科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

研究成果を世に出すため、
フルスピードで走り続ける
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武田 泉穂
MVP株式会社 専務取締役

武田 泉穂さん

社会の役に立つエキサイティングな仕事

事業化できそうなシーズは、研究者との雑談から見つかる場合もある。研究者自身、それが事業のタネであることにまったく気づいていないことも多いのだ。武田さんがそんな会話の中から拾い上げたシーズから製品となったものに、食物アレルギーの負荷試験食がある。

アレルギーをもつ子どもは多い。以前は、そういったアレルゲンを含む食品は一切食べさせないという方法がとられていたが、現在は、少しずつ食べさせていって減感作させ、治療するという経口減感作療法が行われている。しかし、家庭での毎日の食事で、たとえば卵を少しずつ食べさせ、量を段階的に上げていく……といったことをするのは難しい。病院で行われる負荷試験でも、自宅から持ってきたゆで卵の重さをナースが量るという煩雑な作業がある。「うちの子もアレルギーなので、負荷試験専用の食品が欲しいなと思っていたんです。小児科のお医者さんとお話ししていたら、偶然、親も子どもも医療関係者も大変な思いをしているという話を聞きました。それで、負荷試験にも使えるお菓子をつくりましょうということになったんです」。

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負荷試験のガイドラインに沿ったアレルゲン含有のボーロ。あと1ステップで商品化に漕ぎ着ける。

こうして、3大アレルギーといわれる卵、乳、小麦の3種類に対して、負荷試験のガイドラインに沿ったアレルゲン含量のボーロの開発が始まった。論文など参考になる知見が何もないところから外部資金の調達を行ってプロジェクトを進め、現在、ついにボーロとしてでき上がってきたところだ。商品を目の前にすると興奮するというが、次はパッケージデザインを考えたりホームページを整えたりするなど、今まさに販売へ向けた最終フェーズへと走り出す。「お菓子やジュース、医療機器などの製品が完成して実際に売り出されるときが、一番エキサイティングですね。研究成果の事業化が現実のものになり、ついに社会にこれを出した、役に立てた、というところですね」とワクワクした瞳で語る武田さんは、研究経験を糧に自分のビジネススタイルを身につけ、興奮する瞬間に向けてひた走る。

家族と将来の自分のために

現在は、2人の男の子の母親でもある武田さん。第1子は博士課程在学中に出産したが、これまで研究もビジネスもフルスピードで頑張ってきた。そこには時間のやりくりなどさまざまな苦労もあっただろう。研究室では同僚の男性が24 時間研究している横で自分は帰らなければならないこともあり、悶々とすることも多かった。「でも、泣き言は言わないですね。もうやるしかない、という感じでした。今も悩む暇がないぐらい忙しいというのが実情です。悩む時間のあった昔の自分を振り返ると、実はそんなに忙しくなくて、むしろ暇だったんじゃないかな、と思うんです」と、あっけらかんとした様子だ。

ビジネスの世界に入っても、妊娠・出産・育児などのライフイベントでどうしても機会損失につながってしまうケースがある。だから武田さんはフルスピードで走り続ける。それは将来の自分のためだ。「家族は大事にしたいんです。研究を続けて大学のポストを得ていこうとする中で、子どもと5 年間離れて生活していたというような方に会ったこともありますが、正直、私はそうなってまで研究者という仕事を続けたいのかなと疑問に思っていました。でも、自分で事業を創出して稼げるようになれば、研究の最前線に立つのは諦めなければいけないけど、働く女性にとって課題でもあるライフワークバランスを保ちながら、研究を糧に社会の役に立てるかもしれない、と思ったんです」と胸の内を明かす。「私のライフプランのリスクヘッジは、ビジネスのリスクヘッジとちょっと共通していて、常に考えています。たとえば、もし夫が転勤することになれば、家族が離れて生活するか、家族一緒に転居するか、選択することになります。私が雇われの身であれば、仕事を選ぶと家族と離れた生活となり、家族一緒を選ぶとおのずと退職することになりますが、自分の事業があれば世界中どこにいても仕事ができる。もちろん、身ひとつで戦うので、容易なことではありません。一方で、社員という身分は本当に魅力的でもありますので、それぞれに合った立場を選択するのがベターだと思います。MPO に入って社員としての最初の5 年間は無理もしましたが、その間に自分の会社も立ち上げるなどやりたいことを実現でき、今はちょっとだけ、その頃の無理が実を結んでくれたかなと思っています。当時も今も、支えてくれる夫には心から感謝しています」。

海外出張に行ったり夜遅くに仕事に出たり、休日にも仕事があったりする日々。核家族での生活において夫と子どもの協力は欠かせない。海外出張に行く前に息子からもらったどんぐりのお守りは、今でも大切な宝物だ。普段仕事が忙しい代わりに、休日は家族の時間をできるだけつくろうと努力し、勉強なら何でも教えると子どもと約束をしている。「テレビはなぜ色が映るかというとね、光の三原色というのがあってね……」と、小学生の息子に全力投球で説明しているそうだ。

武田さんのやりたいことは、大学で研究していた頃から変わっていない。「論文でも商品でも、自分の成果を残し世の中の役に立ちたい」。今後は、組織として成長できるように経営者の視点を勉強し、より深めていきたいと思っている。

思いがけないきっかけから自分の居場所を見つけた武田さん。研究で鍛えられた視点と経営者としての視点を兼ね備えたビジネスパーソンへと、まだまだ階段を駆け上がっていく。

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息子さんからもらったどんぐりのお守り。今でも大事に持ち歩いている。

【PDF版】 (4.2MB)

取材を終えて

医師がもつアイデアを具現化していく仕事への情熱を熱く語ってくださった武田さん。研究者の道から一転、ビジネスの道へ進まれたときに葛藤がなかったのですか、と尋ねてみたところ、「未だにあります」とのこと。この仕事は、商品となって世に出されるときにも、主役はあくまでも研究者。同業者のなかにはプレーヤーとしての研究者に戻る人もいるのだそうです。そうは言いつつも、「でも私はアントレプレナーになれますし、それがおもしろそうだと思ったんですよね」と誇らしげでした。商品開発だけでなく、学会を立ち上げたり医療のしくみを新たにつくったり、いろいろなかたちで医療と社会に貢献しているというお話からは、武田さんの仕事に対するワクワクが伝わってくるのでした。
(取材・文 株式会社リバネス 2015年2月27日取材)