132.  技術的には可能

 米国IBMがハードディスクドライブ(HDD)を搭載した現在のパソコンの基本形のコンピュータ305を世に問うたのは今から50年ほど前のことであった(発売日が1956.9.13)。そのときのHDDは直径が60cmのディスクを50枚 も積み重ねたのにもかかわらず、今のHDDからは想像しがたい記録容量の4.4MBでしかなく、CDに入っている楽曲1曲すら入らないものであった。50年後の世界は想像がつかないの例に漏れず、いまやHDDは小型デジタルオーディオ機器市場に火をつけたアップルのiPodにもまず搭載され、CDに近いサウンドをBGM的に楽しめる生活の提案に成功している。
実際の生活シーンへのインパクトは信号の圧縮技術や磁気記録技術の進歩(その目安である記録密度で比較すれば、およそ50年で1億倍と驚くべき進歩が成し遂げられた)など関連主要要素技術の進歩が相俟って1万曲の楽曲をアウトドアで楽しめるにいたったことに基づいている。

HDDは今では500円玉の大きさのディスクでさえ、IBM305の60cmの円盤50枚の250倍の情報をらくらくと詰め込めるところまで進歩が続き、限界説もあるがその突破技術の提案はとまっていない(それは半導体技術の進歩において然りである)。
現在到達した実用レベルに驚愕する一方、今から逆に見れば稚拙のように見える技術で踏み出した最初の一歩の価値こそが極めて大きいといえる。ただ、これは歴史的な評価をすればの世界であって、最初の一歩が踏み出された時には大方の評価は「なんてばかげたことを」といった具合で、ほとんど支持されることはなかったといえよう。


HDDの最初の一歩以上にすごかったのはIBMのコンピュータ商業化への挑戦を突き動かしたENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)による電子計算の実証であろう(http://www.unisys.co.jp/ENIAC/)。そこでも、同じような価値論争、評価があったに違いないがそれにひるまない挑戦が時代の扉を開いたといえよう。

コンピュータの歴史も、その重要な要素技術のHDDがすさまじい進歩を遂げたことからも想像できるように驚異の進歩があり、ハード自体の能力だけでなく、他の技術の進歩や使い方の変化で社会が変わってきているのは周知になってきている。もちろん、限界が近いとされるシリコン半導体技術の歴史もデバイスとシステムの相互刺激、相互要求、相互貢献などが進歩を支えてきたことを示す好例である。
これらの歴史を振り返っても、基礎研究が生み出す技術の種に対しての評価の難しさが想像される。

世の中で使われる技術にまで育てるには、死の谷やダーウィンの海と呼ばれる障害が立ちはだかる。
民間企業の、研究開発部門において経営者と技術者の間で時に交わされる会話がある。
「こういう製品はできないか?需要は確実にある。不足の技術があったら、よそから買ってでもやれないか?」「(技術屋はできませんと言いたくない性分があるものだから)技術的には可能です」。
ここでやり取りは終わってしまうこともあるし、さらに経営者が食い下がることもあるが、ほとんどの場合、「技術的に可能という言葉にうそはないとしても、経営陣が望んでいる答えになっていない」。

繰り返しになるが技術的に可能であることを示して見せることが意味を持つことは少ないとはいえあるのだが、経営陣がそれを求めることはまずない。
そうだとしたら誰が最初の一歩をリードしたらいいのだろうか?
民間ではまず背負えないとしても、民間がそのことに無関心であってよいとはいえない。国費を当てるには、産官学のポジティブな未来開拓論が大事になってくる。ほっとけば誰も手をつけないことで日本が扉を開けられるテーマがきっとあるに違いない。

安倍改造内閣において、高市早苗大臣の後任がいなかったことに首を傾げたが、わけのわからない判断の止めが総理を辞任(9月12日に)である。イノベーション25の座長である黒川顧問があるとき発言されていたことであるが「20年たってもイノベーションが定着せず、その重要性が相変わらず議論されていることにならなければいいが・・・・」の言葉が思い起こされ不安がよぎるのは筆者だけであろうか。


                              篠原 紘一(2007.9.13)

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