141. 3階建蒸着機(3)

 金属薄膜が透明なプラスティックフィルムに付着すると光の投過率が下がる。多ペンレコーダーで、この光の透過率を始め、真空度や、クーリングドラムの回転数などを記録しながら、シャッターが開けられた。レコーダーのペンがガチャガチャと暴れ、メインのオペレーターは光の透過率がいったん下がって、透明フィルムの透過率になったことからフィルムが切れたと判断してシャッターを閉め、フィルムの巻取りの動力をきった。のぞき窓で固唾を呑んで見守った初の蒸着実験は1分足らずで終わった。

無謀な挑戦で終わるのか、立ちはだかる壁が予測できるわけでもなかったが立ちはだかるであろう壁を突破できるかは執念しかないだろうと思いながら、蒸発源の冷却を待って真空を破り現場で何が起こったかの検証を丁寧にやった。収穫はわずかな長さではあるが蒸着できたことであった。巻き取り側の張力調整でうまくいくと判断して再度蒸着を試みた。ところがここから先に進まないのである。悪戦苦闘の末やっと犯人らしいものが見えてきた。高エネルギーの電子線を絞ってスキャンして蒸発させることからプラズマができたり、高分子フィルムが静電的に複雑なポテンシャルを持つことがいたずらしているようだということでそれに対する対策が打ててやっと終息の方向が見えたと喜んだ。

そこから先が、初期にはあったメーカーとユーザー間のこだわりのない協力関係の歯切れが悪くなるフェーズに入り苦労が続いた。きわめて基本的な性能が出せるかどうかの確認実験を筆者らはやりたいのであるが、ずばりの構成でそれをやると大事なノウハウをメーカの知るところになる。機密保持は守られるとはいえ特許で守りきれる世界ばかりではないから厄介なのである。

磁気記録は磁性薄膜を構成する磁石の向きを変えてその状態を外部からの磁場などの影響を受けずに保持することができないと成立しない。それには、いわゆる抗磁力(または保磁力)を大きくする必要があり、記録密度を上げるほどその必要性はたかまる。そのひとつの手段としてコバルトなどを蒸着する際に酸素ガスを真空容器内に導入することが有用である。特許が公開になっていない間は、酸素、窒素、アルゴンなどで意味のない実験も付け加えて、導入位置もどれが本命かわからないように(といっても気休めでしかなかったが)

配慮したりして進めたが、磁気テープだといっていないからコバルトを蒸着することでは説明がつかずニッケルで見通しをたてるぐらいしかなかった。もともとありえないことで葉あろうが、メーカーの保証なしの装置であったから、ほどほどにして検収をあげて、茅ヶ崎から豊中まで機械装置を運搬し実験工場で再度くみ上げた。この期間のロスを最小にするために、解体を最小限にするための方策が練られ、海路、陸路(ヘリで吊り上げて運ぶというのがベストとの案も出たが警察の許可がおりなかった)が検討された結果、都市部の道路制限から、海路の利点は生かせないことがわかり、高さと幅の制限が決まり、解体単位を決め実行した。実験機では起こらなかった現象に振り回されたが結果的には、問題と思われる現象も逆手にとって量産技術として重要なノウハウにすることができて、実験機とはいえない大規模な実験機が立ち上がったのである。

振り返ると、何をやる機械なのかをはっきりとメーカーと共有化できれば、もっとよい知恵が出せたかもしれないと思うのである。基礎研究においては、何に挑戦したいかがあかされてもリスクをどう考えるか定まっていない(少なくとも共同開発契約にはなっていない)ために、高い目標や不確定要素があると競争入札によってある会社に決まっても、メーカーと研究者が一体になってやりきるということにはなりにくいといった課題がある。カタログ製品で進む研究もあるが、そればかりではない。科学技術振興機構には先端計測のプログラムもあるが広い範囲をカバーできているわけではなく、中小メーカのチャレンジによる基盤技術の底上げにも目を向けたいものである。
                                   篠原 紘一(2008.1.24)

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