科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

制がんを目指して、
真摯に研究に取り組み続ける
(2)  

青木 耕史
福井大学 医学部医学科 教授

青木 耕史さん

残された道は、 独立しかなかった

当時所属していたのは医学部で、博士課程は4年次まであったが、青木さんは成果が認められ、3年次終了時点で博士号が認められた。「以前は製薬企業の採用試験を受けようかと考えていましたが、急遽修了が決まってしまったので、それもできませんでした」。論文発表によって気持ちが上向いたこともあり、また研究の途中で、論文にまとめきれないデータも残っていた。教授に進路を問われ、京都大学大学院医学研究科が採択されていたCOEプログラムの予算でポスドクとして雇ってもらうことが決まった。

青木さんの立場が学生から職業としての研究者へと移行したことで、自調自考の精神に拍車がかかった。「ポスドクになって、それまで以上に自分で出した実験データや自分の考えを大切にするようになりました。武藤教授と意見が合わないときに、自分のアイデアを試したいと思うようになったのです」。

そうなると、残された道は2つしかない。別の研究室に移るか、独立するかだ。「その頃の研究テーマに強い興味がありました。他の研究室に移ったり、海外に留学したりすると、研究テーマを続けることができない。それがすごく残念で、かといって当時はまだ31歳。独立なんてとても考えられないし、無理でした」。迷いを抱えたまま、7年間同じラボで実験を続けた。その間にも、新しい課題が見えてくる。 ますます自らが主体となり、研究を展開したいという気持ちが強くなってきた。

第2の転機がやってきたのは2011年8月末。戦略的創造研究推進事業さきがけ「炎症の慢性化機構の解明と制御機構の解明」への採択が決まったのだ。「独立を目的に応募したので、応募書類の作成やヒアリングの発表練習に、自力で取り組みました。それがひとりで書いた初めてのグラント申請書になりました」。

さきがけへの採択が決まったらすぐに募集中の独立ポジションを探し、テニュアトラック普及・定着事業(機関選抜型)に採択されていた福井大学に応募。10月には採用が決まり、11月にはテニュアトラック個人選抜型による支援も決まった。翌年の2012年1月に、福井大学の若手研究者支援プログラムの中、独立ポジションで研究を開始した。

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今も現役で手を動かして実験を進めている。組織切片の作成は得意だ。

甘い世界じゃない。
だからこそ、自らの足で立てる人を育てたい

「さきがけの領域会議には、同じくらいの年齢で大きな規模のラボを主催する研究者も参加していました。一流誌に複数の論文を発表した研究者がほとんどで、実力の差を痛感しました。一方で、高名なアドバイザーの先生方から実験への助言を受けて、研究のレベルアップの必要性を感じました」。そのためにはチームが必要と考えて学内の薬理学領域の教員公募に応募。2014年3月には厳しい選考を経て、教授のポジションを得た。「いろいろな場面で、タイミングがものすごくよかった」と話すが、その背景には目標である創薬への熱い思いが感じられる。「研究の目標を達成するためには、挑戦し続ける。研究テーマを進めるために研究費も取るし、チームや環境も築く。たとえ乗り越えられそうにない困難に直面しても、目標に近づく努力を継続することが、それほど優秀でない僕みたいな研究者には大事だと思います」。

現在は2名の助教と1名のテクニシャン、1名の秘書と一緒に研究室を立ち上げたばかり。青木さんは、自分でも手を動かして実験をしているが、後進を育てる立場でもある。その育成方針はやはり、自ら考え、自ら動けるようにする、というものだ。「自分が大学院生だったときの経験から、毎週のディスカッションを通じて、考えること、議論することを大切にしています。最後は自分自身の力で壁を突破できるかどうか。武藤研で学んだように、難問を自分の力で解くことで研究者としての力が向上したり、個性が育ったりするのではないか」と青木さんは話す。

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青木さんも、諦めそうになったこともあったが、試行錯誤と努力を持続することで、今の独立研究ポジションを与えられた。それでも、これまでの挑戦者としての姿勢のまま、当初の目標に向かって前進続けている。薬理学領域の主任教授になった現在では、教室運営や学部教育など、行うべきことは増えたが、研究にも、それ以外の仕事にも全力で取り組んでいる。依頼があれば経験のない仕事でも、できるだけ引き受けるようにしている。「新しいことにチャレンジできる機会を楽しむことで、新たな発見や感動があるかもしれないですよね」。チャンスの神様には前髪しかない。それを掴むため、いかなるときも心構えをもち続けることが大切なのだ。

最後に青木さんは、現在の研究室を主催できるのも、たくさんの人の支えによるものであることを強調した。武藤教授や入村教授をはじめとする恩師などによる指導、さきがけ領域の研究アドバイザーの助言、研究仲間からの励まし、福井大学の若手研究 者育成プログラム、そして現在の研究室では、教室スタッフがいるから目標に邁進することができる。いずれの出会いでも、人と真摯に向き合うことが、青木さんの目標達成を後押ししているのだろう。

【PDF版】 (5.7MB)

取材を終えて

青木さんは、落ち着いた雰囲気と優しい口調で自らのキャリアを語る人でした。アカデミアの世界でキャリアを築く中で、数多くの苦労も経験してきたと言いながら、すべてはよい経験となって今の自分をかたち作っていると話す様子から、創薬という目的に向かって突き進む強い意志が漏れ伝わってきました。テニュアトラックで独立して3年ということで、失礼ながら小規模のラボを想像してうかがったのですが、実際は分子生物学や病理学の実験機器がずらりと並んでいてびっくり。取材時に通りがかった助教の方とも気さくに話をしていて、この研究チームから生まれるだろう腸疾患に関する新しい研究成果に期待が膨らみました。
(取材・文 株式会社リバネス 2015年2月24日取材)