37. 国際会議

 1979年の7月、ニューヨークのスタトラーヒルトンホテルで開かれた、インタマグ・3M コンファレンスに、マイクロカセットレコーダー用の音声記録テープを電子ビーム蒸着技術で作製したことについて発表するために参加した。
初めての海外出張、飛行機に乗るのも初めて、国際会議の発表も初めてと初づくしであったので、現地会社に出向している日本人にアテンドを頼んだらどうかという上司の進言を受け入れずに、無謀に(?)単身アメリカにとんでいった。今は無いパンナムの直行便でケネディー空港に降りたち、タクシーに乗ると空港の周りを回っているようだったのでわめき散らしておろしてもらって別のタクシーに乗りなおして、ホテルにたどり着いた。最初からトラブルだったのにもかかわらず、変に自信を持ってしまってニューヨーク滞在の5日間を十分に楽しんだ。

世界を大きく変えるきっかけとなった、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁の崩壊が1989年のことであるから、1ドルも360円であったし、海外出張もまだ珍しい時代であった。会社の、上司や仲間とともに、空港に見送りに来て自作のお守りを渡してくれて、涙ぐんだ娘も今は1児の母であり、隔世の感が強い。

国際会議でのプレゼンテーションはすべてスライドで、青に白抜きの文字で構成したスライドがおしゃれかなといった程度で、レーザーポインターはまだ出現していなかった。カタカナを読み上げているような発表も少なくなかった。発表は堂々としていても終わったとたんに聴衆から質問の手が挙がると、もうお手上げという顔に変わるのがほとんどで、チェアマン(女性の学者もこう呼んでいたが、差別だとか言うことになって、やがてチェアパーソンというようになった)に助けてもらう光景が常態であった。

まだどちらかというと日本人は日本人で固まって行動していた時代だった。餞別を頂いて、お土産をどっさり買ってくるということも、今は無くなったし、珍しいものはほとんどなくなってしまっている(国際会議がよく開かれるような国からの土産としては)。物も、情報も地球規模に拡張されたネットワークに乗って行き来する時代なのであるから当然のことであろう。発表がすんでからは、聞きたい講演以外はニューヨークを調査(電気店やデパートの電化製品売り場もふくめ)の名の下にうろうろした。学会を終えて、サンフランシスコで一泊し、デンバー経由で、有村、高橋さんたちマラソン選手が高地トレーニングによく利用するボールダーに向かった。そこには、IBMのテープ部門があったからである。

コンピュータはメーンフレーム全盛時代で、外部記憶装置に使う、高信頼性のコンピュータ用磁気テープは実はIBMとして内製をしていて、隠れたテープメーカであった。実は、真空蒸着で優れた磁気特性を得るには、IBMの基板に対して斜めに蒸着する技術が特許になっていて、その原理を応用して実用性を高めたことを(インタマグの発表では詳細を発表していない)発明許に伝えるために、先輩に紹介してもらって、ここも単身乗り込んだのである。

残念ながら、発明者(3人)はそのとき既にIBMを去っていたが、案内されたAVルームには20名ほどの聴衆が控えていた。30分話をし、30分コーヒーとクッキーを楽しみながら、囲まれて質問に答えた(つもりである)り、意見交換した(つもりである)のち、ディビジョンを案内していただいた。見学コースがあったことや、磁気カードによるセキュリティーシステムがあったのには、ただただ驚いた。

感激したのは、シリコンバレーにあるIBMの研究所からわざわざ磁気記録の大御所の研究者にお越しいただき、テープ部門を出てから、夏でもヘッドに雪を積もらせている山も見える、コロラド山脈を眺めたり、ボールダー市内や、郊外、近郊の町を車で案内してもらってホテルまで送っていただいたことである。

英会話の実力の無さを度胸でカバー(?)してのアメリカ出張(帰路途中ハワイに寄った・・・・こんなことが決裁される時代であった)は、多くのフレンドリーな人たちと出会ったことでいっぺんにアメリカを気に入って(こういう人が日本人には多いらしいとの分析があることを後で聞いた)終わった。


今は、日本でも頻繁に国際会議が開かれている。途中の経験が少ないので変化の過程は理解できていないが、今は、スライドは消え、OHPも少なくなり、ノートパソコンとプロジェクターの組み合わせが圧倒的に多くなっている。レーザーポインターもある。日本人もだいぶ英語になれてきている。道具建てがよくなって、理解しやすいプレゼンテーションが増えているのは間違いない。
が、中には、レーザーポインターをスクリーン上でくるくる回す癖のある人や、大きい会場なのに、文字サイズが不適正であったり、色の使い方でS/Nが悪くなっていたり、改善が必要なことも残っている。
いずれ3次元ディスプレーが駆使される時代もこよう。道具の進歩をうまく生かすことでナノテクノロジーのように、直接認識しにくい世界を理解することは有効であろう。

しかし、なんといっても、プレゼンテーションに求められる本質は、どこに独創があって、何が期待され、何が課題なのかが明確で、長い(よりは短いほうが一般には好まれるが)か短いかよりは聴衆をひきつける中身かどうかであるのは言うまでも無いことであるが、この切り口で見ると、まだまだ工夫が必要と感じる機会も少なくない。

                                              篠原 紘一(2003.10.2)
                                                   
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