135. 相手の立場に立って

 最近は先端科学の研究の話を聞く機会が増えたものの、話し手と聞く側にレベルの差がありすぎて研究者の興奮が十分こちらに届かないと感じることも多い。
これは、話しをする側の目的と聞く側の目的の間にギャップがあるからで、双方が充実した時間を過ごせるような工夫をしていくしかないのだろう。

これまでの筆者の、話す側と聞く側での経験からこんなことが言えそうだということを整理してみる。


1)     著名人(で極めて忙しい立場の場合の基調講演などは)半年から一年は同じ内容のプレゼン資料での話と思ったほうがよい(タイトルを多少ひねってあっても、話が始まったら、同じ話だとなる事がある。その時どうするかはあらかじめあり得る事として備えておくべきである。退屈になり眠ってしまって次の講演を聞き逃さないよう)。

2)      面接(スタイルの評価は競争的資金の獲得や、人事評価,業績評価など多くの場面で実施される)においてプレゼンする機会には可能な限り事前に誰かに(複数の人相手が望ましい)聞いてもらって指摘点を考え直してみるとその効果は本番で必ず現れる。(人前ではうまく言えないとの言い訳を繰り返していては、やりたい事がやれない)

3)      大学の先生でいわゆる「話がうまい」先生は意外に少ない。授業の経験は「力関係」があって生徒が理解に努めるから表面化しないからか、わかりやすく話すプレゼンの訓練がこれまでカリキュラムに組み込まれることは日本の大学ではなされてなったからではなかろうか。

4)      きわめてはっきりしたメッセージだと感じる人もいれば、真反対の評価をする人もいる。メッセージ性のクリアな話には異論もクリアになるからであろう。同意する、しないにかかわらず、メッセージ性のはっきりした話は後に残る(特に聞く側の焦点が必ずしも定まらないような場合に話者になったときには心してかかりたいものである)。

5)      研修や講演会などで聞く話しはいくつかのタイプに分かれる。速射砲のようにデータが次々と紹介されたり、誰々の著書にはこういうことが書かれているとその読書量に圧倒されたり、しても、そういった話は多くの場合いわゆる自分の言葉で語れていない。やはり、経験で後付のサクセスストーリのみでなく、現場で(現実うまくことが必ずしも運ばないことに悩み苦しんできたことから搾り出すような話)の日常、非日常は、話者が自分の言葉でしか語れない。確かに知識が増える前者を採るのか、心に響く後者を取るかは好みによるのかもしれないが・・・。

6)      このごろは、聴講料も資料代を取らない講演会も多い。ハンドアウトに、熱心に書き込む人もいるが、聞き耳を立てることに集中したほうがよいように感じる。最近のプレゼン資料はよくできていて目から入る情報と耳から入る情報で十分で、メモしたかいがあったと感じることはかえって少ないように感じている。ハンドアウトが不足していてもらえないと損をしたような気分になるが、少し待てばネットから簡単に情報入手できる時代である。しっかりメモしてファイルに閉じておくより、少なくても頭にしっかり叩き込んでおいたほうが先々役立つことにつながる確率は高いはずである。

7)      対談形式(インタビューもその部類)の記事は、解説記事より理解が進む。これは人が進化の過程でコミュニケーション能力を獲得し、相手の立場で考えられることが自分にプラスになってかえってくることを知ったからであろう。対談であれ、インタビューであれ相手の質問に答えるということは、必ず相手の立場で考えてあげることを含むからである。

以上から大胆に、結論めいたことを言えば、集団から個人まで相手の捉え方は変わろうが、相手をイメージした上で相手の立場にも立って、自分の言葉で話ができれば言うことないということではなかろうか。



                              篠原 紘一(2007.10.26)

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