24. ナノテクノロジーーの産業貢献

 1月26日付けの産経新聞の「正論」で唐津 一、東海大学教授が、日本のもの作りに対する独自の視点で主張を展開している中に、「経済専門家の話の中に、たまに出てくる技術の変化の話はナノテクといった種類の話ばかりだ。これらは、いつ、ものになってどんな経済的な付加価値が生まれるか見当がつかない夢物語ばかりだ。だから世間からは相手にしてもらえないのだ」というくだりがあって、関係者として気になっていることを突かれた気がした。もうひとつ気になったのは、当然やらないといけないことなのだが、科学技術基本計画の検証をするとの動きである。

ナノテクノロジーは第二期(2001年度から2005年度まで、24兆円をかけて進められている計画)の重点化4分野のうちの一つであり、次の検証対象になる。国の行う事業であるからといって特例ではなく、ある意味で企業と同じように決算をして当然で、やりっぱなしはよくないのはその通りである。

気になるというのは、検証に対する姿勢、使う物差しの公正さ、妥当性などである。
計画があったのであるから、目標が達成されたかどうかは一つの尺度であるが、目標そのものが後で甘かったということが、競争相手のいる世界では必ず起こることである。
唐津氏の指摘は一面まさに正論であるが、一面極論でもあるように感じる。「ナノテクの市場規模は2010年で27兆円と予測されている」との記事にお目にかかるが、誤解を生むあいまいさを含んでいるのは確かである。現存するマーケットが期待するこれからの技術進化をナノテクノロジーが達成することになるから、その市場規模を単純に集めたものが2010年の市場規模になってるようである。簡単な試算は出来そうで出来ないのであろうが、例えば医療分野の変革によって、新しく生まれる市場と、その市場が生まれることによって衰退する既存の延長上の市場を差し引きして、アドオンされるニューマーケットはカウントされていないとなると、ナノテクはすばらしい、何兆円市場だと声を張り上げても、国民によくわかる説明になっていないといわれても仕方が無い。しかし、ガン克服が、がんによって痛んでいる細胞だけを修復して、副作用が無いといったドラッグデリバリーシステムの実用化によって達成される日は来るであろう。それがいつ、いくらのというそろばんは、精度よくはじけなくても、こんな喜ばしいことは無いということが否定されることは無いだろう。しかし、正直なところ閉塞感が覆っている日本の現状からすると、ナノテクノロジーでシリコンインダストリーのような巨大産業が生まれることがスカッといえればそれに越したことは無いという気持ちもわかる。
しかし、歴史的に見ても、真空管の時代に、ベル研究所でショックレーらが、固体素子のトランジスタを発明、それから10年が経過しても、今日の産業規模を予測しえた話はどこにも無かったという話を例に引いて、ナノテクの経済的付加価値などわからないと開き直るのも一つの手ではあるが、仮説、やリスクをはっきりさせて、国民の疑問に一つ一つ答える努力が関係者に求められている姿勢なのだと思う。
国民がしらけるのは、説明に誠実さが欠けているからではないのか。定量的な予測の精度が高いならもちろん信頼されるが、それは大変難しい。だからといって、言い方はよくないが、ごまかしたような説明はやはり、信頼を失う。
たとえば、「製造業が復活するということはどういった状況をイメージしているのか、そこでの雇用はどう見積もられるのか」「バイオ、IT,ナノテクノロジーが融合した領域に大きな事業機会が出てくるというが、それぞれが技術で整理するなら、技術は用途があって活きるのであるから、具体的な用途を整理しないとわかりにくいのでは」「ナノテクと、ナノサイエンスは近いというがそうは言ってもやはり評価の軸は重なっていないものもあるのだから、投資対象として分別した整理が必要では無いか」などは、国民の理解が得られるレベルにまで整理されていないのではなかろうか。

大型予算で運営する以上、よりシュアーに進めたい。しかし、夢を研究者や技術者が語れないような環境にまで追い込んでいくのは、世界を相手に挑み続ける元気は失わせていくことになろう。企業で、長い間自助努力を基本として戦ってきた経験しか持たない、筆者にとっては、税金で仕事をすることの大変さをしみじみ実感し始めたところである。

                                                篠原 紘一(2003.2.21)
                                                   
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