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野依良治の視点

(30)「生(き)の科学」のすすめ

2018年11月20日

青少年のみずみずしい感性

かつて里山では子供たちが、喜々として野山をかけ巡り、草花をめで昆虫、魚、鳥などの生き物に興味を示していた。本能であろう。最近でも、青少年の自由な理科研究に接し、彼らがもつ「センス・オブ・ワンダー」に感激する機会が少なくない。「幼いのに、若いわりに」ではなく、生れながらの自由闊達なみずみずしい感受性は心からの驚きである。

私が長くかかわった国立科学博物館の「科学の達人」事業には受賞の常連の少年がいた。7歳から「変性菌」の研究に熱中し続け、いまや高校生となり、国際的物理学誌に論文を発表、成書まで上梓するに至っている。東京北の丸公園の科学技術館では、自然観察にとどまらず、手づくり技術、自動制御ロボットの製作など新しい技術も大人気である。青少年の活躍が目覚ましい近年の各種のスポーツ競技、将棋や芸術界と同様である。出来れば本来の飽くなき知的好奇心、生育環境が育んだ才能をさらに磨き続けてほしい。

「日本人らしい」研究はあるか

科学自体は客観的、普遍的であるが、科学者はそれぞれに異なる自然、文化的背景をもつ。日本には劇的に移り変わる四季があり、私たちはこの美しい自然を慈しみ、畏敬しながら生きてきた。しかし、いくつかのフィールド活動を別にすれば、近年の科学界は人工的都市環境、数理合理主義に馴染む欧米人の価値観に合わせがちである。しかし、日本独自の道を切り開いた先人に学ぶことなく、効率主義に徹する欧米有力者たちの振る舞いに安易に盲信追従し、自らの運命を託すことになれば、あえてこの国で研究することもないではないか。

天然物有機化学は日本のお家芸

人間は、微生物の恩恵を受けて生きており、酒や味噌、醤油などの発酵産業も盛んである。科学については、わが国独特のウルシの研究、麻黄の生薬研究を始めとする尽きせぬ天然物を対象とする研究がかつて、国際的にも賞賛を受けてきた。この源流が、ついに2015年大村智博士にノーベル生理学・医学賞をもたらした。人間本来の感性に根ざす「生(き)の芸術」、フランス語で art brut(アール・ブリュット)という言葉があるが、私は敬愛する大村博士の研究の特質を「生の科学(science brut、シアンス・ブリュット)と呼ばせてもらっている。我々のやや理屈っぽい「人工の科学」ではなく、ただ「自然は人知を超える」の信念のもと、ひたすら旅の先々で土を集め優れた生物活性物質を探し続けた。静岡県伊豆のゴルフ場脇の土壌中の放線菌から発見された抗生物質エバーメクチンに若干の化学反応を施し、世紀の抗寄生虫薬イベルメクチンが誕生した。現在では遺伝子レベルのより深い現代的研究へと進展している。今でこそ発展途上国を中心に年間2億人を熱帯病から守ると賞賛されるが、当初ヒトの疾病ではなく家畜などの動物薬を対象としたところに特徴がある。そして研究の本質をすでに40年も昔に見通し、敬意をもって支援し続けたのは、基礎研究振興の中核を任じていた文部省ではなく米国の製薬会社メルク社であった。わが国の公的研究資金配分の在り方と、研究社会自らの物の見方、さらに企業の価値観に一石を投ずるものであった。

50年昔に学んだこと

私は、名古屋大学時代、やはり「生の科学」の巨人平田義正教授の一途な生き方に深い感銘を受けた。古風で素朴な振る舞いの方であったが、世事には無関心、一方で(われわれ化学者ではなく)生物学者の声には熱心に耳を傾ける。必要ならば遠路、九州までも自ら車を運転して特異な植物成分を採取する。北海道の礼文島までも行かれた。とくに強毒海洋有機天然物への傾倒は徹底していた。正月元旦だけが休日、日曜、祝日も大好きな仕事(労働ではない)に集中する。1964年のフグ毒成分「テトロドトキシン」の構造解明で世界に名を馳せたが、市場や料亭から入手したフグの卵巣(ドラム缶で計25本分)の前処理には、ご夫人が自宅の台所で当たられたという。なお、フグ毒はのちに電位依存性Na+チャンネルを阻害することが判明する。

一貫して「他人にできることはやらない。答があるとわかっていることはやらない」主義。研究者からは敬愛されたが、学界政治からは独立、行政権力にも無関心、距離を置かれた。「海洋天然物」がテーマと聞いた文部省官僚に「先生は海苔(のり)の専門家ですか」と問われたとの笑い話が残るくらいだから、今の研究費審査会では採択は極めて困難であったであろう。科学的意味は自明でなくとも、常に最高難度への挑戦であり、少なくとも10年はかかる壮大な問題を選ぶとのことであった。たとえその時点で分離技術、機器分析技術がなくとも、そのうちに開発されるはずとの信念であった。私は沖縄の腔腸動物イワスナギンチャクの猛毒成分「パリトキシン」(Na+/K+ ATPase阻害物質)の抽出、構造決定の長丁場の研究進捗を身近に拝見する機会を得た。当時の研究費は、貴重な試料を民間の巨大冷凍保存庫へ貯蔵するために使えず、この独自性ある研究を理解する財団の助成金を充当した。これらの天然物化学の研究は、基礎科学の進歩のみならず、やがて創薬研究にもつながっている。 ご本人は意識されずとも、偉大な教育者でもあった。ハーバード大学へ短期留学の経験はあるが、やはり純国産というべき謙虚な先生の背中を見ながら、大勢の個性豊かな国際的化学者が育った。名古屋でウミホタルの発光物質の研究、米国にわたりオワンクラゲから緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見してノーベル化学賞を受けた下村脩博士もその一人である。

独創が効率的であるわけがない

他人から与えられた課題を解くのではなく、自ら良い問題を見つけ、正しい答えをつくる。これが独創研究の鉄則である。これらの一連の快挙に至る軌跡から、後継研究者たちは何を学んだであろうか。「なぜ天然物有機化学ですか」と問われて、「私にはこれしかできませんから」と答えられる地道な作業の積み重ねであり、単なる僥倖でも軽薄な理屈でもない。地球上、動物界に1,100万種、植物界に50万種の生物が存在するというが、一貫して大自然を畏敬し続け、その恩恵、特に生命の力を最大限に享受する営みの帰結である。この感覚こそが大海に浮かぶ日本の国民特有のものではないか。

しかし、自然豊かなわが国でも、都会中心の「効果的」学校教育が主流となり、幼き頃の繊細な五感にもとづく感受性を削ぎ、やがて大学院生や職業研究者ともなれば非効率な手作業を避け、商業的に規格化された実験室にこもらせる。もはや精緻な先端的計測器は不可欠であるが、それだけでは不十分である。科学に国境はない。しかし、折角の自らの感性をより生かした科学を進めてはどうだろうか。あまりに間近な目標達成にこだわり、自然界に無限に広がる未知に対する率直な疑問を排する傾向を、甚だ残念なことと思っている。

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