111. ずばっと・・・・

 「みのもんた 朝ズバッ!」は、朝早くから広い範囲のニュースをカバーし、これまでのワイドショーになかった工夫がなされている。みのもんたが権威におもねることなく「はっきり言わしてもらう・・・・」と切り込む姿勢からはいかにも全力投球の心が見え声援を送る人は多いに違いない。ジャンルは違うが、「ずばりいうわよ・・・」の細木数子のずばりは、筆者にはよくわからないが支持する人とそうでない人がかなり分かれてるように見える。しかしここで注意しないといけないのは「ずばっと言う」のは「あいまいさのない、はっきりしたものいい」だけではないということである。広辞苑をひいてみても「ものごとの急所や核心を確実に突くさま」とあるように、これができるようになるには大変そうだと想像がつくであろう。性格で(悪気はないのにといわれることが比較的多い)相手が打たれ強かろうが、弱かろうがまったく配慮せずはっきりとしたものの言い方をする人や、はっきり言うけどと枕につけておきながら少しもはっきりしてないことを平然と言う人などがあなたの周りにもいるに違いない。職場のように日常的に比較的閉じた環境においては、上下関係であれば、パワーハラスメントになったり、男女であればセクシャルハラスメントになったりするリスクがないとはいえないものの、うまく付き合って自分の益にしたいものだ。そうするには言われたことが、核心を突いているかどうかを、感情的にならずに自分に問いかけてみることである。これも簡単にできることではないが、そうすることの積み重ねで気が付いたときには視野が広くなっていることを実感できるはずである。私的な話になってしまうが、筆者は途中入社で民間会社に就職したため、いわゆる新入社員としての会社の導入教育を受けていない。そのことで、とんでもない授業料をはらったことがある。研究所に入って、半導体へのイオン注入の研究、先輩が納入した電子線加速器の修理や、改良、イオンプレーテイング技術開発と、製造会社に入ったのに、気分は大学の研究室のときと大差がなかったし、製造にとって、とりわけ大量生産にとって重要なことは何かを経験的に学ぶこともなかった。蒸着磁気テープで初めて量産技術と出くわしたのである。8ミリビデオ用の蒸着磁気テープの量産準備が、事業部とのプロジェクトで進められていた。筆者らは組織上は、独立した開発室で研究所から事業部に異動はしていたものの、事業部の技術からは研究所との合同プロジェクトに見えていたように思う。新しい製造装置が導入され、

製造仕様を確定するために、10回量産試作を行って、品質保証部門によって承認を受けるステップに入った。磁気テープの製造工程は複数の工程からなるが、検査工程に近い工程は、いくつかのロットの検査結果が出てから、処理されるような状況になる。時々刻々検査データがつみあがっていく現場で製造歩留まりが話にならないことがわかって、何とかしなくてはと思考回路が回ってしまった。このままでは生産に入れないということで、勝手に製造条件に微調整をかけた。10回の試作は、同一条件で行うという製造の基本を逸脱した試作をやってしまった。今にして思えば、よくもあんな無茶をしたと思うが、当時は少しでも良品を取りたいとの一念で、反対する製造に対して、責任は取ると強引に押し切った。前半の試作ロットの歩留まりと、後半のロット歩留まりでははっきり差があったので筆者にしてみれば間に合ってよかったの感覚であった。ところがプロジェクトリーダーに工場内の喫茶室にくるよう言われた。コーヒーを飲み終わるまでは、その話ではなく友好的(?)な話であった。コーヒーを飲み終わると、なぜ指示通りにやらなかったかを問われたので、良品を少しでも多く取ろうとしてやったと答えた。「しかしそれでは、経営判断ができない。君は君のやるべきことをやれ。」といわれた。よくわからなかったので、事業サイドの現場責任者に聞くと、「事業をはじめる上で、赤字になる、ならないよりも、約束が守られることが大事で、それには数字が読めないといけない。現場に張り付いて、筆者が本来しないといけない仕事をしないで、製造条件の微調整で、歩留まりを良くするなんてことはやらなくていい。」ということだろうといった説明であった。表面上はわかったようなつもりにはなったが、リーダーが筆者に伝えたかった核心部分に合点がいくまで相当の年数を要した。同じレベルのものを繰り返し作って何がうれしいかの感覚は研究者の感覚(研究者も、再現性までは必要なこととしているが、同じ条件での実験を多数回行うのではなく、エラーバーと、理論での肉付けで研究の世界では会話を成立していると見てよい)で、製造会社の技術者としては恥ずかしい未成熟さであった。

喫茶室で指導を受けたプロジェクトリーダは10年後常務取締役になっていて、蒸着磁気テープをあきらめずに続けてデジタルビデオ用の磁気テープ事業が見えてきたときにあった際に「まだ生きていたんか」といわれたが、人づてに篠原でないとできないことをあいつはようやったといっていたと後にきかされた。仲間たちの努力が実ってデジタルビデオ用の磁気テープが高収益事業になり、数億巻のカセットを市場にだしてきたことでなんとか借りは返せたのかもしれない。「経営判断ができない」といわれたことに詰まっていたメッセージが解きほぐされるまでにはずいぶん時間がかかった。経験の幅と深さが核心をつけるようになる道につながっているのだなということを最近でも身近で感じている。ずばっと言うことは辛口であったり、厳しい物言いとも違うあるレベルを超えた世界のような気がしている。ずばっといってくれる人が近くにいる人は実は大変幸運な人なのであろう。


                              篠原 紘一(2006.11.17)

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