92. 周回遅れは?

今年の冬は厳しい。雪の被害が例年と桁違いである。今年の雪の被害を伝えるニュースを見て20年ほど前に抱いた疑問に納得がいった。

有能な新人を職場に迎え、意欲的に実験が進んでいった年の冬。大学教授が訪ねてきて「入社したばかりで、非常識なお願いだが、息子の退職をお願いしたい」と、ただひたすら頭を下げられた。狐につままれたような話であったが、豪雪地帯で暮らしていくのには雪下ろしのできる屈強の若者が必要なのだと訴えられた。なぜ入社する前に決めなかったかを責めたが、会社の戦力になってからでは更に大きな迷惑がかかるから、戦力になる前にお願いしたと、そこだけ取れば正しい判断に思えて最終的に同意した。

雪によって(?)進路を変えられた若者は今も研究や、雪下ろしで活躍しているようであるし拒否しなくて良かったのだと思っている。確かに冬の厳しさは平野部に暮らしている限りは実感しにくく、つくばに来て4年たち、雪で土曜、日曜のテニスが出来ない経験をはじめて味わった程度のことである。厳しい冬もいやなことばかりではなく、アメリカ、カリフォルニアの透明感のある青空を思い出させるメリットもある。

正しい説明か自信は無いが、開放的な、明るいカルチャーは気候が創ってきたと言われるがそうかもしれないと、冬の日本海側の町を何度か訪ねて感じたことを思い出す。

アメリカ西海岸を頻繁に訪ね新たなビジネスをと開発側から働きかけてきたが思いの一部分しか実現できなかった。しかしCEO、CTO、CFO、エンジニア、研究者いろいろな階層の方たちとお会いし、すこしずつではあったが率直な意見交換が出来るようになって一番強く感じたことはほとんどの人が自分の意見を明確に持っていることであった。

日本とアメリカの差がはっきり現れる話であると実感したのは「組織(会社やグループなど)」の意見と「自分」の意見が違っているときの態度の違いである。

会社対会社でテーブルについているときの話は、個人の意見との差はさほど開いていないと見てよい。しかしランチやデイナーの時には隣のテーブルにライバル会社がいるときは、すぐコーションが発せられる。たとえば「隣はライバル会社の開発部隊だから、直近のホットな話題は出してはいけない」といった具合である。ところが5年後に技術はどこまで行くだろうか、技術の限界は近いだろうかといった議論になると、それぞれ自分の意見を言い出すのである。

どちらかというと日本の技術者は、会社の先々の話はしないし、自分の考えを述べることにたいしても臆病な人が多いように思う。このあたりの差が、技術者の流動性や、ベンチャー起業への取り組みにおいての周回遅れに繋がっているのではなかろうか。

だからA社に新技術を売り込みに行った時に、その技術に否定的であったマネージャーが、後にB社に移って積極的に推進する姿に、唖然とすることもあるが、自分のやりたいことができる会社に変わったといわれれば、そういうことかということも起こるのである。自分の意見を持てといっても、それが社会システムとしてサポートされていかないと、落ち着く先は現状維持にならざるを得ない。詳しくは知らないが、アメリカも自分の意見を明確に述べられるように大学で訓練されるようになったのは、教育の時間軸から言えば最近(30年に満たない)のことのようである。それまでは知識を増やす(今も日本はそれに近い)ことに重点があって、日本の大学生の比ではなくよく勉強したといわれていたが、自分で考えることが知的活動にとって最も重要であることに気がついて方向転換したといういきさつらしい。

ところが日本の大学の舵は専門力を高める(ことイコール専門知識を増やすということ)ことに、社会の需要があるとして一般教養を軽視するといったことになっていて、これは周回遅れではなく逆にトラックを回っている話で比較論で論じられる世界ではなさそうである。

アメリカのシステムが日本のシステムとして最も適しているとはいえないが、さまざまな要素が関連性を持ってシステムが成り立つのであるし、そのシステムが最高に機能するのであろうから、特許が重要だといって知財本部を作っても簡単に追いつけるものでもない。人材の流動性は、それぞれの人材が最も高く評価されるという理想環境に近づいていく流れの中で生まれてきている仕組みがあってこそであり、そこから頭の中にあるノウハウ流出はあきらめて特許によって保護できることはがっちり保護するという自己防衛からのプロパテント政策であり、「知財は重要」「裁判所も創りましょう」「いまや知財は取得の時代から知財ビジネスの時代だ」などなどキーワードははずしていないが質的に周回遅れが現場には依然として残されていると認識しなければならないように感じられる。

自分の考えをはっきり持っているということでは日本でも大学人は、ほとんどそうなのではなかろうか。だから安心とは行かないのは、独自でありさえすればいいわけでは無く、「国民の税金であられた知は、公共性がなければならない、大学が特許収入を・・・・・・・」といった論評を堂々といわれると、やはり周回遅れをイメージしてしまう。

なぜこういったことが起こるかは筆者にもよくわからないが、ひとつの大きな要因は永い歴史的な背景から、平均値からのブレが少ない社会であったことで、平均値が大きく動かない限り自分のこととして事をとらえる、いわゆる当事者意識がアメリカなどに比べて希薄だからと思えるのだがいかがであろうか?

様々な事で周回遅れが起こることに時間がかかっても手を打たないと、ナノテクでは負けないといった個別の競争力だけでは立ち行かない差がついているように感じる。そうは思わない!もちろんそれもひとつの意見ですが、当事者意識は????


                              篠原 紘一(2006.2.17)

                     HOME     2006年コラム一覧          <<<>>>