106. 特許雑感(1)
 特許に関するセミナーなどに出てみると、日本も出願、権利化の時代から特許を活用する時代、特許ビジネスの時代に入ったという論調が目立つ。マクロな認識としてはそういえるが、基礎研究から生まれる発明の権利化を支援する立場で、特許を見ていくと推進上の課題は残されていると感じる。

 論文の評価は学会においてなされ、特許の評価は産業界においてなされることから求められているポイントが異なってくることの理解は進んできてはいるが、出願経験を重ねていない研究者には、研究のモチベーションは特許に求められる要素とほとんど合致しないようである。

 基礎研究を担っている主体である、大学、国研の特許出願件数が増加傾向にあるのはよい傾向であっても、最初の一歩でしかない。筆者が入社した1960年代の後半は、民間企業においても出願件数を増やそうとしていた時代で、特許出願強調月間が繰り返し設定されたように、ほうっておけば特許出願は面倒なことで横に置かれるといったのが実態であった。その後、アメリカのみが先発明主義(他は先願主義である)であるといった制度上の違いをたくみにいかしたいわゆるサブマリン特許で攻撃を受ける機会が増え、さらにアメリカが採ったプロパテント政策で特許は企業経営を大きく左右する要素になっていったという経過がある。したがって、いまや民間企業の特許マインドは「特許明細書で裏付けられた権利が他によって侵害されていることが立証できるか、立証に困難が伴っても争っても勝てる特許明細書になっている」ことが求められるところまで変化してしまっているのである。筆者も1990年代の後半のプロジェクトで、知財部門から訴訟になったときのことを想定した明細書つくりの話しを聞いて戸惑ったことを昨日のことのように思い出す。アメリカも、先発明主義から先願主義に変わっていくということになると、一刻を争って、特許係争に強い充実した明細書を準備し、出願し、国際協定で保障されている補正の機会を最大限利用して産業に寄与する特許の歩留まりを上げていく特許出願、評価システムを時代にあわせて磨いていくことが求められるといえるのであろう。しかしこれは容易ならざる課題でもある。基礎研究の成果が産業の出口にいたるまでの時間は10年ではすまない(もちろん基礎研究から生まれる特許が早期に産業で実施されるケースもあるが、割合は少ない)と考えると、出願時の明細書強化策とともに、権利化された特許の維持要否の定期的評価策の導入など国費が生み出す特許の将来貢献度合い高揚策が必要になってきていると感じる。

 研究の現場に、望まれる特許マインドが醸成されていくような仕掛けをやっていかないと本来、基礎研究が担う本質部分を蝕むような負の側面だけの増殖が懸念される。

 そういった愚を避けるうえで、民間の経験を凝集していかして行ったらいいし、シニアパワーを明細書のたたき台つくりに活かして行くなどすぐにでも手がつけられることの中に有効打も少なくないと思われる。

 基礎研究での特許推進を見直す上でヒントになると思われる経験を以下に紹介する。

1)      原理特許が切れるころに産業化が進みだすのは経験則といえなくもない。

原理特許を実用化しようとしたときに、既存の製造インフラが使えず新たに製造技術を開発しなければならないようなときには、そこに挑戦したグループが実用化の基本特許に位置づけされる特許を取得、原理特許はロイヤリテイー収入なしで生涯を終えることがおこる。(蒸着磁気テープはIBMの発明である、斜め蒸着の基本特許が切れてから花開いた。原理特許に位置づけされる特許の権利有効期間内での実用化有無の評価は重要である)

2)      特許の価値は技術の価値だけではなく、むしろ権利保有者の価値観がきわめて重大である。

米国の例では、大学の特許収入で目立つのはライフサイエンスだけといってよいといわれていて、意外にも情報通信、エレクトロニクス分野は収入がほとんどないのだという。この背景はIT分野では民間の研究パワーが強く、原理回避の代替案や、既存技術の改良やシステム的な工夫で提供されるいわゆるソリューションも、原理特許回避策となるなど、ビジネス競争では、回避可能な原理は回避に向かうと言っても過言ではない。厳しい特許交渉になる例は、ものを作ってビジネスをしない権利者(科学技術振興機構などの行政機関もそうではあるが)の中で、特許だけで商売をしようというグループとのランニングロイヤリテイー交渉があげられる。(業界内であれば、お互いに権利主張せずに、マーケット拡大に協力し合うような話し合いも成り立つ。そのことは顧客にリーズナブルな価格で商品を提供できるメリットもある。特許が切れた医薬品が安く手に入ることを想像してもらえば良い)税金で取得した知的財産ビジネスのあり方も時代適合が問われる対象であろう。

3)      研究の価値に対する多面的理解と運用

ナノテクノロジーの象徴的な材料のカーボンナノチューブで新しい電子デバイスを目指した研究はいくつか違ったアプローチで進められている。科学の側面から見る限り、極低温での動作でも、デバイス作成法がアクロバテイックであっても再現性があればインパクトが目減ることはほとんどない。得られた新たな知に価値があるからである。

しかし、この研究を元に生まれた発明に産業界が強い関心を示すことは期待できない。なぜなら、大半の応用が室温、もしくは動作によって温度上昇があるなら上昇後の温度であっても動作が正常でないといけないからである。具体的に先の進化のイメージがあるかないかは別にして、一山ふた山越えるのを待つ行動に出るだろう。そして発想を変えて実用化に接近したと思えるような発明が後に生まれれば、先行した研究の科学的な価値評価は変わらなくても、先行した研究成果から生まれた特許は「ボツ」にするしかなくなるのである。(蒸着磁気テープで磁気記録層の上に、直接リンクした潤滑材料の多くの発明は、間に保護膜のダイヤモンド状硬質炭素が10ナノメートル入っただけですべてが「ボツ」になった。技術的な飛躍が、いつも特許に微笑みかけるとは限らないのである。この例からも、こまめに基礎研究から生まれた特許価値は見直し評価するしかないといえそうである。)

 


                              篠原 紘一(2006.9.8)

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