108. 本音と建前

まったく違うタイプの首相であった小泉政権の後を安倍首相が引き継いで、美しい日本を創るという。安倍首相は官邸強化を鮮明に打ち出した体制をとって船出した。テレビドラマの「ホワイトハウス」を見ていると、アメリカの政治の舞台裏が軽妙なタッチで描き出され興味を引くがあのドラマは大統領制の世界であり、議院内閣制の日本で形から入ればいいということにはならないのではないかと気にはなる。それでも、変えてみるのは決して悪くはない。日本の政治が本質的に日本国民にとって良い舵取りになる仕組み見直しになる変化につながっていくことを期待したいものである。東京大学の小宮山総長が言うように「課題先進国日本」の課題解決には、政治にばかり望むのではなく官民挙げてのシステマテイックな取り組みが大事なのは言うまでもない。基礎研究から、経済、社会生活までのさまざまなフェーズで、何を、どう新しく変えていくか、大きな集団から、個人のレベルまで持続的発展につながっていく価値観の再構築が必須である。そしてグローバルの中の日本の存在意義がよりはっきりと認識されていけばよいと思う。「美しい国日本」の核になる日本人の気質や、文化や、価値観で大事にしたいことも多いが、まだまだ欧米を参考にして改善したい面も少なくない。どんなに小さな改善であれ、改善するには仕事が必要である。しかし、その仕事は一個人で完全に閉じてしまうケースはほとんどない。複数の人が関係すれば、そこにはコミュニケーションや評価などのさまざまな相互作用が生じる。集団が生み出す成果の大きさに関与する個々人の行動の本気度のようなものを左右するひとつの重要な要素は「本音と建前」のバランスなのではなかろうか。

 本音と建前のバランスはチーム(グループ、家族、・・・)のおかれている状況によって変えることで事態は大きく動いたといえる経験談を紹介する。

 経験1:プロジェクトチームの一体化

 蒸着磁気テープの大型実験機を、専門の真空機器メーカに発注したが、肝心の仕様が保証されないということが起こった。それは、プラスチックフィルムを巻き取りながら金属を蒸着する技術は産業になってはいたが、フィルムコンデンサーや、金糸・銀糸、装飾フィルムなどの生産に限られていたからで、蒸着材料は亜鉛やアルミニウムであったことから、ニッケルを電子ビーム蒸着したいとの仕様は無保証となってしまったのである。何をターゲットにしているかは明かさずにこちらがほしいものを注文するという厄介な指示が上司から与えられたことから起こった迷走であった。真空機器メーカーは、日本の代表と、ドイツの代表メーカー、フィルムメーカーは日本の大手2社と交渉を始めた。特殊なコンデンサーを作るという話にしたが、その構想をフリーハンドの図面と主要スペックを書いたメモで説明したところ、懇々と諭されてしまった。「真空度はそんなに必要ない」「クーリングキャンの直径が1メートルになれば、フィルムの密着が確保できず、フィルムは蒸発源の熱で溶ける」「フィルムの片方の面は平らで突起なし、もう一方の面はフィルムを巻き取れる程度に粗らしてくれてよいなんていってもそのような面設計ではロールにならない」と。そこでプロジェクトは長期戦になると実感したと同時に、世の中そんなことをまだ求めていないのであるから、特許はとり放題、うまく先行すれば、簡単に追いつかれず事業を優位に進められると感じた。しかし現実には、本当のことを伝えないと無駄な開発をさせることになる。機密保持契約を結んで何とか同じテーブルにつけると思っても、すぐには利害が一致しないことも多く、実務の責任者同士が意気投合することになるとも限らない。それでも、お互いの距離が一気に短くなることも起こる。そのきっかけは、本音をどこで、どのように伝えるかによっているというのが経験的に学んだことである。磁気テープの製造技術が新しくなることから設備開発や、ベースフィルムや,蒸着材料の開発などキーになる開発項目は多岐にわたる。当時は自前主義の時代であったことから、可能な限り内部でできることは内部でやろうという風潮があった。特に現場から遠い位置にある幹部間で(すべてとは言わないが一般的には)全社的な協力がいるプロジェクト(特に社長プロジェクトとして認定されたらなおさらである)では、一見前向きな協力関係がうまれる。多くの場合全体プロジェクトの中にミニプロジェクトが複数生まれる。その中で、真空蒸着装置をすべて専門メーカーに任すのではなく、いわゆるブラックボックス化と称してノウハウの詰まった部分は内部で作り上げていくという考え方をとって進めた。この部分は特許取得においても腐心する部分であった(せっかく隠そうとするノウハウを公開することになってもいけないし、かといえ、他社が権利化したら不利な立場にたたされるといったことがあり、この悩ましさは今なお課題であろう)。悩みながらも、開発過程では、ことはぎりぎり満足できるレベルで進んで言った。ところが、事業化が決まると、設備に開発要素があってもそのリスクは事業部門が負うことになるから、研究所はリスクを小さくすることに関しても助言の範囲を超えることはできない。

