54. 日本の行く末

国立社会保障・人口問題研究所の発表によると日本の人口は2年後をピークにして減少に向かい、2050年には1億59万人(こんな精度の意味があるのか?)(高齢化も深刻で65歳以上の人口は35.7%のウエイトを占め、50年間でほぼ倍増である)2100年には6000万人の水準になる(3000万人台との予測もあるようである)。
人口維持に必要とされるいわゆる出生率2.08がかろうじて維持されていたのは1970年代の前半までであった。じわじわここ30年間低下してきたものの、21世紀に入って横ばいとの政府推計と実態はちがっていたということらしい。まだ減少が続き最新の統計では出生率は1.29になったとのことである。

年金問題が深刻化する大きな要因としてこの問題も改めてクローズアップされているが、それにとどまらず『持続的進展社会を』『科学技術創造立国を』『安心と安全に暮らせる日本に』などの根幹が揺らいでいるのである。身の丈にあった国家ビジョンを創り直すということなのだろうか、2030年ごろの日本の将来像を描く『21世紀ビジョン』を策定し、内閣府の諮問会議で今年度中には最終決定するとの動きがある。

世界を見渡してもモデルにしたい国があるわけではなく自力で地に足の着いた理想国家像を描くのは容易ではないだろうが一度作れば後はしっかり議論し必要なら修正を加えていけばいいのだから新ビジョンに期待したい。フロンティアに押し出された上で国際競争にさらされ、やっと低迷を脱したかに見える産業界の現況に確信がどれだけもてるかといった問題にも共通した懸念は正直言ってある。

そうは言っても天然資源に恵まれていない日本は人間力を鍛えて競争に打ち克っていかないといけないといった基調は変わらない。人がベースであるから人材育成論はさまざまな場面で強調される。『じんざい』のかな漢字変換では人材しかでてこない。民間企業に勤めていたときに、『じんざい』は3つのタイプに分かれるとの議論を時折したことがある。
それは人材、人財、人罪である。人材以外は造語になるのであろうが、新聞などで人財といった表現はまれに見る。それぞれの意味するところはわかっていただけるのではなかろうか?関連用語について、広辞苑から転記すると、『人材』は才知ある人、役に立つ人。『材』は用いて役に立つべきもの、役に立つ能力またはそれを有する人。『財』は価値のあるもの、人間の物質的、精神的生活にとって何らかの効用を持っているもの『罪』は法に触れ罰せられる行為、過ち、悪い点、仏教で悪い果報を生む要因とある。人材と人財に大きな差はないのかもしれないが、人は本来才知のあるなしにかかわらず、存在そのものに価値があるというベースで理解すべきであり、価値として差のない部分と、努力することで磨かれていく部分とがあることを、小学校の低学年から理解させる教育もいるし、大人たちも行動を通して子供らに見せていくことが大事になってきていることを、悲惨な事件の報道に接するたびに思う。
一方の『知財』はどうかといえば、科学技術に携わるものはむしろ『知材』として捕らえるほうがいいのではないかという気がしている。知識、特許、著作権、商標などのすべては一度価値を認められたように感じ取れるが、世の中の役に立てるという観点から見ればそれぞれは、不変的な価値を持つわけではなくて、極論すればジャンクに過ぎなかったといったものも決して少なくはないといえよう。知識も、特許も新たな付加価値を生むための素材なのだとの認識をしてそれらを活かすことがだいじなのであり、その意味からすれば、やはり『知財』ではなくて『知材』なのではなかろうか。


参議院選挙の結果は投票率が下がったがやはり、小泉政権に対する不満の表われと見ていいのであろう。なにやら政局が動きそうな雰囲気が強まっていきそうであることをマスコミは強調しているが、投票に行かなかった50%あまりの国民も含めて、日本人が日本を誇りに思えるようにならない限り、日本の行く末に付きまとう不安は解消されていかないのであるからそれぞれが日常の場で努力する姿勢を持ちたいものである。。

                                  篠原 紘一(2004.7.12)

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