45. 200億円の衝撃

 1月30日、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、中村修二教授が、日亜化学工業に勤務していたときの職務発明に対する、「相当の対価」が、604億円であるとし、請求金額の200億円の支払いをメーカーに対して命ずる判決が東京地裁によって下された。
その前日には、日立の元社員の光ディスクの読み取り技術に関する特許報償を不当とする訴えに対して、東京高裁は約1億6000万円の対価を認定した。

いずれも結審ではないが、日本の特許評価の軸が想像を超えて大きく揺らぎ始めたエポックといえよう。
ここ当分この話題は、いろんな場面でなされると思われるが、今の段階では、おおむね研究や、開発に携わる人たちは歓迎で、経営側はとんでもない、話にならないと(あからさまにはこんな言い方はしていないし、コメントできないというコメントがあるくらいであるが、後で述べることからの筆者の推察である)いう状況で、知財でのプロパテント政策、TLOなどで先行しているアメリカは口あんぐりということらしい。

アメリカは契約社会であるから当然「相当の対価」などという決め方は理解できないであろう。今回のニュースは実感できる域をはるかに超えていて、ブラックジョーク的に研究現場や、開発現場で使われているかもしれないが、少なからず企業に身を置く(あるいは置いた)技術者の家庭では、妻や子供から「お父さんにはこんな話はないの?百分の一でも千分の一でもいいから・・・」と聞かれたのではないだろうか(もちろん、答えはさまざまであったろうが)。
これだけ極端な話は、微妙なニュアンスなんてものではないから争点はわかりやすい。わかりやすすぎて、直感的に感じたのは「成功報酬」と対になって議論されるべき「リスク」が見えていない点である。
これから上級裁判で更に争われるので、その過程で議論され判断が下されるのであろうが、法律を勉強したわけでもないし、今回の判決文の全文に目を通したわけでもないから、ややフォーカスポイントがずれているかもしれないが、しっくりしないと感じている点をあげてみたい。

当事者間では十分話し合われたが折り合いがつかず今日の状況にいたっているのであろうが、成功を金額としてどう見積もるのか、その成功がもたらされる過程で、基本的な発明がどれだけの貢献度合いなのかを評価することは簡単ではないはずである。

成功報酬部分で、例えば、他社からのロイヤリティー収入がある場合は、算出しやすい。しかし今回のケースは他社に実施させず事業の寡占化を目指した経営戦略を取っているようであるから、直接発明がもたらした利益は見る方向(経営側、と技術者側)で大きく差が生ずるのは当然であろうと思う。

というのは、筆者の知人が定年後もある会社の顧問契約を結んで活動していた際に、固定収入は極端に減らして、成功報酬で契約して仕事をし、大変スリリングでやりがいも大きくなったと語っていた例にあるように、リスクと、成功報酬は基本的にはこのバランスが作用するからである。リスクに依存しない(といっても厳密には赤字が続いて給与がきちっと支払われないようなこともあるが)給与で生活を組み立てながらの仕事の中で生まれた突出した成果に会社がどう報いるかということを真摯に思い図り実践していれば、技術者が会社を相手取って訴訟の場で解決を求めるようなことはおきにくいと考える技術者のほうが今でも大勢を占めているように感じている。


別のリスクは、今回の判断が未来の成功も大胆に予測してその、数字を使っていることである。簡単に言ってしまえば、強力な事業の競争相手は、この発明によって将来も現れないと言い切れるかといえば、それはずいぶん楽観的である。事業は既存のギジュツとの競争(激しい抵抗といっても言い)もあり、青色LEDでのこれまでの日亜化学工業の成長カーブを単純に外挿しているとしたら、そこに含まれるリスクの責任者は誰なのか?判決を下した裁判所は役割を果たしているだけで、当たり前であるが、仮に日亜化学の快進撃が止まっても責任は取れない。
今、民間企業はIBMのような知財体質になりたいものだとの思いで課題と取り組んでいるはずである。そのような状況の中で今回のようなケースをどう考えるべきかはすぐに答えを出せない重い課題であろう。

しかしこの問題は、経営側と社員の対決構図でのみ議論すべきことではなく、グローバル競争時代に入り、且つ競争相手の変化も激しく起こる時代にあって、事業を成功に導く重要な役割をになう技術者が世界相手に戦う気概を持てる環境を時代と、日本の社会、風土などを加味しながら以下にタイムリーに提供していくかを経営側は腐心し、技術者側は決して内向きに競争するのではなく戦う相手を世界に求めて、早く世界に伍して戦える自力を付けていくことである。

どこへ行っても通用する力があれば、環境の改善速度に我慢がならなければ、中村教授が力説しているように、確かに日本に固執することはないのである。
ただ今回の衝撃の中で一番素朴な疑問は、中村発明に負けた技術者は何を思っているのであろうか?ということである。大反撃に出る開発に没頭している技術者がゼロでないことを勝手に願っている(そのほうが面白いというのは不謹慎で野次馬根性丸出しかも?)。




                                    篠原 紘一(2004.2.13)

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