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野依良治の視点

(35)研究はみずみずしく、単純明快に

2019年6月18日

日本人にとって飛鳥、奈良時代から連綿と紡いできた文化はかけがえのないよりどころである。この豊かな精神は美術品や文化財の創出に限らず、日本人科学者の発想にも深く根付いていると感じるが、逆に自らの文化を育むことも研究人生の目的の一つではなかろうか。異文化の米国においても従来のSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)にArtsを加えたSTEAM教育を推進する方向にある。

自然科学の研究には知性と感性、そして技術が必要である。目的地に到達するだけでなく、その間の知の旅も楽しみたい。筆者は若い人に自らの研究信条を問われてしばしば「研究はみずみずしく、単純明快に」と答える。しかし外国では、はたと困惑する。「単純明快」は自明であるが「みずみずしく(瑞々しく)」は大和言葉だろうか、辞書にもしっくりする英語訳が見当たらず、あらためて自らが日本人科学者であることを再認識する。

なぜ化学合成か

筆者は化学者であるが「化学」は単なる自然の観察と理解のための科学にとどまらない。ほとんど無から高い価値を生み出す力をもち、現実に、人工物質は人びとの生活の質を決定している。

いかなる分子も有限かつ一定数の原子の結合体であり、かつ特定の三次元構造といくつかの姿をもつ。そして化学的論理に従って意図的につくることができる。この結合変換を思い通りに進めるのが「触媒」であり、これこそが有用物質を経済的に、エネルギー、環境を保全しつつ生産する唯一の合理的かつ一般的手法である。

筆者が最も注力したのは「不斉合成」である。多くの有機化合物に右手形と左手形、つまり鏡像関係にある構造が可能である。両者は異なる生物活性を示し、「生命は分子の左右に依存する」とさえ言われるので、医薬、農薬、食品添加物、香料などについては、左右の分子の選択的合成が必要となる。この要請に応えるには、従来の「あるがままの触媒」から人工合成の原点、「思うがままの触媒」への発想転換が求められた。

機能性工芸品としての分子触媒

化学は量子論とともに化学式で事象を認識する造形文化である。我々が設計する触媒は、微細なナノメートル(10億分の1メートル)サイズの分子で目視できないが、造形モデル化すれば精密な「機能性工芸品」である。目的とする効率的な不斉合成の実現には、左右を識別するための構造だけでなく、化学反応の促進機能が求められる。基本知識はすべて書籍に収録、伝承されており、近年は計算化学も若干助けにはなるが、現実の触媒設計には研究者の美学、思い入れが強く反映する。

筆者の科学的直観の支えは、民芸運動を先導した思想家柳宗悦の「用の美」、そしてドイツの建築家でバウハウスの初代校長グロピウスが体現した「機能は美なり」であった。美術品としての美しさにとどまらない。美しいものは役に立つ、機能するはず、逆に機能するものは美しい、との信条である。

東西の美的感覚の違い

西洋には、十字架をはじめとして教会や宮殿に左右対称の象徴が多く、静的、不動で高い権威を表現する。また全体性に乏しく同じものが連続的に集積する傾向がある。一方で、日本、朝鮮、中国などでは、巴(ともえ)や風ぐるまのような回転対称性、かつ動的で周期性があり、全体的にそれ自身で完結的印象を持つものが好まれるという(「形とシンメトリーの饗宴」、小川泰ら監訳、森北出版、2003)。さらに私たちは、剛直、堅固であるよりは、柔らかな構造に心地よさを感じると言われる。

図1 図1 面対称と回転対称。(a)「重ね四つ目」の紋。(b)「入れ違い割り羽団扇(うちわ)」の紋。(c)ビナフチルの立体構造の模式図。(参考文献1の図を一部編集)

図1の二つの平面文様を比較してみよう。目を持つ正方形を重ねた紋(図1a)は面対称性で左右の違いはない。西洋人の好みかもしれない。一方、東洋の扇を二つ組み合わせたもの(図1b)は回転対称性を持ち、この右回りのものとともに左回りの二つの形が存在する。筆者にはこうした左右非対称の柔らかな構造が心地いい。

しかし、分子造形モデルがいかに単純であっても技術がなければつくれない。欧米の研究者たちは早々に断念していく中、美しいかたち(図1c)に魅せられた筆者は盟友の故高谷秀正博士らとともに、1980年、6年の時を経て「BINAP(バイナップ)/金属触媒」(図2、後述)を公表することができた。東西の感性の相違にこそ私たちのこだわり、思い入れの根源があったように思えてならない。

BINAP触媒の造形的成り立ち

「単純明快」を旨とするからには、設計する分子触媒に構造上の過不足があってはならない。基本単位は、亀の甲で知られる平面構造のベンゼンとその融着構造のナフタレンで、これらは炭素と水素からなる高度に対称な単純分子である。しかし、二つのナフタレン分子をつなぐと、ビナフチル(binaphthyl)と呼ばれる「美しい」回転対称性を持つ分子が生まれ、両平面のねじれ方向の違いで左右の形が可能となる。さらにここに酸素、窒素、リンなどの原子を導入すると特徴ある化学特性が付与される(図1c)。二つのリン原子を含むものがBINAPと呼ばれる左右の差を認識できる「鍵化合物」であるが、図2のようにロジウム(Rh)やルテニウム(Ru)などの金属原子に結合することによって、ついに高度な「触媒機能」が発現する。

