26. ナノからテラへ


これは、筆者が勤務した企業の技術情報誌の巻頭言のタイトルである。1994年の2月の材料技術特集号に載った研究本部長からのメッセージである。筆者は当時、10数年にわたる開発が事業として実るかどうかの瀬戸際で少しでも自社に有利なメディアの規格を固めるために業界を飛び歩いていた時期で、この巻頭言は目を通したのかもしれないが、まったく記憶に残っていなかった。ナノテクノロジーにかかわるようになって、昨年ある場所で後輩とナノテクの話をしたときに、巻頭言に話が及び、その後輩が実は研究本部長のメッセージの骨子を作ったことを知り、電子ファイルでいただいて読んでみた。その時いくつか感じたことをここで紹介したい。

材料技術の今後のブレークスルーに必要なキーワードがナノからテラへという主張である。

1994年時点では、サッカーボールC60などのフラーレンが取り上げられているものの、1991年飯島澄男博士の発見されたカーボンナノチューブについては触れられていない。いまや、19世紀は鉄の時代で、20世紀がシリコンで、今世紀はカーボンの時代だという人たちがいるくらいに重点投資されて活気付くナノテクの中心に位置する素材となっているCNTもまだ当時は一部の研究者の課題に過ぎなかったようである。その時点で取り上げられたC60も、発見は1985年で、発見者がノーベル化学賞を受賞したのは1996年のことである。

画期的な物性を持った材料でも、材料技術は最も上流に位置する技術であることから実用に持ち込むまでは実に長く待たされることを覚悟する必要があることを、歴史が物語っている例が多い。多少持って回った言い方をしたが、ずばりいって、材料研究がフィーバーしても、使いこなすインフラが無かったりすると、事業化までの時間が見えてこないし、究極の材料は、何年たっても究極の材料といわれ続けることもおこるのである。

国家プロジェクトとして、先駆的なアトムテクノロジーが日本で進められていった時代で、量子細線、量子ドット、ナノ組成制御、ナノ構造制御などの今も盛んに研究されているテーマが列挙されている。紆余曲折はあったにせよ、ナノテクノロジーの知的基盤は確実に強化されて今日に至っており、“ナノテク、ナノテク”になった、きっかけがクリントンの演説であったとしても、日本が負けられないと思うカテゴリーなのはよく理解できる。
計算科学の進歩が材料開拓を下支えしていくことにも言及されているが、量子現象の発現がベースになるナノテクノロジーの開発速度を更に速める上で、ソフトの進化への期待は強まる一方である。

「テラテクノロジー」として述べられているのは、当時60メガビットの半導体メモリーの生産が始まろうとしていた時代であるが、ポストシリコンデバイス材料の探索が必要であり、分子素子や、バイオ素子が候補として挙げられている。当時から見ると、今でもインテルがまだまだシリコンで行くとのスタンスをビジネスとしては崩していないことに驚くことがある。過去から、技術の壁や、物理から来る原理の壁がある周期でささやかれながらも、突破技術が現れてきた歴史はナノの世界に入っても当分の間繰り返されると見ていいだろう。テラは集積化としての10の12乗である、一方通信などで期待されているテラヘルツで動作するデバイス、材料として、高温超伝導体の応用の出口の一つとしての期待が述べられている。「テラのためのナノ」が重要であり、もう一つのテラ(大地、地球)への配慮、すなわち環境問題から目をそらせないこともカバーされている。

今、巻頭言から丸9年がたって、一部でナノが実用フェーズに入った時代にたって、足元と、先に視線を送ったとき、果たして過熱気味のナノテクノロジーが、材料、デバイス、プロセス、計測評価解析などのバランスがとられた進め方になっているかどうかを振り返りながら、必要な軌道修正をかけることが大切だと感じる。ナノテク関連の研究開発速度はトップランナー同士のグローバル連携でますます加速されることであろう。オリンピックに参加すれば名誉であった時代は去って、金メダルを取れる水準に無ければ参加しないといった、めりはりがいるのだと思う。


                                               篠原 紘一(2003.3.20)
                                                   
                       HOME   2003年コラム一覧   <<<|>>>