140. 社会還元

 基礎研究についても社会還元を求める声が強まってきている。その話が出るときに量子力学誕生時の逸話がよく引き合いに出される。19世紀末にドイツの冶金工場で溶けている金属の温度を測りたいといった強い要望があって、プランクの黒体輻射に関する公式が発表され量子力学の世紀20世紀が始まったという物語である。基礎科学も社会ニーズにこたえるべきだという論にぴったりなのである。
最初の4半世紀に量子力学の基礎がほぼ出来上がったのであるが、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ、シュレディンガー、ボルン、ハイゼンベルグなどの物理学者が活躍した(GPSが役立っているのもアインシュタインが貢献しているといった話も、プランクの話と同様に使われているが、この話は量子力学の貢献ではなく相対性理論のほうである)。

 その後も、多くの科学者が活躍して、20世紀は?「戦争の世紀」との見方が社会的には一般的であろうが、科学技術的には量子力学の世紀といっていいであろう。しかし、社会還元と基礎科学の関連を量子力学だけで論じるわけに行かないのも理解されることであろう。
世界がイノベーションに注力している今、イノベーションの核となる基礎科学の成果が少なくないことも事例としてあげることもできる。
ノーベル賞も最近受賞のタイミングとして基礎研究の成果が何らかの形で産業界に貢献が見えたときが選ばれているように見えるから、ノーベル賞を社会還元のわかりやすい(というより、日本人には憧れからくる受容性が高いといったほうがいいかもしれない)事例として、丁寧に説明するのも科学技術の理解増進に有効であろう。

いずれの例も長い歴史的評価の蓄積あっての点で共通性がある。失敗はそこで終えてしまえば短期に結論が出るが成功にいたる道のりは刈り取られる成果が大きいほど長くなることが多く、この共通性は性急に成果の結実を望む人たちの感覚的な理解を拒む要素にもなる。
そもそも、今社会還元が強く求められるということはどういうことなのかもなんとなく雰囲気的な合意があるだけであまり明確ではないようにも思うのは筆者だけだろうか。

1960年に発明されたレーザーは量子力学100年の歴史の中でも産業までつながった事例の代表例の一つである。われわれは、CDやDVDを楽しんでいるが、つどレーザーの発明に感謝したり,思いをはせたりはしない。一方レーザー技術は今も進化を続けていて、量子現象の実証や新現象の発見で科学の厚みを増す基盤の部分でも役立っている。基礎研究が上流としてたとえられ下流側にある応用に向って一方向の流れを社会還元としてとらえるといった狭い考え方ではないというであろうが、本当にそうなのであろうか?

松下幸之助はR&Dで事業が成り立つかどうか、会社を作って確かめた。結果はノーであった(結論を出す時期が早かったかどうかはよくわからないが)。優れた研究成果も出たし、人材も多く輩出されたが、会社が成立するかどうかとなるとそれは厳しいということである。経営の神様を持って然りなのである。われわれが、社会還元にR&Dだけで会社が成立することを望んでいないとしても、アナロジーで言えば会社を成り立たせる上でR&Dは一部を担っているだけで、それだけで収支を明らかにすることもきわめて困難であるとの認識の上で基礎研究の社会還元を論じる必要があるのではなかろうか。

社会還元そのものがクリアであろうがなかろうが、論文を書くだけではいけないと思うマインドを持つ研究者が増えることはよいことかもしれない。
しかし、それぞれが担う役割の基軸がずれてしまうのは危険なことである。時代の要請に感度を高めることで基軸はずらさずに変えるべきは変えることは確かに大事な生き方である。

21世紀は「自然回帰の世紀」といえるようにならないと、人類は深刻な環境におかれていくことになろう。量子力学は工学的に巧みに利用され、量子通信や量子計算が実用化されることへの期待も大きいが、「持続性のある社会を獲得するための科学技術」の成果への期待は待ったなしである。もちろんこの「持続性社会」は科学技術だけでなく、すべての学問分野に突きつけられた課題であろう。さらに言えば、人それぞれの生き方が問われるということで、利己と利他のバランスが今のままにしての対症療法的課題解決では地球の病状進行スピードが勝ってしまうとの認識に立った個人個人の日常的な努力も大切にしたいものである。 



                                   篠原 紘一(2008.1.10)

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