11. 暑い夏


 第84回全国高校野球選手権大会は高知県代表の明徳義塾が9回目の出場で初の頂点に立って終わった。高知県勢としては46回大会の高知高校以来の優勝である。

明徳義塾の全国制覇の値打ちとは関係ないが、日本人の持つウエットな部分と、高校野球が地域と密着して進められてきた歴史的背景から2つのことがとかく話題になる。ひとつは日本のプロ野球の中心打者になっている巨人軍の松井選手が星陵高校の3年生の夏、明徳義塾の投手は勝つためにはこれしかないと考えた監督の指示で5打席すべて敬遠の四球を与えたことと、高知県代表の明徳には高知県出身の選手はほとんどいないということである。この二つはルール違反ではないが高校野球を好きになってしまったものの描く高校野球の世界にはなじまないものがあると感じている。かくいう筆者は度を越した高校野球ファンなのである。

決勝の日、元巨人軍の監督の長嶋さんは甲子園で高校野球を始めて観戦されたそうで、8月22日の朝日新聞にその記事がでていた。彼は佐倉一高の球児のときに千葉県と埼玉県で争う南関東大会までは進出したが甲子園には出場できなかったとのことである。その後立教大学から天才振りを発揮していったがそのころ、新聞記者の叔父から聞いていた長嶋さんの分析について、その後の長嶋語録の数々でなんとなくわかる気がするが、よくはわからないということから納得をしていたが、今回の高校野球の捉え方は見事だと感心した。あらためて直感の鋭さには畏れ入ったしだいである。

甲子園が憧れの夢舞台として、長嶋流に言えば永久に不滅なのはワールドカップやプロ野球と違って、負けたら終わるトーナメント方式だということが基本にあるとの見方をしている。そこから理屈でなく、ハートからプレーが生まれ、技術ではなく生き様が周りの心を打つのだろうと思っている。

筆者はテレビで真剣に高校野球を見ることは無い。それは甲子園球場で味わう高校野球がテレビからは十分に伝わってこないからである(この決め付けは甲子園にいる自分とテレビを見てる自分が同時に存在し得ないことから変ではある)。松井の敬遠劇も明徳義塾のベンチの近くにいたが、明徳義塾側も騒然とし、高校野球では最初で最後の異様な雰囲気であったことを思い出す。選抜大会ではあるが沖縄が優勝した直後、相手校のアルプススタンドや内野席をもつないでのウエーブが甲子園を熱く包んだことも忘れられない。今年の大会は史上最多の4,163校の壮大なトーナメントで4,162校が負けたのである。

チームでの戦いだとは言え、才能豊かな高校生が早くも挫折を味わったのである。ここはぜひ、運、不運などではなく、負けたことと正面から向き合ってたくましく未来を切り開いていって欲しいものである。今年は平成14年度の募集締め切りが8月12日だったことから、2回戦の途中までの観戦であったが、たまたま、智弁学園(奈良)の主将と、春の優勝投手、報徳学園の大谷投手が浦和学園に敗れたあとスタンドで一緒に観戦していた。横で聞こえた範囲ではあるが、悔しさがばねになりそうな会話が交わされていたことで、なんとなく救われた気がした。

甲子園の熱い夏は終わったが、ナノテク事務所の熱い夏は続いている。

                                                篠原 紘一 (2002.8.23)

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