143. 特許面談

 次世代DVDの規格が実質一本になる。市場競争で争われた規格が事実上の規格統一に決着することをデファクトスタンダードといって、通常の規格と区別しているが、もっとも有名でドラマチックなデファクトスタンダードとなったのが、VHSとベータのビデオ戦争の決着からうまれたVHSであった。

ソフトの支援がワーナーから得られなくなった、東芝提案のHD-DVDは一気に不利な状況となり短期に撤退まで追い込まれてしまった。ある新聞によれば、特許戦略の破綻を大きな原因に挙げている(がもちろん、そんな単純な話ではないだろうし、さまざまな分析や、エピソードがしばらくマスコミをにぎわうであろう)。この事例で特許の重要性が薄まるということではないが、ビジネスを成功に導く上で必要条件でしかないことをまた確認することになったのは事実であろう。

筆者も特許と事業の関係を、VHS対ベータ、8ミリビデオ、デジタルビデオを通じて身近で考えさせられた経験を持っている。一言で言えば、特許といえども、定義ですっきりと決まっていて、理想的に決まった世界が構築されていくものではなく、ある面人間くさい世界だということが筆者の体験に基づく理解である。出願して審査を受けて審査官とやり取りを重ねるうちに、審査官の判断に当然かもしれないがかなりの個人差があることを知ることになる。そうしながら、明細書をどう書くべきかを学習して権利化の確率を高めるわけであるが、書類のやり取りだけでは起こらないことが実は面談でのやりとりでは起こるのである。n数が余りに少ないので一般化できるわけではないが特許庁とのやり取りから二例だけ取り上げてみたい。

 特許を出してみると、必ず経験することは、ずばり書かれているすでに公開された先行技術資料が見つからなくても、近い技術の開示がされていると思われる資料をいくつか提示されて(研究論文はまさにそれに当たる資料は引用文献としてあげるのが礼儀であり、それとまったく同じでなければ、新規性はあるということになっている)、審査官や、審判官が、特許化を認めないときに使われる常套句「当業者または当該分野の専門性を持った技術者であれば、容易に思いつくことである」という文言に出会う頻度が高い(ここが研究論文と違って、進歩性がないという判断につながるのであり、研究者にはにわかに理解できないところであろう)。

 ところが特許庁に出向いて審査官と面談して、書類上のやり取りから権利になりそうにない(拒絶査定となる寸前にあった)5件の重要な特許から3件の権利化が認められたことがある。重要というのは蒸着磁気テープの事業を進めていく上でのことである。面談に出向いたときは、マイクロカセット用の蒸着テープの発売が決まった時期であった。

ここからは面談でのやり取りで感じたことからえた筆者のひとつの結論である。

審査官は@産業になったか、なりそうな技術を評価している。Aすでに産業になっている技術の改良(特にテープで言えば、塗布型の磁気テープの特許出願数は多いが、化合物の鎖がちょっと長くなった,とか一部の元素を置き換えたとかいった出願に食傷気味)特許より、新しい技術分野を評価する。B技術者がどんな夢を持って特許をとろうとしているかに関心がある。C審査官は自分で下した判断が正しいという結果であってほしいから、他者からクレームがついても基本的には発明者の味方である(この場合、審判に持ち込まれた場合には、次の話題の審判官の判断はということになるが)。といったことが話しているうちに徐々にわかってきた。その結果「あなた方の夢を実現するにはどの特許がはずせないか?」と問われ、さらにやり取りをした結果「産業として競争をしてもらうには全部一社で特許を抑えるのは好ましいとはいえないし、確かに誰もやらなかったことかもしれないが、やってみたらうまくいったという面もありそうで、当業者が容易に思いつくという判断もできないことはないので、5件から3件選ぶならどれを選びますか?」となって選んだ3件は異議申し立ても結果的にはうけることなく権利になったのである。

次は審判の過程でヒアリングを受けたときのやり取りである。さすがに、審判を下す複数の審判官が全員同席することはなく、代表で議論になりそうなことを事前によく理解しておきたいという趣旨であった。議論の中心は、従来技術と、対象の発明の違いが本質的かどうかということであった。最初のエピソードとかぶる部分もあるのだが、誰もやらなかった(当業者たちが)こととクレームの間のギャップが大きすぎるということになっていった。プラスチックフィルムに金属や、部分酸化膜を蒸着する際に蒸発源は冷却ドラムのほぼ真下に置かれていた。故意に真下でない位置に蒸発源をおくことで、磁気特性を改良できることを見つけたことを特許にするのに、真下ではないという特許の請求範囲で臨んだ。真下とはどこの範囲を言うのか、真下の定義によっては今までも大雑把な設計、組み立てで真下ないことがあったかもしれない」といったことになってこれはまずいと思い、この特許はつぶれると判断し、別の蒸発源位置特定の特許出願をして権利にした。このときのヒアリングでもノウハウに大いなる関心を持って次々質問を受けた。そのやり取りでも新技術の価値がどういうところにあるかと、小手先では無い新技術への期待は審査官と近いものがあった。

 日本版バイドール法なる法制度で大学に権利帰属が変わったと同時に出願数が増えているが、その基礎となっているアメリカのバイドール法は研究現場の問題意識からのボトムアップで誕生した法制度で、そもそも産業化のためであった。日本ではTLO含めアメリカなどから十分学んで日本流をということにはなっていないように感じる。類似の法制度をトップダウンでといった状況であり、現場の何が特許で、特許に何が期待されているかの理解を深めていかないことには、大学などの「豊富な知」を活かそうといっても実が挙がってこない。満遍なく底上げを図ろうとするより、いくつか絞り込んで、それらに賭けて成功事例を早く積み上げることが今求められているように感じている。


                                   篠原 紘一(2008.2.22)

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