119. バランス感覚

ドイツを東西に隔てていたベルリンの壁が破壊された際に大きな影響を与えたのが、テレビやビデオを通じて国民が感じた世界とのギャップであったといわれている。

 そこまで話を大きくしなくても、テレビ番組の影響力を示すエピソードは少なくない。たとえば、タレントが極めて個人的な意見であっても番組中で、ある製品についてポジテイブな評価につながるような発言をすると、購買心理に少なからぬ影響を与える。消費者心理で購入する金額にもよるようであるが、何を買うかの選択に迷っている人には、格好の後押しになりうるのだ。ものを買う行為に限らず人は選択肢が多いときに、ある決定を下す上で自分を納得させる理由が要るのである。

買いたいと思っている製品で選択肢が複数あった場合、必ずあとで自分の選択が正しかったかについての疑問がわくケースがある。そんなときに後悔しないために、自分の気に入ってるタレントも使っていることをイメージして納得させるのは、これだけ物資的に満たされてきた時代には納得性が高い理由となると思われる。

話は変わるが、最近納豆によるダイエット効果を主張する捏造番組が批判を受けている。

この番組はほかにも根拠のはっきりしないことを誇大に宣伝してきた例がいくつもあるようである。結局は視聴率という業界での競争がもたらした弊害なのであろうが視聴率は日本に限ったことではなく類似のスキャンダルはいずれの国でもあるのだろうとは思う。

ただテレビをみて気が付いた日米の違いがある。それは広告であるが、同じジャンルの商品の比較広告である。

日本では、あからさまに競争相手の商品を攻撃する広告は目にしないが、アメリカでは堂々と比較広告を打つ。名指しで相手を攻撃するのである。よく知られるようにアメリカは訴訟社会であるとも言われており、弁護士の数も多くある意味訴訟ビジネスが成り立っている社会とも見られる。そんな社会で相手を攻撃する材料はたとえ訴訟になっても勝てる根拠を持たなければならないのは容易に想像が付く。

シリコンバレーの計測器ベンチャーを訪問したときに、清涼飲料メーカーからの依頼で歯の磨耗量の精密測定器の開発が進められている場面を目撃した。清涼飲料であるから争うポイントが違うように感じたが、きわめてまじめな争点なのだとの説明を受けた。実際にはっきりした差が出て相手の攻撃に成功したかどうかの後日談はフォローできていないが、こんなニーズもシリコンバレーの活力の素なのかと感心したのは確かである。人間の歯は一定形状ではないし、かかる力の見積もりも計測する必要があり、磨耗データをどういった条件で取れば意味のある実験になるかも簡単ではない。もちろん難しい開発に挑戦すれば、次につながるシーズが生まれるとは限らない。

Speed is everything.といっても成功と同じくらいの失敗に対峙できる風土はうらやましい限りである。先日のNHKの仕事の流儀に登場した、シリコンバレーで活躍する日本人エンジニア、渡辺さんの話の中で紹介された”muddle through “という言葉は印象的であった。

この言葉はブレークスルーに近い言葉らしいが、基礎研究からビジネスまですべての分野において、アプローチの方法さえわからないような状態から何とかやり遂げることを表わすとなると、まさにイノベーションにとってマッチするキーワードであるという感を強く抱く。

イノベーションには終わりがない。そのイノベーションにとってボディーブローのように一番効いてくるのは風土の差である。風土を決める要素はいくつも挙げられるであろうが、重要な部分のひとつは国民にとって好ましいと思われる変化を受け入れてゆくバランス感覚である。その根拠はできる限り科学的であり、ロジカルであるのが望ましい。科学的な根拠を徹底的に積み上げて相手を攻撃する国(訴訟社会を目指せとはいうつもりはないが)と、納豆ダイエットの放送で店頭からあっという間に納豆が消える国と、どちらが今力の入ってるイノベーションに優位かは好き嫌いの問題ではない気がする。



                              篠原 紘一(2007.3.16)

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