42. 波及効果は

 昨年のノーベル物理学賞受賞者の小柴先生が、「ニュートリノを観測できたからって世の中の役には立たない」とよくおっしゃる。
これだけを捕らえてどうこう言うべきではないのだが、「世の中が期待するようなことに対して(特にすぐ利益に結びつくような事業が生まれたりするといったこと)は、直接的には役に立たない」と理解するべきであろうが、先生の言い回しだけではやはり説明不足であって、したがって誤解を生む。

その一方で、小柴先生の関係する、大型プロジェクトに対して総合科学技術会議がランク付けしたところ、最低のCランクであったことに合点がいかないと、直談判に及んだこともニュースになって、なぜ役に立たない研究に前倒しの予算をつける必要があるのかという声が、誤解を基にしたものであっても出てくるのは無理も無いとも言える。

基礎研究がすべて波及効果が大きいとはいわないが、インパクトのある成果は、実用に直接貢献するとは考えられないまでも、波及効果はきわめて大きいといえる。ただ、波及効果といってしまうと、なにか実態の無いように感じるのは、電子を粒子として考えると原子模型もわかりやすいが、むしろ波の性質があるから、量子コンピューターが考えられるのだが、波というと、シュレディンガーの猫が生きている状態と、死んでいる状態の重ねあわせがありうるなどといわれ量子力学がわかりにくくなるのと似ているような感じもする。
そうは言うもののあえて、波及効果の例を挙げてみたい。

企業の研究所で世話になった先輩が、テレビ受像機に使われるいわゆるフライバックトランスの開発において経験した話である。
このトランスは100ボルトから電圧を3万ボルトまで高め、電子を加速して蛍光物質に当てることによってカラーの画を出すために使われる。不燃性であって絶縁性能に優れた絶縁油の開発で、扱いなれていて、本命と考えた塩化ジフェニルでは高温の寿命試験に耐えなかった。

開発は停滞し、テレビ事業が会社を引っ張っていた時代であり、極めて重要なデバイスの開発のめどが立たない状況に苦しんでいた。そんな矢先風邪をひいてしまって臥せっていたところへ、郵送されてきた電気学会誌をパラパラと目を通した時に、「シリコンオイルの高周波絶縁破壊」の研究論文が目に留まった。材料の値段は塩化ジフェニルの50倍をくだらないシリコンオイルの物性が優れているのは承知していたが、使ってみようとはならなかったオイルの研究である。しかしこの時は「これだ!」と感じたという。

「学会でお世話になっている先生が、これを使ってみたらどうか」といわれているように感じ、すぐ試作をして、テストをすると「最高!」であった。しかしである、オイルの量を減らす設計をいくら工夫しても、短期にコストの課題に見通しは立たない。しかし逆に、あれやこれやでバランスを取る開発よりも、性能はさわらなくてもよく、コスト課題に集中できるのだから、正直に事業サイドに話をしようと決めて、テレビ事業部長にあった。
いくつかのやり取りがあった後事業部長は「わかった。品質は絶対、価格は相対だ。シリコンオイルを使うことでそんなに品質が向上するなら君の方針で進めてください」と。
この「至言」は関係者のその後の努力で実証され、更にその、英断と努力に対して大きなご褒美(?)までが用意されたという。それは、シリコンオイル式のフライバックトランスの生産開始後一年ほどたって、塩化ジフェニル(PCBである)を使って作られたコンデンサは、優れた特性ではあったが、PCB公害として社会問題になって、工場で使用しているものまで回収する騒ぎになったのである。
テレビは家庭で使われ、その台数も桁違いに多い。研究開発活動は、技術的な側面で成功であっても、社会的には失敗と評価されてしまうこともある。この開発物語において、「シリコンオイルの高周波絶縁破壊」の基礎的な研究論文のもたらした波及効果は極めて大きなものがある(確かに先輩が、塩化ジフェニルを使いこなしてしまっていたら、波及効果は結果的に無かったともいえようが)。

やはり、ここでも「人」がキーになっているとも言える。誰がいつ、何をやるか、どうやるか、それらの、研究人生、開発人生がどう交差するかは筋書きの無いドラマである。ある割合で交差したところでクリエーションのトリガーが生まれる。これこそ波及効果のエッセンスであろう。先輩から聞いた話は、30年前に起こった話である。

今は技術の負の側面にも目を向けて開発が進められるようになってきているとは言うものの、ナノ材料は、初めて人工的に取り扱われる材料である。産業の救世主に育てるには、先輩の言っていた「努力と幸運」を内蔵した成功こそ、歴史の評価に耐えうる成功といえるということを、肝に銘じて、成功例を積み上げていくことが大切なんだなと、先輩のことを思い出しながら感じている。


                                                 篠原 紘一(2003.12.19)
                                                   
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