144. 感謝と誇り

  平成11年の春、チームの代表で「蒸着テープの研究開発」で表彰を受けた。虎ノ門パストラルで行われた表彰式で、民間企業で20年間も蒸着テープの開発が続けられたことがローカルにではあるが話題になった。というのも、同じときに、NHKの研究者がプラズマデイスプレイで表彰されたがその研究も20年かかっていたからであった。その場の雰囲気は、NHKで20年はわかるが、民間企業で20年はなかなかないことということであった。もちろん20年かけたかったわけではないが、結果的に事業において、蒸着テープがあってこそのビデオカメラが受け入れられる時代まで待たされたというのが実感である。

 

 その後も、なぜ20年も続いたのか、やめようとしたことはなかったのかとの質問を何度かうけた。確かに振り返って今思うと、やめることになっても仕方がなかったといえる状況にプロジェクトが陥ったことは何度かあった。

岐路に立たされたときの選択則は一般論があるわけではない。個々人が組織の方向転換で岐路に立たされたときに、組織の決定に従うかどうかと組織としての決定に従わない場合の身の処し方をどうするかは悩ましいところである。今でこそ自前主義が競争力を高めるとは限らないとの認識になってきたが、自前主義の強かった時代は、事業の撤退は開発プロジェクトの中止を意味した。筆者もこれを経験した。

電子線加速の事業撤退で、一人地下室にこもってリニアフィラメントタイプの大電流、無走査型の電子線加速器の開発プロジェクトは中止され、納入した大型の電子線加速器のトラブルシューテイングが主業務となり、その合間に次のテーマ探索をするといった元気の出ない時期があった。このような事例はどこにでもありうる話であろうが、蒸着テープがたどった20年近い話は確かにそう多くはないかもしれない。事業がないにもかかわらず、延々と続く開発。そして20年近くたってやっと事業につながったといった開発例はめったになかったのかもしれない。

 

 20年耐えることを支えた要素を技術面と精神面ひとつずつあげるとすれば次のようなことであろう。

 技術的には量産規模の装置を用いての開発であり(したがって材料費が高くつくから開発の長期化は困難を伴った)、開発完了と事業化の間によく言われる死の谷を作らないようにすべく、他社の協力も量産可能な技術でかつ挑戦的な材料開発で進めていただくようお願いし、両者がうまく組み合わされて進められたことが大きい。

精神的には、実用に耐えうるものが(品質、性能)開発さえ出来れば、実証ラインで開発されていたことから量産でつまずくことはないとの確信が根っこにずっとあった。そしてある時期から、『一人になってもやり遂げる』との執念が時折浮上する『やめてまえ!』コールを押し返してきたものと思っている。もちろん多くのプロジェクトチームメンバーで進めてきた開発が一人で出来るわけではないが、筆者の所属した会社で蒸着テープの事業化をきっぱりあきらめるという経営判断が最終的にくだされれば、組織の決定に従えないなら外に出てもということになり、現に他社に移る話をアングラで画策したこともあった(そうならなかったのは幸運にも恵まれてのことであった)。

 

 蒸着テープの開発、事業化には、他社を含め多くのチームが関与し、すべての関係者が満足感や、達成感を共有できたとはいえなかったかもしれないが、プロジェクトリーダーとして投げ出さないで出口まで持っていけたことに感謝と誇りを感じる。

 

 感謝の念は、自分にしか出来ない(というように思っているだけで、実際はちがっているのだが)ことは一生懸命やるが、周りのヒトはすべて自分に出来ないことが出来る人たちであると、ある時気がついて以降、みんなに助けてもらうことにしてきたことから自然に生まれていった。

 

誇りはといえば、蒸着テープについて言えば、それまで誰もが考えなかったわけではないけれど、誰もやろうとしなかったし、まして長い紆余曲折があったにもかかわらずチームとしてやり遂げたことに尽きよう。振り返れば、波乱万丈の大プロジェクトを経験できたことはすべての関係者に得がたい成長の機会であった。

 

多くの関係者が成長によって得た力は事象を評価する上で少なくとも二つの物差しを持つことの重要性について修羅場をくぐりながら身につけたことであろう。カーッとなると、人間は部分しか見なくなる傾向を持つが、意図的にもうひとつのものさしをあてれば、全体が見えて、進む方向が見えてくるということを繰り返し経験した。

二つのものさしで、大事と思えることは見ていく訓練をつめば、価値観の多様化に戸惑うこともない。

 私事ではあるが、2001年9月に定年まで半年ほどのときに長い間勤務した民間企業から科学技術振興事業団に移った。神戸からつくば市に拠点を移し、週末テニスに没頭し、お犬様と暮らしながら、ナノテクノロジーの基礎研究支援を続けてきた。戸惑うこともなくはなかったが総じて新しい経験を積み上げることが出来、ここでも感謝と誇りの軸は維持できた。

 

 『新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製』研究領域の活動はこの3月末で終わる。

 

「・・・・・・・・行く先を照らすのは、まだ咲かぬ見果てぬ夢、遥か後ろを照らすのは、あどけない夢、  ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない・・・・・」

中島みゆきの、プロジェクトXの挿入歌が心に沁みる此の頃である。

 

 4月からは、一年間兼務していた「ナノ科学を基盤とした革新的製造技術の創成」研究領域の領域参事としての仕事に専任となる。領域運営の進め方が大きく変わった今、研究現場をどう支援するか新しい課題を持っての再スタートに臨もうとしている。

 


                                   
篠原 紘一(2008.03.28)

           
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