15. ノーベル賞の101年


 アルフレッド・ノーベルの遺言で示された5つの分野に経済学賞が加えられて、今では6つの分野での受賞者がスエーデンの王立科学アカデミーから発表される。10月はノーベル賞を取ってもおかしくないといわれている人たちにとって悲喜こもごもの月である。

物理学賞は小柴先生のニュートリノ天文学開拓に与えられ、化学賞は島津製作所のエンジニア田中耕一さんの質量分析の先駆的な仕事に与えられた。小柴先生のヘルメット姿やカミオカンデの光電子増倍管をゴムボートにのって大学院生が組み上げていくシーンをみて、ヘルメットをかぶった実験屋であった筆者には、ニュートリノには無縁であってもなんとなく親近感をいだいたノーベル賞であった。化学賞はテレビのテロップでみて正直言って驚いた。「島津の田中さんてどんな人?」インターネットの検索サイトで小柴先生を検索するとノーベル賞をいつとってもおかしく無い業績を物語る情報が簡単に入手できたが、田中さんは業績にたどり着けなかったのである。哀しいかな、大学を退官した先生が島津で仕事をされているのかなどと推察してしまったのである。大変失礼なことを考えたものだと深く反省しながら、ノーベル賞が101年の歴史の評価に耐え抜いてきた一番の要因はノーベルの遺言に対して、業績評価の軸がぶれないということなのだということを強く感じた。

少なくともサイエンスの伝統ある賞の選考では、学位が無かったり、知名度が低かったりしたら、見送られるのが日本の価値基準ではなかろうか?田中さんの受賞、小柴先生とのダブル受賞で日本の閉塞的な状況に風穴があけばなんて起こりえないことに期待するのではなく、評価する立場にある人は、今すぐ本質を評価する努力を積み重ねていくべきであろう。日本の文化を呼吸文化だという人がいる。101年の歴史に刻まれているいくつかの例を確認するとノーベル賞のすごさがわかる。

トランジスタ発明の理論面の貢献で受賞したバーディーン博士は、16年後に超伝導の微視的理論で有名なBCS理論(BCSは3人の科学者の名前の頭文字)でも受賞している。
親子の受賞や、一人で物理学賞と化学賞の受賞や、キューリー夫妻とその娘さんの受賞などおよそ呼吸文化と無縁な世界なのである。最近でこそ複数人の受賞が増えているものの、世界中で一分野、年3人しか栄に浴せ無い世界である。


ノーベル賞級の仕事は多くなされていて、ノーベル賞の授与が追いついていかない。
ノーベル賞はある種象徴的な証(あかし)なのではないだろうか。多くの賞がそうであるように、まったく独立した一個人によってなされた業績は極めて少ない。世の中をより豊に、明るくしていくのは、ノーベル賞に輝く仕事、ノーベル賞級の仕事はもちろんのこと、それらに刺激され、エンカレッジされた多くの改良改善の積み重ねの集積である。アメリカのようにノーベル賞受賞後も、研究費の確保に受賞者が奔走する姿は変わらないという風土には日本は遠い。ノーベル賞が格別なものとして取り扱われる日本は、日本なりに瞬間に盛り上がって終わるのではなく、うまく日常的な活性化につなげていきたいものである。身近にもわくわくするような研究や、技術開発はたくさん進められている。是非機会を捉えてそれらの研究、開発をエンカレッジし、良質の競争が広まっていくよう心がけたい。


                                              篠原 紘一(2002.10.18)

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