科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

行きたい道を行く、
やりたいことをやる
(2)  

杉本 亜砂子
東北大学 大学院生命科学研究科
生命機能科学専攻 発生ダイナミクス分野 教授

杉本 亜砂子さん

研究室の立ち上げから始まった、
濃密な研究経験

第1 志望だったジュディス・キンブル氏の研究室は、いわゆるビッグラボだった。対してジョエル・ロスマン氏は、これからラボを立ち上げるいわば無名の人。留学はキャリアに箔をつけに行くものだろう、無名のラボにわざわざ行く意味があるのか。リスクが高いんじゃないか。成果は出るのか。当時、周りの先輩たちが懸念する声も聞こえてきたが、杉本さんの意思は変わらなかった。

「実際、その選択は今となっても間違っていなかった、むしろ成功だったと思っています」。ビックラボでは、ひとつの研究テーマを分担しながら実験を進めることも多く、ボスも忙しくて直接ディスカッションする時間がなかなか取れないこともある。一方で、ジョエル・ロスマン氏の研究室は、大学院生2人とテクニシャン1人、杉本さんが初めてのポスドクで、研究室の中もガラガラ。本当に何もないところから研究を始めることになった。自ら研究室を立ち上げる際に必ず伴う苦労を、先に味わうことができたわけだ。この経験は、日本でセンチュウの研究グループを立ち上げる際にも活きたという。

また、実験スキルを習得する際にも、胚発生の過程で生じる558個の細胞のひとつひとつの見分け方などを手取り足取り教えてもらい、ことあるごとに時間をかけてしっかりとディスカッションすることができた。彼から直接教えてもらった知識や技術は、大きな財産になったと杉本さんは話す。

留学中、彼女の一番大きな仕事となったのは、p35と呼ばれるタンパク質に関する研究だ。もともと昆虫に感染するバキュロウイルスがもつもので、感染した細胞の自死(アポトーシス)を妨げる働きをもっていた。これをセンチュウに発現させたところ、同様に細胞死を抑えることができたのだ。このことは、線形動物であるセンチュウと節足動物である昆虫との間で、共通のメカニズムがあることを示唆する。さらには、ヒトを含む哺乳動物にも共通かもしれない、という考えにまで発展させることができる。「アポトーシスのメカニズムがわかり始めたばかりの頃だったので、哺乳動物の研究者は、センチュウと同じしくみだなんて、思いもしていなかったんです」。その後、p35はさまざまな生物種でアポトーシスの阻害因子として活用されるようになり、アポトーシスの研究の盛り上がりに貢献した。

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細胞の分裂中の様子を捉えた顕微鏡画像。細胞内で起こっている現象を解き明かす。

いつだって、
自分の興味を第一に

留学の最後の年、センチュウ研究のコミュニティではRNAiと呼ばれる現象が噂になっていた。短いRNAを細胞に導入することで、狙った遺伝子の発現を抑えることができるというものだ。有用性が高いために積極的に用いられていたが、他の分野の研究者からは、センチュウだけでしか起こらない妙な現象であるとか、原理がわからないので信頼性が低いなどと揶揄されていた。

帰国して、学生時代に師事した山本教授のもとに戻った杉本さんは、RNAiの有用性を重視して、減数分裂や生殖細胞形成に必要な遺伝子の探索に使おうと考えた。そして、RNAの溶液にセンチュウを浸すだけ、という簡単な操作で遺伝子の発現を抑制できる方法を確立し、網羅的に遺伝子の機能を調べ ることを可能にした。

この現象が生物に普遍的であることが広く知られるようになるには、2〜3年の年月が必要だった。そのため、研究を始めた当初は、周りの研究者には意義を理解してもらえないこともあったが、杉本さんは着実に実験を進め、成果が出る頃には周囲の理解も追いつくようになった。「他の人からの評価は、私は基本的にあまり気にならない。でも、自分の好きなこと、嫌いなことっていうのはすごくはっきりしているんです」。好きだと思うことでなければ続かないしアイデアも浮かばないと話す杉本さんは、いつでも自分の興味に従って道を選んできた。

そんな杉本さんが今、興味をもっているのは、細胞内で起こる生命現象がどのように進化してきたかを調べることだ。2013年頃、広く使われているモデル生物以外でも自由自在に遺伝子配列を改変できる、CRISPR-Cas9システムと呼ばれるゲノム編集技術が誕生したことで、それまでは机上論でしかなかった進化を、実験的に調べられるようになった。

進化は、ある生物個体の細胞分裂や生殖の際に遺伝子配列が変化し、それが広まっていくことで起こると考えられている。ゲノム編集によって遺伝子を改変し、それによって引き起こされる生命現象の変化を調べることで、進化の過程を推測できるのだ。「塩基配列の変化が細胞の内部の現象の変化を引き起こします。それがさらに細胞のかたちや役割、動き方にどういう影響をおよぼすのか、さらには個体レベルでのどのような変化につながるのかを調べていきたいと思っています」。

東北大学に移ってから、周囲に生態学を専門とする研究者が増えた。遺伝子操作というミクロなレベルでの研究と、生物集団を相手にする生態学とでは接点が少ないようにも思えるが、「話してみると、環境の変化が生物に与える影響を遺伝子レベルで調べるなど共通の議論ができそうなんです」。将来的には、そうした方向性の研究もできればと考えている。

新しい技術や視点を次々と取り入れて研究を進めていく姿勢の根底にあるのは、研究テーマへの愛着だ。自分の興味に従って選んだからこそ、その時点での常識など気に留めず、道を切り拓いていける。

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研究室で学生たちの実験の様子を見守る。研究室は和やかな雰囲気。

【PDF版】 (4.1MB)

取材を終えて

まだ新しい研究棟の中に入って最初に驚いたのが、研究室の壁が全面ガラス張りだったこと。廊下から実験室の様子を見ることができ、洗練されてとても明るい印象の研究施設でした。学生さんたちのお部屋をのぞかせてもらうと、とても仲がよくて和気あいあいとした雰囲気でした。杉本さんとお話していてひしひしと感じたことは、本当にセンチュウが大好きなのだということ。しっとりと落ち着いて上品な雰囲気の杉本さんでしたが、センチュウの話になると興奮した様子に。本の片隅に描かれたセンチュウのパラパラ漫画やセンチュウうちわなど、センチュウ研究者用グッズをたくさん見せていただきました。研究対象への愛情が研究の原動力なのだと改めて感じました。
(取材・文 株式会社リバネス 2015年2月24日取材)