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野依良治の視点

(27)研究費の獲得競争を考える

2018年8月23日

科学技術振興には相当の投資が必要であるが、研究者の価値観は多岐にわたるので、財源を含め支援のあり方も多様でなければならない。「公助」のみならず、あらためて「共助」、「自助」の道を探らねばなるまい。資金総額はもとより、配分目的と審査機能、そして研究者たちの思いが整合しなければ投資効果は薄れる。評価すべきは個々の採択課題だけでなく、それぞれの制度そのものであり、継続的な改革なくして、研究社会の活力向上はありえない。

資金の行方は「選別」であり「競争」ではない

世間で広く用いられている「競争的資金」という言葉には違和感を覚える。もとより申請内容の科学的意義が問われるが、採否の決定権はあくまで審査側に委ねられるからである。

そもそも「競争」とは、オリンピック大会のように明確かつ詳細に定められた規則のもとに、競技者(研究者)が勝利をめざして、同じ条件下に力量を競う。自らが優勝劣敗の直接的責任を負う。審判者の役目は適正な競技進行と結果の確認であり、競技者が達成した記録は計量化され、原則的にその結果に介入の余地はない。フィギュアスケートや体操などの単独競技や、柔道やレスリング、ボクシングなどの格闘技において時たま疑義が生じるが、やはり精緻なポイント制が導入され、客観公平性を重視し、主観をできる限り回避する。

一方、研究費の配分は全く異なる仕組みである。資金配分機関の下にある審査会が、多様な申請課題の中から配分趣旨を勘案しつつ、適正と信じるものを「選別」する。研究者による公募に応じた自己申請であるため、彼らに競争意識はあろうが、成果未定であり担当審査員の選択権限がすべてである。決して強者たちによる限定的資源の収奪戦ではなく、審査会の見識こそが配分先を決める。担当審査員の責任は重い一方、受領者は勝者気取りで振舞うのではなく、将来への期待を込めた選定に謙虚に感謝、誠実に精進すべきである。

「評価」は公平であるべきだが、単なる客観的数値による「分析」ではなく、包括的な価値観を伴う主観に基づく(コラム16)。この傾向は顕彰制度においてなおさら強い。場合により業績そのもの、また功績者が対象たり得るが、例えば著名な国際賞である「京都賞」では設立理念に沿って受賞者の専門業績のみならず、人間性や生き様が問われる。後進世代を導くべく「真の人類の幸せを願い、謙虚にして、道を究める努力をし、己を知り、敬虔なる心を持ち合わせるべし」とあるためで、審査委員会は趣旨に照らして熟議を巡らすが、最終判断は結局日本人の主観である。同様に「人」を対象とするノーベル科学3賞においても、候補者のプールは他の国際賞とさして変わらないが、授与者選定には欧州の価値観が反映する。日本メディアが使う「ノーベル賞レース(競走)」の言い回しは選考経緯にそぐわない。しかし、財団による100年以上にわたるたゆみない改革への努力とこの主観的選考結果に対する世界の科学界の共感が信頼感を培う。研究資金配分にも視点の多様化が望ましい。

学術研究を支える科学研究費補助金

各省庁の資金配分には、それぞれの行政的観点からの「選択と集中」は避けられない。文部科学省が所掌する大学の学術活動には、もとより短期的な目標必達とは異なる配慮が求められる。

日本学術振興会の科学研究費補助金(科研費)制度は、個人の内在的動機、自由な発想による研究を鼓舞するものである。平均採択率20%強、わが国の学術研究の主柱ではあるが、決して研究者の「生活費」支弁ではない。年間10万件におよぶ多岐にわたる申請から、価値ある学術課題を選別する7,000名におよぶ審査員の自己犠牲的努力なくして、制度の健全性維持はありえず深く敬意を表したい。ただ課題採択は主観的であっても、大型研究の(高めに申請しがちの)経費については、もう少し客観的精査があるべきと感じている。余剰分を小型の萌芽研究に回せば、全体的により効果的であるからである。

