何故か、数学や統計学の参入を拒む傾向にあり、これでは日本の生命科学の発展が妨げられてしまいます。とくに、イノベーション創出のためには、人文・社会科学との連携が必要です。新たな知の地平を拓くとともに、科学技術の実装には社会の受容性や倫理が求められるからです。しかし動きは極めて遅いといわざるをえません。
企業の業種と大学の研究分野、さらに育成人材の需給のインバランスも気掛かりです。例えば、企業は工学やITを必要としていますが、この分野の大学の活動が不十分です。一方で、分子生物学はじめ生命科学では、企業が大学の先進的な研究を吸収しきれていません。これも多様性の推進が低迷脱出の一助となる可能性があります。

渡辺室長

渡辺:敢えて難しい問題をお聞きします。科学の分野でも多様性が新しい価値を生み出すということが言えるでしょうか。

野依:はい、その通り、言えます。「足し算」と「掛け算」の違い、あるいは「掛け算」の効用と言ってもよいでしょう。同じ単位のものでなければ足すことはできませんが、同じものをいくら足し合わせても、ただ量がふえるだけで、質は不変です。しかし「かけ算」の効果によって、今までなかった質が生まれます。
1メートルのものをいくら足しても「長さ(メートル)」が延びるだけ。しかし、二つを掛ければ1平方メートルの「面積」が生まれ、もう一度掛ければ、1立方メートルと「体積」になる。但し、これは空間事例に過ぎません。
さらに、異次元のものを掛け合わせれば、全く新たな単位、つまり質が違う世界が生まれます。アインシュタインの美しい式、E = MC2が典型例です。「質量(kg)」に「光速(m/s)」の二乗を掛け合わせれば、「エネルギー(J)」の誕生となります。足し算では決してできないことです。「掛け合わせ原理」の重要性は自然界では普遍的です。そして、この自由度は極めて大きく、さらに効果も絶大です。
純物質は美しいものです。しかし、あえて不純物を入れることによって優れた物性が発現します。半導体については、半導体中の不純物を制御できる技術により半導体産業は誕生し、ここまで発展して来ました。また、医療の分野では人工的に異なる原子を組み合わせて分子をつくることで、多くの人命を救う画期的な医療が生まれています。単純な炭化水素の世界では、このような画期的なことは起こりません。
生物においても、交配で優れた新種が誕生します。また生物多様性は、自らの生存圏を強靭化するためのものです。
これらが「多様性が新しい価値を生み出す」可能性の数学的、科学的根拠です。もちろん、人の営みについては、社会的、文化的な要素が加わります。産官学さらに分野によって、そのあり方は当然異なりますが、基本的な結論は変わらないはずです。ですから、組織の思い切った門戸開放が必要なのです。

渡辺:科学的にも多様性が重要であることがとてもよくわかりました。次に、社会の発展における多様性についてですが、日本の持続的な発展の実現には解決すべき問題が山積みしていますが、その解決に多様性はどう役立つでしょうか。またそのためには何が必要でしょうか。

野依センター長

野依:日本は戦後、ものづくり産業を始め、主として優れた製品の大量生産によって発展してきました。そのためには、大きな「グループ(群れ)」の中で同質の人たちが「力を合わせる」ことが有効に働いたのです。羊や魚の「群れ」には上下の階層がなく、外部刺激に対してうまく整合して全体が動く、と聞いたことがあります。しかし、今後、わが国の持続的な発展のためには、力技だけではなく「多彩な知識や、優れた技能を擦り合わせる」ことで、自ら新たな価値を創造し、そして質的な展開を図り続けることが不可欠なのです。
これらの新たな「知識資本社会」では、先ず知の統合が必要です。均質集団のグループワークでは間に合わなくなり、むしろ多様なメンバーから構成されるチームワークを重視すべきです。「チーム(組)」には必ず目標があり、その達成のために必要な、異なる機能をもつメンバーを集めなければなりません。結果として、知の統合が実現されます。
音楽のオーケストラを想像して欲しい。美しい音楽を作り出すためには先ず、同じ楽器の奏者を多数集めるのではなく、多様な楽器の演奏者を集めることが肝要です。そして、それをまとめる有能な指揮者の存在が重要です。さらに、音楽から事業性を生み、社会に影響をもたらすためには、プロデユーサーが必要になります。これにも特別な才能が求められます。つまり、より高い質を求めるならば、多様な才能の結集が必要であるということになります。

