83. 2007年問題

 人口減少、高齢化、日本の競争力の低下、などさまざまな問題が希望を持っていきることに影を落としている。そんな中で最近マスコミでよく聞く話のひとつに2007年問題がある。いくつかの側面があると筆者は考えるが、マスコミでは、ほとんど、団塊の世代の大量定年の問題として捉えられているようだ。
第二次世界大戦後のベビーブーム世代(1947年から1951年までに生まれた人が対象である)が順次定年を向かえ現場を去ることから生じると予測される問題なのである。年金を支えてきた人が受けとる側にシフトすることひとつ考えても差し引きの影響は大きいと声を張り上げる人もいる。しかし、声の大きさに乗ってしまうだけでは本質は見えないので、ぜひトータルで考える癖をつけたい。

まだ、具体性は見えなくてもシルバー市場の活性化の機会にしようと新ビジネスの提案を画策していると言った側面もあって、悲観論だけでもないのも確かであるからである。これらについてシステマテイックな議論ができるだけの関連知識を筆者は持っていないのでコンピュータの問題としての側面に焦点を当てて気がついたことをすこし述べてみたい。


2007年問題はコンピュータに社会システムが強く依存するようになってきたからこそ起こってきた問題として捉えるべきで、コンピュータが驚くべき速度で性能向上してきたことが、ハードとソフトは車の両輪である言われているバランスを崩したために、コンピュータの利用現場での問題をさらに複雑にしてきたように見えるのである。
すなわち、大都市の電力消費量にパソコンの消費電力増と、パソコン普及率の増大が重なっての停電騒動とは違った質の問題を解いていかなければならないのだと考える。

コンピュータの問題でまだ、記憶に新しい問題として2000年問題があった。この問題はいまどきのパソコンを使いこなしている人には想像しがたいことであるが、大型コンピュータ[いまや職場はもちろんのこと、家庭にさえもパソコンがあふれているが、ほとんどの人が眼にすることはないメーンフレーム、とかオフコンといわれるコンピユータで、なんと言ってもIBMブルーに彩られた最先端の計算機であり続けた時代があったのである]が、企業内のシステムの中心として活躍し始めてしばらくの間は、主要な機能を受け持つハードデイスクが極めて高価な貴重品であった(次世代DVDは統一が難しそうだという話題で注目されている、ハイビジョン記録対応の容量帯にあたる20GBクラスのハードデイスクであれば 秋葉原で1万円出せばおつりが来るご時世である)ことから生まれた知恵があだになった(?)問題であった。

企業での日常の業務の多くは時間軸の上で、記録され、処理が行われていく。西暦1950年は50として扱うルールであった。これで4ビット得をするという切ないばかりの容量の節約でも重要なほど効果であったということである。さて2000年。これは00で表示すると1900年とダブルことになる。はっきりはしないがシステムトラブルが起こるかもしれない。何が起きるかも確信が無いから対応もすっきりしない。しかし、2000年の元旦に、おのおのの現場責任者は2000年問題についての報告を求められた。
結果は杞憂に終わったと言えるが、のどもと過ぎれば熱さ忘れるで、気がついた人は多くいたはずなのに、2007年問題に対する備えはどうやら不十分だったらしい。端的に言って、潜在していた2007年問題の顕在化は大手銀行の合併に伴う口座処理に起こったトラブルでも証明されてしまった。

この修復に当たったエンジニアの中心が団塊の世代だったという実態がある。その人たちが、現場を去れば、どうするのかという問いかけなのであろう。しかし、組織で仕事をするということは個人依存度を最小にして仕組みを機能させることにあると考えられてきてさしたる間違いは無かった。
この考え方は追いつき、追い越せで、高度成長を獲得した時代までは良かった。しかし、決して短くは無かった過渡期を経て、グローバルに競争が広がり、見本の見当たらないフロテイアに押し出された今は、個人依存度が、いやが上でも高まる方向にある。2007年問題は日本の競争力をグローバル相手に、再び高めていく上で、問題の本質を捉え解決していく絶好の機会としたいものである。

世代ギャップや,定年退職者の多い少ないの問題だけではないのだと感じるからである。確かに走りながらの企業内システムのバージョンアップは、統一思想を貫くには困難があって、結果的に異なるソフトのつなぎがうまくいかずに、ノウハウの継承が内在問題として今日まで尾を引いたものと判断される。
ソフトにまつわるノウハウはもの作りのノウハウよりもある面で難しいように思える。データベースを創っていけば、かなり改善されると言うことでもなさそうなのである。

暗黙知の議論はさておき、形式知だけであっても、つながっていく特殊ではないシステム構築が求められるのであろう。科学技術の進歩にとってコンピュータの計算能力アップはいくらあってもいいのであって、スーパーコンピュータもふくめ、まだまだ今の原理のままの[量子コンピュータのようにまったく異なる原理のものではなしに]進歩が競われていく。
台数ベースでみてもパソコンはなんと3億台に達するまであと5年かからないとの予測もあるように、好むと好まざるとに拘わらずコンピュータ依存はますます強まる社会なのである。

10年後には日本では2015年問題が控えているという。日本の人口構成は65歳以上が増えていき4人にひとりになるとの読みである。人口減少も含め大きな問題だとしても、日本の競争力が弱まる言い訳にしてはならない。世界を相手に、存在価値ある国として進化させていくために、わかっている問題には、主体性を持って備えをしていきたいものである。



                              篠原 紘一(2005.10.6)

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