142. 人は育つもの

 このところ日本は15歳の生徒の学力ランク評価がOECD加盟30カ国の中で後退に歯止めがかからない。知識を詰め込むことはやらない欧州の小国が上位で、日本の詰め込み主義を疑問視する声が上がると思えば、それを押さえ込む勢力の主張もあって、議論が熱くなったかなと思うと、しばらくすると問題意識を持つ人の数は元に戻っての繰り返しになっているようにみえる。日本ではやはり詰め込み有利の入試制度がはびこったまま(例外的な試みはごく一部に見られるだけでうねりになるにいたっていないままである)なのと、問題の本質を捉える鍛錬不足(これも、広い意味での教育に関係があると思われる)がたたって、重要な課題がなかなか解決の方向に向かわないのではないかと感じている。

そんな時に身近に感じられる小さな記事が目に留まった。「研究開発人材、5年で質量ともに低下 文部科学省調査」の見出しの新聞記事である。そこで、出所の文部科学省技術政策研究所(http://www.nistep.go.jp)のプレス資料を調べてみた。

日本の科学技術環境の向上に役立てようということで始められたようで、一回目のアンケート調査のまとめである。日本の代表的な有識者や第一線級の研究者など1200人ほどが、いくつかの調査対象に関して「2001年頃と比べて状況はよくなっているか?」との質問に答えたものである。定点調査と呼ばれる手法で、現在2回目の調査に入っているそうである。

 たまたま筆者も2001年に民間企業から科学技術振興機構に移って、基礎研究の支援を始めた年なので、回答者の一人になってみた。筆者の経験が極めて狭いからかマクロな認識とミクロな認識に差があることを改めて実感する結果となった。

 以下にいくつかの切り口でのアンケート結果をピックアップした。 (ただし回答率はナノ・材料分野に限っている)

各分野の発展のために必要度の高い取り組みは何か?(括弧の中の%は、必要度1位とした回答者の割合を示す)

人材(59%)、研究開発基盤(12%)、研究資金(1%)、分野間連携強化(9%)

 必要度の高い人材は?
基礎研究(37%)、実用化研究(19%)、産学官連携推進(17%)、応用研究(14%)

世界トップレベルの成果を生み出すための研究資金は?
研究者の自由な発想による公募型研究費(科研費補助金など)(42%)、基盤経費研究費(国立大学運営交付金など)(28%)

人材の状況は?
@      研究者の数は増えているが、質は変わらない
A      技術者の、数、質ともに変わらない
B      トップ研究者の数は増えているが後継者の育成状況は変わらない
C      若手人材(研究者・技術者)の数は増えているが質は変わらない

若手人材育成のために必要度の高い取り組みは?
 ポスドク就職(29%)、博士就職(23%)、博士援助(23%)

COEのシンポジウムに参加しても、イノベーション25の議論の中でも人材が重要であるとみな声を大にして同じことを言っている。現実に国の資金は今までよりは人材が育つ上で使われはじめていると見るべきであろう。資源が人材である状況は変わっていないのに、アンケートから読み取れる状況は明るいとはいえないのは残念なことである。
必要な人材として基礎研究と挙げた率が高いのはどう理解すべきなのであろうか?基礎研究が重要であるし、それをやりたいという研究者は多いがレベルが不十分だということなのであろうか?

分野によっては確かに世界中から人材を集めようとしてもなかなか充足されない状況は目にしているが科学技術振興機構の戦略創造研究事業のチーム型研究(JST-CREST)の担当領域の範囲でのn数でしかないが、ポスドクも、学生も(あれっ?という人が極めてまれにはいたが)みな頼もしい。彼らが不十分だとすると、人そのものでない別の要素に手を打たなければならないのではなかろうかという気になるのである。

 世界トップレベルの成果を得る上で研究資金はの問いについての答えは、運営交付金が年々減ることがはっきりし、資金獲得は自助努力が求められると言ったギアチェンジが大学法人化や、国研の独立法人化でおこったことが影を落としているように見える。研究が自由な発想から進められるものであるとの認識は国の戦略目標の下で進められるCRESTであっても同じである。自由といっても、何の境界条件もないフリーハンドを指すのではないとしても、過去の常識にとらわれない自由な発想が求められていることには変りはない。自由な発想で研究が進められないとすればそれはその環境が問題なのである。

人材育成にとって、最も重要なのは人が育つ環境を用意することである。ナノテクに従事する研究者、技術者が量的に増えたのに、質はよくなっていないとすればまずは環境を問い直すべきであろう。

 近未来の強力な戦力たるべき博士課程後期の学生たちと話をするとほとんどが将来に不安を感じている。ポスドクも含めて研究に没頭できる環境を用意しないで、数は増えても質がよくならないでは国際競争力強化は望むべくもないのではなかろうか。とはいっても、環境がそう簡単によく変わるとも思えない。

筆者は60年代に民間企業が恐る恐る修士課程とごく少数の博士課程修了者をとった時代に就職した。採って使ってみれば、予想以上に力を発揮して企業の戦力になっていったことで修士課程修了者は当たり前になった。ところが博士課程修了者に対する企業経営者側の評価は好ましくなかった。
今でも40年前と根っこの部分では変わっていないような気がしている。博士課程を終えた研究者が大学や国研での研究生活を希望する傾向が強すぎることで大学の先生も実は弱った顔をしている。企業は博士の学位に対して高い給料は払わないが、期待にこたえる仕事ができれば十分に評価される。
どの道を選択しても競争原理は必ずついて回るのである。環境が変わるまで待たずに思い切ってトライしてみることも現状打開に必要なことかもしれない。


                                   篠原 紘一(2008.2.8)

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