125. 引っ越し雑感

 つくばに2001年の9月に移り住んだ。ペットと一緒に暮らせるマンションを借りた。

愛犬が17年の生涯を閉じて1年がたったのと、広すぎるので敷地が隣接した公団に引っ越した。インターネットで見積もりを依頼したが、その見積もり依頼先の関連PRメールが自動配信されてくるだけで、一向に見積もりが出てこない。たまたま研究事務所のあるつくば三井ビル前の交差点でクロネコヤマトの「らくらく引越しパック」のトラックを目にしたので、電話をしたらすぐ対応してくれたので、そこに世話になった。

5月25日に楽しみにしていたイノベーション25の最終答申が出された。答申案を作っていく過程で、宅急便が事例研究対象として扱われ、小倉昌男さんの執念がさまざまの制約の壁を破ってイノベーションにつながったことも大いに参考にされているはずである。   今回クロネコヤマトの引越しセンターに世話になってはじめて知ったことがある。

宅急便が有名になりすぎているが、実は引越しも80年の歴史があり、初期は宮内庁御用達、以降も業界初のサービスを次々展開してきていたのである。宅急便事業を始めるに当たって(1976年)運輸省(いまの国土交通省)、郵政省(今の日本郵政公社)と激しく対立しつつも、高い志を貫き通したという小倉昌男氏にまつわるエピソードがあまりに有名だったので、ヤマト運輸の創業者だと勝手に思っていたが創業者は昌男氏の父親であった。少なくともやりたいことが先にあって使える技術でそれを実現し、より望まれるさ−ビスへ改良を加えていくという当たり前のことがなかなかできないが、それを突破することがイノベーションのキーであることは間違いないことなのである。

宅急便事業が技術革新先にありきでなかったこともはっきりしている(もちろんサービスの向上が今のコンピュータ社会の進化と無縁ではないし、技術の進化も大事であることは言うまでもないことであるが)。世の中には優れた経営者は少なくない。しかし多くの場合後輩たちは直接の力関係がなくなると先輩から学ぼうとしない。ところが世の中には優れた経営者から好ましい影響を受ける人もいる、これも事実である。小倉氏はクリスチャンであったこともあってか、福祉の世界にも大きな影響を与えてきた。小倉氏は2年前に世を去ったが、好ましい影響の連鎖は広がっていくものである。これもイノベーションのプロセスとして大事な部分だろうと思う。

 引越しに話を戻すが、いまどきの引越しはお金があって、暇がない場合は丸がかえのサービスもあるし、節約型、高齢者向けなどとそのメニューは多岐に渡っている。

学生時代、筆者はダットサンを借りて、名神高速を飛ばして引越しをした経験や、リヤカー(ってなにという人も多いかな)で、坂道を2回登って引っ越したといった特殊(?)な経験をした。今回の引越しは、わずかな距離であるが、学生時代と違って少ないとはいえ3トン車で、3人がかかって2時間半の作業であった。今回の引越しは道具立てを含め手際のよさに感心したが、意外だったのがパソコンが使えない期間が長いということであった。技術的にではなくビジネスが入り組んでいることが原因である。単なる競争原理適用だけでは社会は決してよくはならない例なのではなかろうか。成熟したイノベーションはいつの時代も必要なのであろう。イノベーション25を大事にしていきたいものである。


                              篠原 紘一(2007.6.11)

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