136. 打つ手、打った手

 研究開発は大きな課題であれ、小さな課題であれそれらの課題解決の繰り返しである。階段を上がれば先がまた見えるように課題は意図的に打ち切りにしない限り延々と目の前に現れる。課題に対して最もよいと思われる手を打ったつもりでも、ひどいときには空振りになり、短期的に見れば、失敗だとなることも決して少なくない。しかし中には失敗と評価したことが後になって先を見て打った手のように見えることもある。

蒸着磁気テープの開発での事例を二つ紹介する。

3階建ての蒸着機(コラム#123,133参照)は定常運転状態になれば2人で運転したが、立ち上がりや、次の実験前のクリーニングやセッテイングは3人でやる作業内容であったが、8ミリビデオの提案時にデモ用テープができず追い込まれていた筆者は休日にこっそり一人で蒸着をやっていた(安全で問題を起こさないよう神経をとがらせてやったが、もちろん正しい行為とはいえないが)。休日の前日夜に仕込んでもらうところまでは普通どおりにやって観察箇所が多く一人で蒸着をスムーズにやるのは容易ではなかったし、効率も悪かったが必死でやった。

そのうち土曜日だけではすまなくなり、ビデオカメラをつけ、リモコン操作できるように(得意な人に頼みまくって短期に手を打った)して、ミスせず一人で蒸着できるようにしていった(それでもよかれと思ってやっていても、いいテープができてこないから勝手に一人でごみを作っているという陰口も聞こえた)。

 追い詰められて一人で一日に二回、三回となるとセッテイング前のクリーニングをサボるようになってデモ用の格好のサンプルができた幸運の話はすでに述べたことである(コラム#40)。デモによってベールを脱いだ会社の戦略は業界を揺さぶった。
開発は完了していないのに、研究所のメンバー全員がビデオ事業部に移籍して、大事業化プロジェクトを発足させた。そのとき筆者は蒸着とフィルム開発を担当する、プロジェクトのサブリーダーであった。8ミリビデオはVHSが予想以上に大きな事業になっていった過程で位置づけが低くなり、アメリカへのOEM(相手先ブランド生産)からのスタートとなった。

OEM先はカメラ用のフィルム大手であったから、画質重視で信号欠落(ドロップアウト)についてはやかましく改善要求を受けた。フィルムメーカー側の生産管理に問題があってドロップアウトで躓いて結局事業機会を逃してしまった。開発プロジェクトは素人集団の快挙とたたえられてきたが、この躓きで、やはり素人ではだめだとなって、プロといわれる人(もちろん世界で初めてのテーマでプロが社内にいるわけではなかったが)をいれて新たなプロジェクトが組まれた。信頼性と信号特性の改良が筆者のグループの担当となって、信頼性向上に保護膜開発を加えて活動を開始した。

プラズマプロセスによる有機の重合膜からダイヤモンド状炭素膜(DLC)を開発対象にし、バッチ式の実験装置と15cm幅の巻き取り式の実験装置の準備にかかって、しばらくして突然、筆者はリーダーに呼ばれプロジェクトから実質はずされたのである。工場での開発は門真市が拠点ですすめられた。筆者は一人で
豊中市にある3階建て蒸着機で、高画質化に取り組んだ。
許可を取りに行けば言われたほうも困るであろうと思い黙ってやり続けた。(もちろん現場の仲間は影で支援をしてくれたし、上司も見て見ぬふりをしてくれた)それができたのは、初期に3階建て蒸着機の操作性改善に対して打った手が利いたからである。

 もうひとつは、事業化を目指して門真市に工場を立ち上げる際の設備投資にまつわる話である。
磁気テープにはドロップアウトも含めて、記録する目的に使われるものであるから、要求性能は多岐にわたる。もっとも大変なのが信頼性に関する特性で、蒸着テープがさびると記録性能を失うという致命的な問題を内在していることに対しての懸念がついて回っていた。
事業化スタートまでの大まかな日程が組まれた。当然製造装置の設計製作、立ち上げ、そのラインで製造に入る前の試作、および試作テープによる品質認定はすべてシリーズの作業であり、早められる要素はなく、遅れる要素だけであった。一方さびについては評価判断をどうするかも開発要素であり、磁性薄膜と潤滑剤の組み合わせで電気化学的な評価では腐食性能は大幅に変えることができるというデータは蓄積されてきたが、製造工程を最終発注判断の時期に一本に絞れず、プラズマ酸化に使えるように改造できる、量産仕様のフィルムを巻き取れる真空装置を保険で発注した(この話が出たとたんに、事業化は見送るべきであるとの声が大きくなったが、説得半ばで押し切った)。

 研究所の装置での開発品が事業部評価に何とか耐えてこのプラズマ酸化装置は鉄の塊でしかなくなっていた。OEMの責任を取らされた(?)筆者は一人で3階建て蒸着機と格闘し2層磁性膜を開発し、門真の開発成果と組み合わせて記録性能も、信頼性も飛躍させることができた。ただこの構成はすぐ量産できる構成とはいえないことから、事業化大プロジェクトは解散となり、事業部に残って事業化を目指す部隊のリーダーに筆者が指名された。

大プロジェクトを率いてきた上司以下数名が研究所に帰って後方支援をするという構図になった(この人事のときに君は研究所でないと活きないといわれて研究所に戻るよう説得を受けたが、豊中送りにされた仕打ちとはまったく無関係に断らせてもらった)。この人事により事業部内の開発部隊同士の結束は強くなった。主課題は蒸着機を2層蒸着できるように対応するか、巻きまき戻しを大気中でやる機械を開発するかと保護膜の量産技術開発であった。量産のフィルム幅は50cmであったが、いったんシュリンクして、15cm幅で保護膜の量産技術開発をすることにし、実験機を設計し、製作許可の決裁を事業部長のところへ取りに行った。

このときに鉄の塊になってしまっているプラズマ酸化装置を使えという議論があったが、保護膜技術が出来上がれば本物の蒸着テープができるという、突破技術なのであるから、既にある装置の制約を受けた開発でなく、思い切った発想で自由にやらせてほしいとお願いした。やり取りの後、事業部長は「どぶに捨てる金が1億か」といいながら決裁印をおされた。
この道具が威力を発揮し、ついにはプラズマ酸化装置が息を吹き返し本物の蒸着テープの第一世代製造に貢献したのである(事業部長には、既存装置に制約されない開発をと説得したが、当然、開発自体は眠っている鉄の塊を活かすと決めてかかった)。

この2つの事例から言えることは開発の流れの中で(熟考に熟考を重ねて、将棋や囲碁の世界のように先の先を読んで打ったわけでは決してなく)打った手が、失敗に思えても思わぬところで活かされることが起こるということである。これらの例は、評価は短期評価と長期評価と少なくとも2回は評価すべきであるという主張に合致する。



                              篠原 紘一(2007.11.9)

                     HOME     2007年コラム一覧          <<<>>>