社内にある生産技術部門が事業部門の要請を受けて大型の電子ビーム蒸着機を内作することが決まりプロジェクトが発足した。そのキックオフの場で、筆者は研究所を代表して激励の言葉をといわれ壇上に立って、集まっているプロジェクトメンバーに若手と、中堅どころが多いのに意を強くすると同時に、責任者たちには大人気ない(?)と思われるかもしれないと思いつつも、本音だけを伝えることにした(プロジェクトのキックオフはある種のセレモニーであるから建前の挨拶で、本音を言うにしても少しだけというのが相場である)。「責任者はやりきる決意を述べた。始めてやることが、かつ限られた時間の中で決意だけでできれば苦労はしない。今回のプロジェクトメンバーはこれまでと違う姿勢で臨まなければ成功しない。はっきり言って、今までの生産技術部門の姿勢でしかできないというなら、今からでもこのプロジェクトをやめたほうがいい。やるというなら、研究所にあるノウハウをとことん引き出しそれをベースに高い目標を目指してほしい」といったようなことをまくし立てた。間に立った形の事業部門は戸惑ったが、後で聞いたところによれば、生産技術部門も、事業部門も実務担当者は筆者の本音を聞いて奮い立ったということであった。このプロジェクトが実を結ぶ上で、プロジェクトチームメンバーが一体化して力を出し切る上で、本音を伝えたことは意味があったようなのである。 

 経験2:議事録

 仕事をする形態はさまざまであるが、一人で進められて、独立性の強い性格の仕事以外は、組織間の連携が求められるし、プロジェクトチームのような場合は属する組織とプロジェクトの上司が異なることも多くあり、ほとんどの場合、定期、不定期にかかわらず会議が開かれ、何かが決まる。そして多くの場合議事録が残される。ところがこの議事録が会議に出なかったものにとっていえば、何のメッセージも伝えない(というのは言い過ぎにしても、実は大事な部分が伝わらないケースが多いのである)ということにある時気づかされる体験をした。会社が分社化され、研究開発部門の再編が起こり、事業部門の研究所に本社に帰属している研究所群からいくつかのグループが加わったことで事業部門に大きな商品開発センターができた。センターの所長がグループ単位でヒアリングと懇談会を順次実施した。これは組織が変わったときに良くやることであり、その議事録もごくごくありそうな議事録でありそれを見て特に気にも留めなかった。ところが後に組織の組み換えがあって、筆者のグループに新しくチームが加わることになった時に、特に気にも留めなかった議事録の、全風景がわかる速記録を渡された。センターの所長と、チームのリーダーのやり取りを始め、チームメンバーに対して所長から発せられた厳しい評価が、臨場感を持って再現されるようで、驚いた。それをみて、チームの評価を筆者自身が変えることはしなかったが、議事録だけでは時に判断を間違えることがあることを強く実感した。

その後あまり交流がなく、価値観が良く理解できていない幹部や組織の責任者などが、どんな発言をし、やり取りがどうであって、どうやってことが決まったかを刻銘にメモして、プロジェクトの運営に活用した。関係者に配布される議事録はいわば建前情報しか記載されていない。本音が見える会議再現メモがいくつかの場面でプロジェクトが間違った方向に進まないように導いたのは事実である。

 

 


                              篠原 紘一(200610.5)

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