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野依良治の視点

(24)科学論文は広く社会のためにある

2018年3月13日

 近年、研究情報の発信受信のビジネス化が急速に進む中、アカデミアの自主的対応は著しく遅れをとる。限られた商業出版社による論文生産、商品化、さらに価格設定、販売の過程の支配が続く限り出版価格高騰は不可避、おおよそ10年で倍増するという。過度な商業主義による歪みの中で、明らかに「知識のコスト」を考えるべき時期が到来した。しかし民主的な資本主義社会において民間出版社だけを非難することは不適当であろう。そもそもこの理不尽な仕組みは、科学界の自己規制が効かない論文濫造と、自らが是認する数値偏重の評価システムの結果だからである。

 本来は営利とは一線を画すはずの知的活動が「市場の罠」に捕らえられ、とくにわが国の国益をも大きく損なうことは極めて不都合である。関係者には、健全化に向けた大転換、そして低迷する科学発信力の再生の道を考えてほしい。いや提案だけでは無意味で、実行が必要である。

社会のための論文発表

 世界では、分野連携、融合を通して研究領域の変革をもたらす可能性があるオープンサイエンスの振興に向けて、論文オープンアクセス(OA)への動きが急である。

 この動きは、もともと米国議会における政治的主張により加速された。国立衛生研究所(NIH)が年間3兆円(現在は3.6兆円)を投じる生命科学、医療研究の成果が十分国民に還元されていないとし、「公的資金支援で行われた研究の成果は、高価な科学誌の購読者に限ることなく、すべての国民に無料で公開すべきである」という連邦議会議員たちの訴えであった。成果の社会還元を促す動きとして、正論である。

 OAという成果公開方式は、科学知識開示に対する社会的要請と図書館運営の経済性の整合を図る転機になる可能性も高く、わが国でも早急に準備が必要である。教育面からも、OA図書館機能は学生の能動的学修の基盤となる主体的自習支援に大きく寄与する。最近の詳しい状況は、東京大学附属図書館の「オープンアクセスハンドブック」(外部リンク)を参照されたい。

出版費用負担のあり方

 いかなる方式でも出版費用は発生するが、いったい誰が負担すべきか。従来の主流は論文誌を利用する購読者の負担(購読モデル)であったが、OA方式では、出版社が論文処理に要する費用(Article Processing Charge, APC)として著者に課金するモデル(著者支払いモデル)が主流であり、現在はすでに双方が並行、または混合している状況にある。

 APCの大半は政府や機関の援助による研究費に計上されるため、研究者の振る舞いは以前と変わらない。論文数は増加の一方をたどり、OA誌は9,000誌を超え、すでに年間発表の全論文の18%、約50万本はOA論文であり、無料で閲覧できる。生物系のPLoS ONE(年間約3万報、APC約15万円)やPeerJ(会員制)など信頼性あるOA誌も多い。

 依然と利益目的傾向が続く「贅沢な科学誌」に果敢に立ち向かうのは、R.シェックマン(2013年ノーベル生理学医学賞受賞者)が主宰する新星OA誌「eLife」で、科学者を中心として編集、運営される。現実のAPCは一報あたり50万円程度とされるが、掲載料を2,500ドルに抑え、ハワード・ヒューズ医学研究所、ウェルカム・トラスト財団、マックス・プランク協会から年間6億円弱の支援を受ける。

OA誌の問題点

 当然、この方式にも多くの問題は残る。情報技術を用いて少人数でも容易に発刊できるために、統計的には一論文誌あたり年間100報程度の論文しか掲載しなくても採算がとれる不思議な仕組みでもある。

 また、まともに論文審査することなく、安易にAPCをせしめる約1,300の悪徳「ハゲタカOA誌」、1,100以上の疑わしい出版社も跋扈すると聞く。しばしば編集顧問として有名科学者を招いて体裁を繕って研究者の投稿を誘うが、学術的内容は極めて貧しい。しかし、この由々しい意図は、多くの平凡な研究者の評価対策のためのアリバイ作りとして「とにかく論文を公表しておく」との思惑に合致することも否めない。神経学の全ハゲタカ誌の4分の1が、信用を与えるはずのシステムPubMedに収録されているとも言われ、中国ではOA誌を舞台にしたインターネット悪用による査読手続きの不正操作や、「論文商品」の売買さえ横行しているという。退廃の極みではないか。

機関リポジトリは解決策たりうるか

 繰り返すが、購読モデルであれ、著者支払いモデルであれ、大手の商業出版社はさらに巧妙な策略を巡らし、情報データ機関と結託し、さらに行政や研究費配分機関の強力な支援も得て、著しく非対称な利権構造をつくっている。研究評価にも歪みをもたらす。アカデミアはもう一度原点に立ち戻り、過度のビジネスの干渉からできる限り自立すべきである。