定型業務化を避けながら、良質の安定的制度として存続するためには、申請者と審査会の間に緊張感ある信頼関係の維持が必要である。しかし、実際には研究者は、同一分野、分科、細目に止まりがち、審査員も同一分野の日本人であるため、年配者優先の村社会的ヒエラルキーが温存される。建前では課題の独創性、先駆性をうたいながらも、新鮮な驚きを欠く類似論文の増産を招いていると感じる。

欧州連合は2021〜2027年のHorizon Europe計画に1,000億ユーロの投入を目指すが、その根拠として、欧州研究会議(ERC)における2015年終了の223のhigh-risk/high-gain研究の79%が科学進歩をもたらしたとする評価結果によるとの指摘もある。

研究を支える定型基盤設備の大型高度化、高額化(コラム14)も保守化の一因であり、共用基盤施設の充実が求められる。この閉塞状況の打破には、オープンサイエンス推奨にむけた教育の強化が必要である。

身の丈にあった研究費があればいい

大学において研究費獲得が目的化していないか。研究者に聞けば、大学運営には間接経費が不可欠なので、金額的に野心的な申請を促される。論文成果だけでなく、獲得総額も評価項目であるいう。「競争優位性依存症」に苛まれ続け、まことに気の毒である。

資金量と創造性はまったく無関係である。職業制度を離れて無支援の一科学愛好家なら、いったい何をしたいのか。他方、百万長者で、無制限にお金を使えれば、何に挑むのか。本来、綿密に研究計画を立て予算を積算し、配分査定がなされるべきである。近年、逆に申請可能額や実際の受領額に研究課題を決めてもらっているのは本末転倒ではないか。

創造のための最大の資源は、みずみずしい好奇心と自由、すなわち大学人であることを確認したい。若者はいま一度、素朴な問題にひとり思い悩んでみてはどうか。過大な研究費の受領にはある種の義務感が伴い、学者としての自由を束縛することになる。歴史的にも好奇心に溢れる科学者が、身の丈にあった資金を得て時の常識を超える成果を上げてきた。戦中戦後の劣悪な教育研究環境の中、わが国は多くの卓越した理論物理学者、化学者を生んだ。実験費用の乏しかったわれわれ世代の多くも、基盤的校費でささやかながら独自に芽を育み、のちに国際的に認められるところとなった。大規模ではない、しかし独自性ある実験成果が注目され、米国一流大学に招かれた有機化学者も少なくない。昨今、学術と科学技術は強く関連するが、学問とは本来そういうものであろう。

多くの篤志家が科学研究を支援している

わが国の研究投資総額は米中に次いで、世界3位である。対GDP比も3.6%と他国に比べて大きいが、国の負担はわずか18%にとどまる。大学運営費交付金はじめ公的支出の格段の拡大が求められるが、国の財政を勘案すれば楽観はできない。逆説的ながら、むしろ「公助」からの脱却の努力が新たな研究発展をもたらすのではないか。

強い主観的主張を避け、周辺の同調的支援を優先しがちな近頃の研究社会の風潮が残念である。信念の対外的発露の欠如が、狭い範囲の定型的国家資金への過剰な依存を招いている。時代を先取りする思想が「分かりにくい」ことは当然である。生涯をかける研究の意義を必死になって訴えれば、その生き様に意気を感じ、共感する人は国内外に少なくない。

わが国の民間の研究開発投資は総額の72%と極めて大きく、応用開発研究に限らず、大学との意義ある共同研究を歓迎している。まずは互いに真剣に向き合うことだ。2002年のノーベル物理学賞の対象となったカミオカンデのニュートリノ研究は、「基礎中の基礎研究」であり産業化とは無縁であったが、開祖たる小柴昌俊教授の情熱が、浜松ホトニクスの晝馬輝夫社長を説得、研究の鍵となる微弱光検出センサーとしての巨大光電子増倍管の技術開発を促した。のちに分析機器、医療機器分野に展開することになる。

