105. 第88回全国高校野球選手権

平成18年8月20日。量子計算で使われる重ね合わせの原理で説明するならば、早稲田実業悲願の初優勝、駒大苫小牧73年ぶり、中京商業以来の史上2校目の夏3連覇の2つの状態が同時に存在すると思える結末、延長15回1対1の引き分けとなった。筆者は今回、テレビ観戦であったが、もし現場に居合わせたら、感動を超えて、選手も観客も極限の集中から解放され、スコアボードが美しいなあとぼんやり眺めていただろう。それはほんの一瞬だったのにずいぶん時間がたつように感じたのではと、そんな気がしたのである(15回の真ん中の8回に1点ずつが入り、前半、後半ゼロが並ぶ対称性は演出できるものとは思われない美しさではないかと)。重ね合わせの原理は、あのアインシュタインでさえ、「神は決してサイコロを振らない」といわせた難解な概念であるが、あの日、日本人には2つの状態が重なって見えたと思っている。大会の規定では、翌日に再試合となっているが、あの時点で国民投票を携帯電話のアンケートで実施すれば、文句なく、両校の優勝でよいとなったであろう(選手はそうではなかっただろうが)。

 平成18年8月21日。重ね合わせの状態は、その状態を壊さないで観察することはできないとされているが、強引に観察した結果、早稲田実業の初優勝が観察にかかった。サイコロを振らないはずの神様がサイコロを振ったのである。日本中の高校野球ファンの心を揺さぶり続けた決勝戦は早稲田実業の4連投のエース斉藤投手と、駒大苫小牧の3連投のエースで、強打者田中投手の対決となり、斉藤渾身のストレートを力の限り振った田中のバットが空を切る劇的な幕切れとなった。延べ24イニング戦って、5対4の息づまる戦いで第88回4千校を越す参加チームの頂点一校が決まったのである。今年はホームランが多く、あの清原、桑田のPLが活躍して作られた大会記録は大幅に更新され、60本がスタンドに飛び込んだように、大差を終盤一気に逆転するなど、これまでなかった試合展開もあったが、二日にわたる決勝戦の熱闘は出色であった。

 今年の大会は地方予選は各地に被害の出る雨にたたられたが、本大会期間中は暑い日が続いた。高校野球連盟はベンチ入りの選手を増やしたり、エースで4番で、一人投げぬくといった時代ではないと、選手の健康管理から複数の投手の育成や、準々決勝を2日に分ける(これは見る側からすると、歓迎されないというのが本音であるが)などの手を打ってきた。が今回は、個人の持つ素質が鍛錬されて、管理や、分業に向かう世の中では生まれない突出したドラマを見た思いである。

「事実は小説よりも奇なり」という。今年ばかりは日本にとってはサッカーより野球と言えそうである。ドイツで開かれたワールドカップは、シュートを打ちに行かない日本のあっけない予選敗退。そこには小説にはならない事実だけがあった。一方野球は王監督率いる全日本が首の皮一枚でつながったチャンスをものにして、初めての野球世界大会(WBC)を制した。長嶋、王が輝いていた華のあったプロ野球も、少年たちの夢や憧れから遠ざかってきていた感がある。WBCはそれを少し押し戻した。ところが長嶋に続き、王が突然病に倒れる。胃を全摘出、再入院のベッドから王さんは母校早稲田実業の後輩に熱いエールを送る。後輩たちは王先輩にとって勝利がいい薬になるからなんとしても勝ちたいと思う。そんな風につながっていくドラマを越えたドラマに感極まる人たちがいた。『ハンカチ王子』『兄が食事を作って支えている』『サッカーのベッカムが使っている、通称ベッカムカプセルという酸素濃度をあげての疲労の急速回復技術』『地元の歓迎ぶりと、とりわけ明るい駒大苫小牧』『斉藤、田中の進路は?』などなど、周辺情報が次々提供され、余韻を楽しむ話題には事欠かない。

 当分厳しい残暑が続くという。球史に残る37年ぶりの決勝戦の引き分け再試合の舞台であった甲子園球場には赤とんぼがその余韻を楽しむように舞っているのであろうか?
 (夏の甲子園で感じる季節感が、じわじわと地球を襲う温暖化で狂わない前に歯止めがかかるよう願っている)

 野球に限らず道具も進歩し、トレーニング法も進歩してきている。技量に明確な差があれば別であるが、最後に勝負を決めるのは心の強さであることを改めて感じた第88回全国高校野球選手権大会であった。野球部員不祥事での選抜辞退を乗り越えてきた駒大苫小牧、この春の選抜大会で横浜に滅多打ちにあってベスト8どまりに終わった悔しさを力に変え、動じないタフネスを発揮した早稲田実業とのお互い譲らぬ死闘を制したのはなんだったのか?ややもするとプレッシャーになる名門校の伝統の見えざる力が少しだけ背中を押したことによるぐらいに考えるしかないような力の均衡ぶりであった。王も、荒木も跳ね返され届かなかった深紅の優勝旗を手にした早稲田実業ナイン、関係者、夏の大会3連覇の偉業に手がかかるところまで食らいついた駒大苫小牧ナイン、関係者への拍手はいまもなりやんでいない。

個人的なことではあるが筆者は、群馬県前橋市の出身である。早実の斉藤君は群馬県太田市出身で、リトルリーグのときから目立っていたという。彼が早実を選んだのは、野球の名門というだけでなく、文武両道(いまどきの高校生からこんな言葉が出るとは思いもしなかったが)の高校に行きたいと考えに考え決めたのだという。群馬県、前橋高校も甲子園で完全試合を初めて成し遂げた松本投手が監督で、伝統ある文武両道の高校なのに、斉藤君に選ばれなかったのは少しばかり悔しい気がしている。でも総合ブランドとしては早稲田・・・かなあ?


                              篠原 紘一(2006.8.25)

                     HOME     2006年コラム一覧          <<<>>>