科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

「触媒が働く」、
その様子を可視化したい
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唯 美津木
名古屋大学物質科学国際研究センター 教授
名古屋大学 大学院理学研究科 教授

唯 美津木さん

思いがけないところにある、
研究の"芽"を求めて

2013年4月、名古屋大学に教授として赴任して最も変わったのは、研究室に「学生がいる」ということだ。実は唯さんが求めていたのはこの環境だった。

ポスドクは即戦力だ。キャリアを積んで、十分なスキルももっている。「このプロジェクトをやりましょう」と言えば、1年くらいでしっかり結果を出せる。「だけど、失敗できないんです」。確実に2年で論文を書けるようなプロジェクトにしなければ、彼らの将来に影響する。そのため、分子科学研究所では、リスクの高い仕事はなかなかできなかった。

分子科学研究所には、東大時代からあたためていたアイデアをもっていった。優秀なスタッフを得て、それらをある程度かたちにできた4年半だった。しかし、今までまったくやっていなかった何かをやろうと思ったときに、あまりにもリスクが大きすぎて、ポスドクの方とではとても一緒にできない。自分の中の研究の芽のアイデアが少し薄くなっているような気がした。

学生には、変な先入観がない。ある程度研究経験のある人は「これをやったらうまくいかない」とか「これは難しいな」とわかってしまってなかなか手を出せないことに対して、学生はすぐ手が動く。実はそういうところにおもしろいことが隠れている場合が多い。そういうふうに研究の芽を探すことを始めないと先が見えてしまう、と唯さんは危機感を覚えた。これが、名古屋大学への赴任を決めた一番のきっかけだった。

2014年3月時点で、研究室に所属する学生は20名弱。唯さんは基本的に、学生ひとりにひとつずつテーマをもたせることにしている。先輩に面倒を見てもらいながら同じテーマで研究する、ということはさせない。「大学で研究していたテーマを、就職先でそのままやっていけることはまずないし、アカデミアで職を得ても、卒業したら必ず研究テーマは変わります。何の触媒をつくったかということは、学生のときはもちろん一番の関心事ですが、長い目で見たら触媒の中身よりも、研究を進める際に培った考え方や経験の方がずっと重要だと思います」。そういった経験を唯さんは大事にしている。

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「何を研究したのか」ではなく、「どうやって研究したのか」というプロセスを大切にして学生の指導にあたる。

自分の専門分野から一歩踏み出し、
新しいアイデアを得る

目には見えない触媒。触媒はとても複雑な構造をしており、それがどういうものなのかを知ること自体が、今もってかなり難しい問題なのだという。「触媒の研究には、新しい触媒をつくり出そうとする研究と、どんなものがよく働くのかということを理解しようとする研究があり、私は両方の観点から研究に取り組んでいます」と唯さん。現在の研究テーマは、金属錯体と固体表面を組み合わせて新しい触媒をつくること、燃料電池などの触媒の劣化をどうやったら抑制できるかを、最先端の分光法を使って明らかにすることだ。

肉眼で見ていたらずっと変わらないように見える触媒を「見る」にはいろいろな測定方法が必要だ。触媒反応は、速いものだと1マイクロ秒、1ミリ秒という単位で終わってしまうので、それ以上速い時間スケールでその様子を追わないと、その間の変化を捉えることができない。現在、SPring-8の非常に明るい光を利用して触媒の「スナップショット」を撮影することで、触媒粒子が変化する様子を目に見えるかたちで捉えられるようになりつつある。また、100ナノメートルという非常に細いX線の光を当てることで、非常に小さな触媒の粒の構造もわかるようになってきた。

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「触媒は"魔法の石"なんて言われることもあるけれど、本当はちゃんと分子が反応している。その様子を知りたいというのは、すごく純粋な興味です」。それがどういうふうに働いているのかという、「そのもの自体を理解する」ことができなければ、本当の意味で物質を理解し、つくることは無理だと唯さんは考えている。自分たちが明らかにした反応のしくみが、実際の触媒づくりに使われること、それが唯さんの夢だ。

唯さんは、5年に1回くらいの頻度でテーマをガラッと変える。「一生懸命研究して、ある程度結果が出てきたら、また新しいことを始めないといけないと思う」。しかし、それはとても勇気の要ることだ。これまでと違う発想で新しいことをやるには、自分の専門から一度外に出なければならない。そこは、まったく知識のない「素人」に戻って再スタートを切る、新しいフィールドだ。周りにもいろいろ言われるだろう。「でも、その一歩を踏み出すのは上の人の役割だと思う。現場の人は、半年後、1年後に結果を出さないといけない。新しい場所に向かって進むのは、ここでは私の仕事だと思う」。

5年後あるいは10年後、唯さんがどんな研究テーマに取り組んでいるのかは、きっと誰にも想像がつかない。

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取材を終えて

研究室のドアを開けると、想像していたのとは違う姿の、ショートカットの女性が迎えてくれました。取材前のリサーチで唯先生の取材記事をいくつか拝見していたのですが、どれもがきれいなウェーブのかかったロングヘアだったからです。聞けば、去年の8月に出産されて、その際に短くされたとのこと。「今は日々生きていくのが精一杯で」と本音(?)を少しだけこぼしてくれました。唯先生のお話の中で印象に残ったのは、一緒に研究をしてくれる人に対して、その研究の何がおもしろいのかを示し、理解してもらうことが成果を上げるには重要だと気づいた、ということ。自分の仕事(研究)のおもしろいところや、それを他人に伝える方法について考えることは、どんな場面でも、どんな職業の人にとっても大切なことなのではないでしょうか。
(取材・文 株式会社リバネス 2015年3月2日取材)