渡辺:事業性や社会への影響に話が及びました。実際の社会において、多様性を推進する際に留意すべきことはどんなことでしょうか。

野依:経営者には大局観にもとづく秩序形成の覚悟が必要です。成り行き任せは、責任放棄になります。
日本には、美しい言葉をはじめとする固有の文化、誇るべき伝統があり、今後、国家としてその質を維持し、さらに高める工夫が必要です。歴史を学び、現実を直視し、その上で未来を見透さなければなりません。高い理念に基づく、一定の秩序を持った社会の設計が必要です。無計画な多様性推進は社会を混乱させてしまい、カオス化するだけです。
一方で、世界は多様です。旧態依然、外界無視の守旧にくみすれば国際社会から孤立し、衰退を余儀なくされます。日本社会が必要とする多様性の実現を阻むものは何か。頑なに古い体制内に逃避し変革を拒むのは、その恩恵を享受している階層の人たちの怠慢、安易な価値観です。
決して若者は内向き志向ではありません。もし若者に内向きの傾向があるとすれば、それは有名大学や大企業に所属する恵まれた環境にいる人たちのものであって、そうでない若者もたくさんいます。自分の都合だけでなく、日本国全体のことを考えて欲しい。多様性の社会的効果を最大限に引き出すべく、人々が条件の最適化する努力を怠ってはなりません。
美しいモザイク画を想像してみたい。作家の創造性ある構想に基づいて、個性ある様々な色の石やタイルが、最も適切に配置されています。全体の統合性が大切ですが、作品に特別の輝きを与えるのは、しばしば少数の異色な素材です。石材が変色するわけではありませんし、石材がランダムに存在するわけでもなく、互いの関係性が大切な役割を果たしています。素材の色調の明暗、連続、対照、また形の大小、対などが絶妙に整合し、調和し、配置された結果なのです。
これからの社会は、動的に集まる素材によるモザイク画に例えられるはずです。若い指導者層には、是非とも多彩な人々の特性を生かした、素晴らしい連帯社会を構想して欲しいですね。

インタビューの様子 野依センター長とダイバーシティ推進室 渡辺室長

渡辺:最後に、今の社会の私たちに対して伝えたいことはどんなことですか。

野依:私は「文化を尊ぶ文明社会をつくるべきだ」と主張しています。さもなくば、人々は幸せになれません。多様な個人の人権を保障すると共に、先人が営々と築いてきた民族の伝統にも配慮が必要で、政治、経済、軍事などの巨大な力が、これを蹂躙することがあってはなりません。
グローバル化した現代社会はあまりに、効率優先で余裕が感じられません。文化とはもともと非効率的なものです。厳しい時間的、空間的な束縛によって、人々の自由が削がれていることが懸念されます。
市場経済社会が、様々なモノをつくり、様々なコトをおこし、これらが情報ネットワークを通して全てにつながっています。何事もコンピューターに考えてもらい、ロボットに働いてもらうのが便利な社会だと勘違いしているようですが、果たして皆が望んできたものでしょうか。個人は外部環境に強く拘束され、価値観までも押し付けられます。内発的な意志は限定的です。さらにサイバー化が進めば、プライバシーも消滅するでしょう。変化の矢印は一方向で、ますます加速しています。本来の多様性の否定になるのではないでしょうか。残念ながら、この環境変化は簡単には変えられそうにありません。
時代は移り、環境は絶え間なく変化しますが、「人間性への回帰」、柔らかな動的平衡に基づく持続性(sustainability)こそが重要ではないでしょうか。

渡辺:様々な観点から多様性についてお話をしていただきました。その中で、野依先生の科学者としての多様性に対する強い思いをお聞きすることができました。どうもありがとうございました。

野依先生からのメッセージ動画も是非あわせてご覧下さい。<https://youtu.be/3mo_qOUJt8o>