図2 図2 (R)-BINAP/金属触媒の立体構造の模式図。
M = RhまたはRu。(参考文献2の図を一部編集)

図2に右利きの触媒の分子構造を示したが、適切な条件下に金属原子(M)上の緑の箇所で様々な反応分子の原子の組み替えが繰り返し起こり、右ないし左の目的の物質が不斉合成される。BINAP/ロジウム触媒の発明は当時世界最大のメントールの工業生産(高砂香料工業)を可能にした。また、後年発明されたBINAP/ルテニウム触媒は医薬や香料の生産のためのさまざまな不斉水素化反応に極めて有効で、その学術的、社会的波及効果は2001年のノーベル化学賞に結実した。

日本人科学者と大和言葉

伝統的な微生物依存の不斉合成に加えて、化学的手法の実効性が広く認められるようになったのは1970年代半ばである。筆者も図1cの独自モチーフを活用して当時の主題であったプロスタグランジンの化学合成(小野薬品工業)にいささか貢献していた。そして、1984年にはかつてのアルフレッド・ノーベルの荘園で世界の有力研究者を招いた「ノーベルシンポジウム」が開かれた。筆者は「研究はみずみずしく、単純明快に」を信条に、“Binaphthyls: The Beauty and Chiral Uses”(chiral(カイラル/キラル)は「左右の違いがある」の意)の演題で、およそ研究集会らしからぬ造形デザインの話をした。大切なのはBINAPを含むビナフチル分子を基本とする美しく特徴ある回転対称骨格であり、左右の空間を厳密に認識する。そしてたくさんの平面構造の亀の甲からなるものの、結合軸まわりに容易に回転できるために全体的には堅固ではなく、むしろ「ゆとりある、しなやかな」柔軟構造を持つことが高い触媒活性の重要な起源である。「みずみずしく」だけでなく、「ゆとり」や「しなやかさ」も英文の化学論文ではあまり見かけない日本語独特の表現なので、京都の竹林や夜祭のちょうちんなどの竹細工の写真を持ち出して、(針金やゴムひもではなく)細い竹ヒゴの工芸的美しさと化学触媒機能の関係の説得を試みた。当時46歳の生意気な日本人のつたない話は、果たして西洋人に通じただろうか。おそらく否で、今思い出しても顔から火が出る恥ずかしい出来事であった。

このような生き方を許してくれ、理解に努め温かく見守ってくれた世界の同僚たちに感謝しているが、本当はお互い様で、引け目に感じることはないとも思っている。東洋のほとんどの科学者たちは、自らとは異なる西洋人の感性を許容しつつ研究しているではないか。

「発想は不問、結果がすべて」でいいだろうか

時が緩やかに流れ、社会が学問に寛容であった頃、こういう意地っ張りの日本人化学者もいたということである。しかし、今やグローバルなデータ専制、情報通信技術万能の画一的社会に移る勢いは止まらない。もはや研究者個人の発想の原点や思考の過程は不問らしい。数値化できる成果がすべてで、非効率な手作り作業や愚鈍な人間頭脳回路は排除して、深層学習による人工知能に過剰依存して経済効果基準の結果を求めようとする。

かつてドイツ医学をわが国に紹介したエルヴィン・フォン・ベルツは「日本は西洋から最新の成果を引き継ぐだけで満足し、この成果を生み出した精神を理解できていない」と諭した。だが明治の人はむしろ先進的であったのではないか。いまや、この傾向が米欧主導で世界にまん延しつつあることは皮肉である。ならば学問は終焉し、もはや科学者育成のSTEAM教育は不要ではないか。研究職が単にデータ生産の作業者にすぎないわけがない。成果偏重ではなく学問の木を育てる庭師たることを使命としたベルツの嘆きはいかばかりであろうか。

確かに究極的には、森羅万象は個別データの集積と情報の流れの結果かもしれないが、価値創造の包括的アルゴリズムは未完である。我々の主観的判断に理不尽な偏見があってはならないが、価値の源泉を絶つことは愚かである。学術界、行政の指導者層は、科学の営みと文化・環境の関係をいかに考えているのだろうか。

【参考文献】

1. Noyori, Ryoji. 2013. “Facts are the Enemy of Truth-Reflections on Serendipitous Discovery and Unforeseen Developments in Asymmetric Catalysis.” Angewandte Chemie International Edition 52: 79-92. https://doi.org/10.1002/anie.201205537.

2. Noyori, Ryoji, Masato Kitamura, and Takeshi Ohkuma. 2004. “Toward Efficient Asymmetric Hydrogenation: Architectural and Functional Engineering of Chiral Molecular Catalysts.” Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 101, no. 15: 5356-62. https://doi.org/10.1073/pnas.0307928100.

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