 この観点から、「機関リポジトリ」に一考の余地はないか。現在の出版社主導の体制から脱却し、大学、公的研究所などの機関が生み出す研究教育成果を自主的に集積、管理し、外部に発信する仕組みである。研究者たる者、まず自らの論文や特許の価値について、信念に忠実でありたい。リポジトリ構築の明確な意義は、旧来の論文公開プロセスの劣化した査読制度や外部の諸々の制約を受けることなく、自らの責任において成果発信ができることにある。物事の良さは誰にでも直ちに分かる訳ではない。世界共通の規格品もいいが、分かってくれる人が少しでもいれば嬉しいとする、手作り作品もいいではないか。英語圏優位の時代に「学問の自由」の原則にたてば、他人事ではない、わが国が真剣に取り組む道であろう。残念ながら引用頻度やインパクトファクターの呪縛がこれを阻んでいる。

 もちろん発信情報の説得力と客観的な品質の維持は容易ではない。成果内容の査読の有無に関わらず、いかに最高水準の信頼性を担保するか。機関リポジトリが内包する脆弱性を克服して、持続的に意義ある存在であり続けるためには、個々の機関自身がもつ見識、その利活用に関わる技術的、経済的、法的、倫理的側面も含めて管理能力が問われる。 世界最大、利用者1,300万人を擁すると豪語し、多くの財団から支援を受けるドイツの商業的ネットワークResearchGateが、多くの出版社から許可なく発表論文を再掲し、著作権侵害で糾弾されている。Sci-Hubという巨大な海賊版サイトもあるが「皆に便利だから」であっても法令違反は許されない。

 有能な管理者による確実な秩序維持が求められる。昨今のブログやSNSなどの個人による身勝手な直接発信の集積は、混乱をもたらすだけである。もちろん、その発信内容の法的位置付けは、社会の実態の移り変わりと合わせて勘案すべき別問題である。なお日本国内の機関リポジトリはすでに712件に上るという。

わが国に起死回生の解決策はあるか

 情報革命が急速に進む中で、情報提供手段としての科学誌は、如何なるかたちで存続し続けるだろうか。科学研究者や関係者、出版社だけでなく、良識ある公共社会は情報の発信、受信、交換に何を求めるのか。信頼性ある発信の継続に生存をかける世界の主要新聞や出版社の苦境の本質を察するべきである。

 しばらくは、行き過ぎを修正しつつも、現行の出版形態は存続するであろう。ならば、世界の五指に入る科学立国である日本はアカデミアの本質を考え、厳しい現状を直視した上で、なお自立してたくましく生きる気概をもつべきではないか。知識社会には栄枯盛衰がつきものであるが、敗北主義は無用である。この技術と社会秩序の変革期にこそ、わが国科学界の主権回復の機会があるはずであり、無策はプラットフォーマーによる知の収奪をさらに拡大することになる。

 研究者は世界を舞台とする。他のグローバルな公開活動と同じく、日本人、外国人がこぞって投稿する魅力ある場をつくる以外に、生きる道はない。国内資金援助による研究の結果だから国内誌に発表すべしとの鎖国主義的精神論は全く通用しない。日本らしくあってほしいが、新たな仕組みをつくることは、日本人、国内学会の努力だけではとうてい無理である。非英語国ドイツの努力も見習う必要がある。海外で実績ある編集責任者の招聘をはじめ、博士号をもつ国内外の若手人材の参加も促進しなければならないが、彼らが誇りをもって働く環境の醸成が必要である。

 JSPSは研究成果公開促進費4億7千万円を投じるが、外国勢に対抗するには全く不十分な上、現状の公費による主要学会刊行誌の補助は古い制度のいわば延命措置であり、むしろ起死回生の発案実行を妨げるだけである。

 議論はとかく財政問題に傾きがちであるが、要は公共社会のための情報発信である。研究の自由の保障のためには、あくまで研究者主体の中立、公正な信頼性ある組織が理想的であろう。大学、学協会の覚悟を受けて、国の関与は持続性ある基盤構築に資するべきであり、現在では個々の機関による独自リポジトリ構築が主流であるが、信頼性と存在感の維持の担保には、OAを推進する専門学協会との連携も模索すべきであろう。JAIRO Cloudを利用した統一性ある公開もありうる。さらに大学図書館コンソーシアム連合(JUSTICE)、NII、JSPSなどとともに、強力なプラットフォームを作り得ないだろうか。

 なお「科教興国」「創新国家」を掲げる中国では、世界的に商業出版社が支配する中、国家が強力に支援しているが、今後不具合は起こらないであろうか。

 成果発表は科学技術外交の一環と言える。もはや不可逆のOAの潮流を踏まえながら、近隣国の研究社会と連携、ともにアジア科学界の存在感の増大にも努めてほしい。

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