基礎研究の理解者は決して少なくない。わが国の心ある資産家や民間企業が、多様な価値観に基づき財団をつくって、独自に応援する。2,000程度の公益助成型財団、500の研究助成プログラムがあるという。通常の研究費の不足の補填というよりは、使途の自由度が特徴であり、私もかつての様々な財団からの支援をありがたく思い返している。

海外に目を向けた先輩たち

規模の如何を問わず国際共同研究は、研究振興、資金調達の両面から、大きな効果をもつ。小田稔、早川幸男博士らとともに、世界を股にかけX線天文学を先導した田中靖郎博士の急逝を惜しむ声は大きい。1963年、この32歳の名古屋大学助教授はオランダのライデン大学からの招聘を機に、欧米に広く知己をつくり、数々の国際共同衛星実験を指導し成功に導いた。「はくちょう」から「あすか」にいたる衛星開発はわが国の天文学を支え、多くの人材を育成した。

米国が主導し13年の歳月をかけて完了した国際ヒトゲノム計画(1990〜2003年)は生命科学をデータ駆動型科学へと変貌させた。結局わが国の貢献度は6%(米国59%、英国31%)にとどまったが、1980年代に世界に先駆け、日本が独自技術をもって先導するDNAの自動高速解読の意義を提唱した和田昭允博士の見識は特筆に値する。

日本を担う若手たちには、ビッグサイエンス分野が、もともと存在したものではないことを知ってほしい。目指すべきは規模拡大ではなく、連携効果であり、結果として巨大分野に成長した。未だ個別研究にとどまる化学領域などについても人脈とデジタルICTを駆使し国際共同による統合的発展を図るべきであろう。若い世代の先見性と意思が力の源であり、計画に説得力があれば、新たな国際学会の一つや二つは簡単に発足でき、研究費も各国から調達できる。論文競争力だけでは全く不十分。近年の主要大学研究者の国際的魅力と行政官の指導力は如何であろうか。

世界からの眼差し

世界には科学の力に想いを寄せる人は非常に多い。嬉しいことに、長崎大学熱帯医学研究所が、感染症撲滅に情熱を燃やすMelinda & Bill Gates財団から、2016年から4年間に12億円の巨額な援助を得て、ベトナムの子供に対する肺炎菌ワクチンの臨床研究を行っている。

若手を励ます国際的な仕組みも用意されている。Human Frontier Science Programは、1987年の中曽根康弘首相の提案で始まったフランスに本拠を置く15国・極からなる国際協力研究機構である。有馬朗人、伊藤正男、廣川信隆博士などが会長を務めてきた。国境を超えた共同基礎学際研究、とくに若手育成を支援するが、旧知のE.-L.ヴィナカー元事務局長は度々私をたずね、日本は総額の50%相当の29億円を拠出する(2010年度当時)のに、なぜ応募件数が少ないのか、自らの運営方式に問題があるのかと訝っていて、返答に窮した覚えがある。論文は海外に発表するのに、なぜ国際的審査の研究計画、遂行を拒むのか、理解に苦しむ。わが国の科研費は世界に通じない国内研究を支援するためにあるわけではない。

米国NSFへの研究費申請書には協力者たる大学院生、博士研究員の生活費も計上されるため真剣である。かつて審査協力した経験によれば、計画の意義、費用の妥当性も含め、外国人にも理解できる説得力をもって書かれている。

科学を応援する多くの人たち

「社会の中の科学、社会のための科学」の時代である。しかし、研究者たちはいまだ自らの支援者たちの範囲を十分に把握しておらず、生き様を社会に直接訴えたこともない。既存の資金配分機関を経るのではなく、広い社会からの支援を目指すクラウド・ファンディングの動きが加速しつつある。様々な宗派のお寺や教会への寄進に似ているが、現世的なご利益である必要は必ずしもなく、基礎的、純正科学で十分である。しかし研究の趣旨、面白さを明確に訴えることが大切とされる。直接的なご利益でなくてもいい。思いもよらぬ出会いが生まれ、自分の仕事を専門家ではなく、多くの人びとに知ってもらうことは嬉しいことである。

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