100. NNIの次はNII

 科学技術基本計画は、この4月から第3期の5カ年計画としてスタート、25兆円の国費を投じて、科学技術創造立国をより磐石のものとする活動を支えていく。重点4分野のひとつである、ナノテクノロジー・材料は重点化推進対象であることは変わらないが、「True Nano」の表現が使われ、全体の背景にある、社会還元への要請の高まりに呼応する重点化が図られていく。多くの国の国家戦略の対象に、ナノテクノロジーが取り込まれたきっかけとなった、クリントン政権時代に発信された、National Nanotechnology Initiative(NNI)はいまや、話題に取り上げられることもなくなるまで重点化推進が進んでいる。       ところが、2004年の12月に、新たなるイニシャテイブが登場した。National Innovation Initiative(NII)である。これは、1985年に米国の国際競争力強化に関する提案として出されたヤングレポート以来の大レポートで、通称「パルミサーノレポート」といわれるものである。このレポートの主張の骨格部分である、イノベーションへの強烈な要請は日本の第3期の計画にも色濃く反映されたとみて取れる。

イノベーションは国際競争力を高める不可欠の要素であるから、これまでも多くの研究成果が報告されている。それらの中でインパクトが極めて大きかったものの一つがハーバードビジネススクールでのクレイトン・クリステンセンを中心とした研究成果であろう。第1弾は日本語タイトルが「イノベーションのジレンマ、技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」(2000年1月31日、初版、翔泳社)で、帯にインテルのグローブ会長、東大児玉教授、一橋大米倉教授が推奨の弁を簡潔に述べているが、そのインパクトの強さ、広がりがうかがい知れる。第2弾は「イノベーションへの解」(2003年12月12日,初版、翔泳社)である。第1弾はイノベーションを、多くのビジネスの歴史的事実を整理した事例研究の成果として「破壊的イノベーション」と、「持続的イノベーション」に分類して、破壊的イノベーションがまさに、大企業相手に矛先を向けて、大きなダメージを与えることさえあることを示している。第2弾は成長を目指す企業が、長期的に成長をどうやったら持続できるかの処方箋のヒントを提示したものといえよう。世の常であるが、クレイトン・クリステンセンの研究グループの成果から多くを学んでいる人や、組織がある一方、批判的な評価もある。

 米国の未来社会学者、アルビン・トフラーが5月28日付けの読売新聞に寄稿した、米国の基礎研究軽視傾向に警鐘を鳴らす主張の中には、クレイトン・クリステンセンの「破壊的イノベーション」戦略を、経営者がすべて取るような事態になったら、画期的な製品はなくなるとの見方が示されている。もし古人がこれに従っていたら、我々は今頃、石斧をせっせと研いていたはずであると、大変わかりやすいたとえ話ではある。

 また、同志社大学、山口栄一教授は「イノベーションのジレンマ」に感じた違和感を本にして出している(日経ビジネスオンラインの著者インタビュー参照)。「イノベーション 破壊と共鳴」(NTT出版)である。著者はクリステンセンがイノベーションのプロセスを十分理解せずに戦略論として扱っているところから、現場との間にギャップが生まれているのだ分析している。クリステンセンの「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の分類と、市場におけるこの両者の評価、挙動などについて山口氏にも誤解があるように思われる。山口氏は提唱する「パラダイム破壊型イノベーション」なる概念を、真空管に対して開発導入、進化をしたトランジスタをこの代表例としてあげている。決して、トランジスタはクリステンセンのいう「破壊的イノベーション」ではないという見方である。アルビン・トフラー、山口両氏とも、「破壊的イノベーション」を簡単に作れる、安物で性能も悪い製品の導入と断じているが、筆者はクリステンセンがいくつかの研究対象に選んだ製品の中で、ハードデイスクの開発、事業化にかかわったから、クリステンセンの2つのイノベーション分類はよく理解できる。ハードデイスクのビジネスでは、小型のハードデイスクがまさにこの「破壊的イノベーション」に当たる製品なのである。そして、アルビン・トフラーと山口両氏が「破壊的イノベーション」から生まれる製品、サービスなどを簡単に出来、安くて、性能が悪いという捉え方は本質を捉えていないと思っている。

真空管での持続的イノベーションが進んでいる時代に最初に投じたトランジスタは、真空管にない固体素子ならではの特徴はあったが、まともに同じ市場で戦える代物ではなかったのであるから、破壊的イノベーションであっていいのだと思う。それが今は誰しもが予測し得なかった産業の米といわれる市場を作ってきた。今その進化のラインがまさに持続的イノベーションの道なのである。確かに、イノベーションの研究者は多士済々であるから、いや歴史的には7つのモデルに分類すべきであるという研究者もいる(エール大学、ポール・ブラッケン教授)し、筆者の関心も学者の議論にわって入ろうというつもりはまったくない。国費の科学技術への投入が優先的に扱われるようになって10年がたち、いろいろな施策が打ち出されて来ている中にあって、産学官の連携強化がある。その成果の一つの切り口として日本の大学発ベンチャーが1500社を超えたとのニュースは注目に価値しよう。その中には当然であるがナノテクベンチャー、ナノバイオベンチャーなど、ナノテク関連も増えている。

 破壊的イノベーターと、ベンチャーが1対1で対応するわけではないが、極めて近いといえなくもない。一面では、既存のインフラをベースにしつつ、且つマスマーケットで進化を遂げている持続的イノベーションから生まれる、商品群や、サービスなどと正面から戦うのではなく、極めて優れた特徴があるが、商品全体としてのバランスは取れているとはいえないものを、市場に問う勇気を持ったプレーヤーたりうるかどうかが、いずれのイノベーターになるかの分水嶺なのではなかろうか。

(おまけの話:::先日、東大安田講堂で開かれた、トロンで有名な坂村健教授がリーダーをされている21世紀COEの公開シンポジウムに参加した。イノベーションが主題になっていたが、坂村教授が、イノベーションはオーストリアの経済学者のシュンペーターが言い出した、破壊と創造に端を発しているといった話の展開の中で、クリステンセンの2つのタイプのイノベーションの話も出てきた。くわえて、産学官連携でよく使われる「死の谷」という言葉を最初に使ったのがクリステンセンだという紹介もあった。ああ、そうなんだと感じた、ただそれだけのことですが・・・) 


                              篠原 紘一(2006.6.8)

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