33. 学術論文のミス

 この話は、筆者がかかわった商品を研究対象にし、米国の名の通った学術論文誌に(当然査読がある)、名の通った大学の先生が投稿した論文の話である。
研究対象は市販品のデジタルビデオカメラ用の磁気テープである。このテープはポリエチレンテレフタレートフィルム(PET:ペットボトルで親しまれている素材である)の表面に、金属のコバルトを、真空蒸着して製造される。保護膜としては10ナノメートル程度のダイヤモンド状カーボン膜が使用されている。
この論文は走査型電子顕微鏡、透過型電子顕微鏡、エックス線電子分光法、オージェ電子分光法などを用いてテープの解析を行ったものである。分析、評価は、よい精度でなされていて、示されたデータは、多くの分析、評価データを持つ製造現場の認識とよく一致していた。

しかし、考察と結論に無理があり、製造プロセスを理解していれば、こんな方向にはなら無いといった論旨の展開になってしまった箇所がみられた。それは、厚み方向に積層された構成からなる磁気テープの表面から厚み方向に調べられた元素の相対強度分布をどう理解したかというところで誤った技術推定をしてしまったということである。
分析された元素は、炭素、コバルト、酸素である。どのメーカーも酸素を導入しながらコバルトを蒸着しているから、酸素と、コバルトは深さ方向に均一な強度ではないが、蒸着薄膜内のどこでも検出される。コバルト蒸着の後でダイヤモンド状カーボンからなる保護膜を形成するから、当然保護膜には炭素が検出されるが、基板であるポリエチレンテレフタレートが有機物であるから炭素が界面において急激に立ち上がる形で検出される。問題は酸素の深さ方向の分布である。これは、コバルト蒸発原子が空間分布を持つことと、基板が冷却された円筒の側面に沿わされて運ばれる間に限られた空間分布を持ったコバルト原子のPETフィルムへの衝突に伴ってコバルトと酸素が共存して膜成長が進むメカニズムから、酸素は表面側(蒸着が終わる位置)と基板との界面側(蒸着が始まる位置)の2箇所でピークを示す分布になる。

論文の著者たちは、基板と蒸着したコバルト膜との界面近傍に存在する酸素は、5ミクロン程度のPETを透過した水によってコバルトが参加されたことに起因していると考察して結論付けたのである。これが支配要因で無いのは説明したプロセスから言っても、経時変化を見ても分析限界内の差しか検知されないことからも明らかである。
この結論を導くには分析、解析が不十分であることは別にして、これまでの学術論文の多くは(民間企業の機関から出される論文は別にして)、先行調査が論文に限られていることから(したがって、引用されている資料に特許広報が入っていることは皆無に近い)防ぐのが困難であったミスだったとの見方が出来るのかもしれない。
デバイスなどに関する論文は、企業が公開する情報は公共機関の公開範囲と異なって当然制限を受ける。いわゆるノウハウといわれる範囲の情報の漏洩には細心の注意が払われるから、論文査読の過程でノウハウに属する情報の公開を求められた場合でも最小限の対応で切り抜けているのが実態である。
しかしながら、どちらかといえば特許から得られる情報にはノウハウに属する情報も含まれることが多いといえるのは、広い権利範囲を取るために、多くの実施例を記載することが多いからである。先行調査に特許が含まれれば、ここで紹介した事例は防止できた例であると言い切るのは、それでも難しい。というのは、特許の調査はそれはそれで大変だからである。

米国の方が、日本の大学人の特許意識より進んでいると(TLOベースで考えても10年以上の差がある)いうけれども、企業人のマインドと比較すると、やはりアメリカの大学でも学術論文と特許は別物として扱われている気がする。

しかし、流れとしては基礎研究においても特許と絶縁状態で進められることはなくなっているし、むしろこれからは社会還元に対して強まる要請から、より特許とのかかわりが強まる傾向にあることから、市場から入手可能なデバイスなどを研究対象とした、泥臭いが実用観点からは有用な研究に関する学術論文に発生するミスは減っていくことが期待される。
科学知識は、優れた研究によって往々にしてひっくり返るが、それをミスとはくくってはいない。それは科学の進歩にとって本質的なことだからである。


それにしても、昨年伝統ある、多くの研究者の憧れの研究機関であったベル研(今はルーセントテクノロジーの研究所になっているが)での“論文捏造事件”はナノテク、ナノサイエンスの関係者にとっても残念極まりないことであった。それに比べれば、このコラムでの紹介事例は、データは正しかったのであるから、論文誌のERRATUMに載せてもらえば済む話であったかもしれないが、論文と特許について距離を近づけて比較して検討するためにあえて取り上げたものである。

                                               篠原 紘一(2003.7.28)
                                                   
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