47. 油断と予断

 昨年の12月1日、地域限定ではあるが、地上波デジタル放送が始まった。
今年に入ってデジタル家電が引っ張るデジタル景気であるとか、新3種の神器(デジタルカメラ、DVD,フラットテレビをそう言うらしい)などの表現をよく見聞きするが、地上波デジタルの反響はほとんど聞こえてこない。
もちろんデジタル技術が広範囲に浸透し、産業をしっかり支えているのは間違いないが、一方で電子の目といわれるCCD素子は、携帯電話にまで入ってきており、生産が追いつかないという。
この素子はれっきとしたアナログ技術である。デジタル景気を支えていくアナログ技術の代表選手なのである。

デジタル時代というとデジタル技術のみでことが成り立っているような、技術決定論的認識は危険である。
とはいえ、デジタル化の流れの中におかれていることは確かで、地上波がデジタルに置き換わっていくということも大きな変化である。
この4月に実施される大学などの独立法人化と同様に扱える話題ではないが、共通的な課題も垣間見える。まずは導入に当たっての基本的な考え方や、具体計画、課題などについてである。
中でも、いつ、何をゴールとするかが問われたときに、その結果が世の中に与えると予想されるインパクトである。そのとおりになるかどうかは別にして、推進する主体者は、信じるところを、推進に疑問を抱いている人たちや、恩恵を受けると思われる人たちにわかるように説明し理解を求めることがいる。これは社会から求められているいわゆる説明責任の中で最も難しい説明であろうが、逃げるわけには行かない。

2000年の12月1日にBSデジタル放送が始まって3年が経過しているが、推進側の、予想、目標を大幅に下回った普及度合いのようである(だからといって、地上波デジタルを短絡的に悲観視することも無いのはその通りだろうが、抵抗勢力(?)は当然そこをついてくる)。
BSデジタル放送はNHKと民放の5局が放送を続けているが、高画質の値打ちが出る、内容(コンテンツ)の番組を用意することは容易ではない(特に民放は)ようなのである。
NHKは国民から視聴料を徴収して運営費にあてているが、それだけでは無いと思うが、民放は荒っぽい言い方になるが100%民間企業なのである(厳密に言えば、国の補助金は出てはいる)。今のような超低成長時代は赤字を垂れ流し続けても理想の姿を追い求めることはやりたくてもやれるものではない。
現状使われている電波帯域内のアナログ・アナログ変換をやって電波の帯域に空き地を設けて、情報量の多いデジタル放送を入れ込むといったステップを踏む必要があるのだという。したがって、限られた地域から、徐々に導入域を広げていくという日本のお家の事情の制約を受けた切り替え方になるのだという。

ところがその先には(2011年にはやりきるという計画になっている)、現在の地上波のアナログ放送は打ち切られて、何もしなければ(お金をかけるかけ方にはいろんな選択肢が用意されるとは思うが)家庭からテレビが消えることになるという過激な言い方がある(そんな文化の根幹にかかわるようなことがあっさり起ころうはずは無いとも言えるが)。
そのころには、インターネットでコンテンツを楽しむ方がメジャーになっているという有様にはならないとの技術的な結論があると自信を持って言い切る関係者もいるが、国民が何を受け入れるかは予断をゆるさない気がしてならない(インターネットが社会インフラになるなどと予想しえた人はいないように)。関係者に過信はもちろんのこと油断があってはならないと思う。

これに似ているように思えるのが科学技術予算に対する手厚さと、期待と、グローバル大競争の顛末の関係であろう。来年度の予算は税収入が更に厳しい展望だといいつつも、知をベースに戦う以外に選択肢の無い日本ゆえに、前年度当初予算比較で、科学技術に対しては4.4%上積みがなされている。優先順位づけもされ、より納得度合いを高めての推進への移行も試行されている。
このような追い風の下ではあるが大学の独立法人化は、大学自身が変わることで、産業界や社会との関係も変わっていく。平たく言えば、多くの社会要素がそうであるように、競争原理が導入されるということである。競争で勝ち続けることを困難にするのは人間がともすると過去の経験にひきづられ油断や予断に陥りやすいことにあることを意識して対応していきたいものである。



                                    篠原 紘一(2004.3.12)

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