87. 日本の大学の役割?

都市部では与謝野晶子が詠んだ「金色の小さな鳥の形して銀杏散るなり夕日の丘に」を思い出させる季節の変わり目である。11月末、アメリカのイエール大学のケビン学長の講演を聞きに東大本郷に出かけた際も、金色の鳥の乱舞や、ゴールドカーペットさながらの光景が印象的であった。
が、さらに印象的だったのはその様子をカメラに収める人たちの大部分は携帯電話をつかっていて、デジタルカメラを使っている人がわずかで、フィルム式カメラはそのときは皆無ということであった。

自然現象は地球規模でやんでいってる部分ももちろんあるがおおむね繰り返されているが、人々が使う道具は好ましいかどうかは別にして繰り返されることはほとんどない。広い意味での人工の道具立てが自然環境にも影響を与えていることも、時折気づかされる時代である。講演会はといえば、これもいくつかの点で印象的であった。

講演会は理学部の一号館の中の「小柴ホール」で行われた。200人ほどの人が、大学が担う役割とイノベーションの重要性について強調する示唆に富む話を熱心に聴いた。
聴衆の中には小宮山東大総長をはじめ、多くの著名な先生方もおられたようであるが、雰囲気はアットホーム的であったのは、東大とイエール大学の間の長い交流から生まれた絆が土台にあるということなのだろう。

ケビン学長はアメリカの大学でも珍しいくらいの長期間学長職にあり、その間絶えず変化を起こしてきたということで、その経験と、ミクロ経済学者として研究してきたイノベーションに焦点を当てた講演内容であった。
アメリカでは経済成長において、特に新しい産業を起こしていく基盤つくりに対して、人材の輩出はもちろん研究面でも貢献してきた大学の姿があるということに誇りを持っていることが印象的で、日本の大学もそういった役割を担うように変えて行って欲しいとエールを送っていた。日本の強みを分析されていて、90年代以降の日本がかつてのような勢いを取り戻すために、ものづくりに誇りを取り戻そうと言うのはそうかもしれないし、ナノテクノロジーはその観点からも重点推進を継続すべきであろう。が話の中にあった、新しい産業分野では多くの場合後追いであるのがやはり気がかりで(最近何かと国内では話題の中心にあるITがそうであって、そのハード面、特に部品デバイスでは力のあるメーカがあるものの、新分野の方向性は日本がリードできてはいないといったようなことが目立つのである)、そこの部分に、産学連携が切り込んでいくことを期待したい。

産学連携はできることからやったらいい部分も多くあるのは事実(それはこれまで連携があまり無かったのだからであって)であるが、もっと長い時間軸で日本の競争力をどうして行くかについてもメスを入れ、具体的なアクションプランがうまれ、実行されていくことを切望する。 

 大学が見える形で変わっていくのは容易ではないし、そうしたものであることが理解されないで批判の声が数年もすれば上がってくるのだろう。
「独立法人化で何が変わったのか?」と。(今の時点で東大関係者に見える形で変わったのはと尋ねたら、8月末に小柴ホールのあるビルの入り口にオープンしたドトールと、安田講堂の隣にあるローソンを自虐的にあげる人もいるかもしれない)迫力ある答えがすぐでないのは、イエール大学の学長の講演の結びの言葉「Only  time  will  tell.」が的確に物語っている。辛抱強く、バランスよく社会と呼吸しながら大学が正しい方向に変わっていくことを期待し、見守りたいものである。

《無関係の?後日談》

 東大の銀杏といえば・・・・・・、銀杏(ぎんなん)をあつめてたんぱく質を研究した日本人初の女性の農学博士、辻村みちよさんの紹介記事が(Science & Technology Journal,11月号の探訪、科学者の史跡G)目に留まった。
緑茶の化学成分を明らかにした、研究一筋の人生であったが、なんと60歳でやっと理化学研究所の研究員になったと言うエピソードを知ると、いまどきのポスドクは恵まれていると言う人がいるだろうが、ベテランも若い研究者もより元気になる環境の工夫は時代とともに続けていきたいものである。


                              篠原 紘一(2005.12.9)

                     HOME     2005年コラム一覧          <<<>>>