科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

流されてみる。それもひとつの道 (1)  

塩見 美喜子
東京大学 大学院理学系研究科
生物科学専攻 教授

塩見 美喜子さん

FOCUS POINT

東京大学大学院理学研究科の塩見美喜子さんは、まだ数少ない女性教授のひとり。輝かしい経歴からイメージされるバリバリと働く女性の印象とは異なり、とても柔らかい雰囲気の方だ。落ち着いた声で「私の歩んできた道は特殊だから、みなさんの参考になるかしら」と話してくださった柔軟な生き方には、性別や職業にかかわらず、人生を歩むうえでとても重要なヒントが含まれている。
Mikiko C. Siomi is one of the few female professors at University of Tokyo. At present, she takes lead for piRNA research on life science disciplines. However, she originally did not like biology; she was infl uenced by the circumstances and people who gave her advices. Thereafter, she went to the United States following her husband who was going there to further his studies. She also in the process undertook her master there. However, instead of becoming a housewife, she was employed by her husband’s boss and even continued research to obtain PhD. The big harvest in the United States was to learn that there are versatile and diverse ways to fulfi ll tasks. After returning to Japan, she and her husband set up their own lab to continue research where both of them create an environment promoting mutual discussion. Although she previously thought that they can research together until retirement, each of them managed to get their respective funds to set up independent labs. Dr. Siomi continues to tackle piRNA research with her fl exible style she learnt in her life.

PIECE OF FUTURE

今の塩見 美喜子さんをつくっているもの・こと

  • 日本の常識が存在しないアメリカで、「それ以外のやり方もある」ことを知ったこと
  • 同じラボで、夫婦そろって研究をし、育児をしたこと
  • 初めて独立し、ラボをもつようになったこと

生物が特別に好きだった
わけじゃないけれど

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塩見さんは、30 塩基程度のRNA で生殖に関わる細胞に発現しているpiRNA (Piwi-interacting RNA)研究の第一人者として国内外で注目を集めている研究者だ。トランスポゾンという染色体上を動き回る遺伝子が活性化すると、遺伝子配列の中に入り込む確率が上昇し遺伝子を破壊してしまうが、piRNA はそのトランスポゾンの活性化を抑える役割を果たしている。塩見さんは、ショウジョウバエを用いてpiRNA が生体内で合成されるメカニズムと、トランスポゾンの抑制機構の解明に取り組んできた。2009 年には、この小さなRNA 分子の機能研究に対する貢献を認められ、第一線で活躍する女性の自然科学者に贈られる「猿橋賞」を受賞している。

そんな日本の生命科学研究のリーダーである塩見さんは、驚いたことに大学進学時点では生物学が特に好きだったというわけではないという。高校では理系選択だったが、学部を選択するまでに紆余曲折があった。

最初に候補となったのは工学部だ。「父は一級建築士で建設会社を営んでおり、私が小さい頃から家で図面引いたりしていたんです。それで興味があったんですけど」。父親に相談してみると、当時住んでいた名古屋では「女性が建築家になってもやっていけないぞ」とひと言。それで塩見さんは工学部進学をあきらめてしまった。

次に考えたのは教育学部だった。中学や高校の先生になるのもいいかなと、進学指導の教員に相談したところ、「あなたはなんとなく教員向きではないかもね」といった趣旨のことを言われて、これもやめてしまった。その後、理学部などさんざん迷った結果、仲のよかった友人が希望していた農学部に一緒に行くことにした。

進学したのは実家から通える岐阜大学農学部。一般の人がイメージするような、絶対に生物学の研究者になるぞと熱く燃える若き研究者の姿とは対極の第一歩だったといえるかもしれない。

「こうでなければならない」
なんてことはない

大学では有機合成の研究室に所属。卒業後は、京都大学大学院農学研究科に進学した。修士号を取得後、所属研究室でそのまま2 年ほど研究員として研究を続けていたが、大学時代の先輩であった夫の塩見春彦氏とともに渡米することになった。「夫が1〜2 年間くらい留学したいというので、それもいいかなと思って。その間は専業主婦をして、日本に帰ってきたときに進学したければ進学して、就職したければ就職すればいいと思っていました。何とかなるだろうって軽く考えていましたね」。

留学先はペンシルバニア大学ハワードヒューズ医学研究所。夫についてラボのボスにあいさつに行ったところ、「ミキコ、修士号もっているなら実験できるよね。僕のところで働きなさい」と言われ、なんとその日のうちに雇用が決まってしまった。「これまで、必ずこれをしたいと思って自分で選択してきたことはあまりなくて、結構流されてきているんですよね」と笑う塩見さん。こうして、遠くアメリカの地で、専業主婦の予定が一転、生物学の研究が始まった。それまでの研究と分野は異なるものの、DNAの扱い方や実験のテクニックは大学院の頃の知識が活かせたので困らなかった。一方、もともと堪能だったわけではない英語には苦労した。

しかし、塩見さんの心を最も動かしたのは、日本の大学との違いだった。ラボでは、学生が先生と対等に、ときには学生がボスのデスクに腰かけたままディスカッションをしている様子を見かけることもあった。「もう、カルチャーショックですよ。ちっともシャキっと座っていない。ボスに言いたいことが言えないということがまったくない。遠慮しなくていいんだ、言い方さえ間違わなければ大丈夫なんだということを学びました」。日本と違ったのは、学生の様子だけではない。「ボスの方も、17 時くらいに『今日は疲れてもう何もできないから帰るね』なんて平気で言っちゃうんです。そんな先生、日本では見たことがないでしょう?」。これまで日本で見てきた常識は、アメリカでは関係ない。一歩引いてみれば、「こうでなければならない」ことなんて、実はあまりないのではないかと気づかされたのだという。

さらに、アメリカ留学の最後の年には、出産・育児も経験した。日本では、研究者夫婦が子育てをするのは難しい、出産・育児が女性研究者の研究を遅らせてしまう、といったイメージが浸透している。塩見さんがたった8 〜10 週間の産休後にラボに復帰できたのは、ラボで活躍する女性研究者が同じようにして研究に戻ってくる姿を間近で何人も見ていて、そういうやり方なんだということを、先に知っていたからだ。「国際学会に参加したり留学したりして、世界で活躍する女性研究者を見るといいと思います。日本の常識以外にいろいろなやり方があることを知ってほしいですね」。

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留学先のアメリカのラボにて。切磋琢磨しあった仲間(左)やボス(右)と一緒に。