94. 言語明瞭、意味不明

30有余年、勤めた会社の社長交代が発表された。
2,30人の会社なら社長交代で会社はドラステイックに変わることも起こりうるだろうが、大企業ではそうは行かない。2000年6月に就任し、6年「破壊と創造」を標榜して,松下グループを変えてきた中村さんの評価は高い。「松下の中村改革」、「中村邦夫、幸之助神話を壊した男」、「なぜ松下は変われたかー松下電器,再生への軌跡」などの本が出されている。それらでは、エピソードを軸にさまざまな分析が語られているのだろうが、ナノテクノロジーの情報の洪水に溺れてしまっている筆者は関心はあるのだが実は何ひとつ読んではいない(と言い訳しておいて)。

筆者は2001年の8月までの3年ほどの短期間ではあったが、指導を受ける機会に多く恵まれたので、中村さんから学んだことは少なくはない。そのなかでも、極めて大切だと今も感じていることをふたつあげたい。
ひとつは、筆者がある役員についての話をしたときの中村さんの「言葉より、意味が大事だ。彼は言語明瞭、意味不明だからね」と断じたことである。人間が組織を作ってバリューの連鎖を生み出していく、そのトップリーダーにはもちろんであるし、グループを率いてプロジェクトを成功に導いていく上でもリーダーにはこの価値の軸が重要と共感を持って聞いた。

二つ目はリーダーの覚悟を、本音で語ることである。目標は定量的に示せとしばしば言われる。確かにそうではあるが,定量的な数値があればそれで良しとせず、さらにその数値目標についても語るべきは大いに語らなければならないということで、これも共鳴できることであり、意識して実践もしてきたつもりである。

この二つに照らして少し気にしていることがある。
「大学には改革が求められている」という認識を否定する人は少ない。大学も、国の研究所も独立法人化が進められている。変化は身近にいたり、日常的に接していると感度が鈍って気がつきにくいといった面もあるが、変革につながることを言っているに違いない、「キーワード」が、ほとんどの機関が同じであることがまず気になる。更にキーワードはキーワードで止まってしまっているからだと思うが、いろんな解釈(意味合い)が聞こえてくるのである。ということは、言語明瞭でとまっている証と皮肉った見方が出来る。

たとえば、ある大学は3つの「きょうそう」を産官学の連携の方向性として打ち出している。それは、産業界の、グローバルな「競争」、大学における「共創」そして官の役割は「協奏」だという語呂合わせ(?)である(語呂合わせも関係者にとって有用であることは否定しない)。これでは、方向性に特徴があるとはとてもいえないのではと気になってくるのは筆者だけではないであろう。さすがといえばいいのかどうか、どこの大学もキーワードをはずしてはいないが、その意味すること(実質であったり、成果であったりすること、すなわち、その意味するところである)が極めてわかりやすく(ベクトルを示すということはそこまで行かないといけないはずである)説かれているかは心配なところである。

他人のやっていることは目に付くが、足元の「ナノテクノロジー」は大丈夫かといえば、この世界も「キーワード」の乱舞である。とは言え、残された2年の期間、全体像を見失わない領域の運営だけは努力したいことである。


                              篠原 紘一(2006.3.17)

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