科学者としての働き方。現場で生きる9人のキャリアモデルファイル

制がんを目指して、
真摯に研究に取り組み続ける
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青木 耕史
福井大学 医学部医学科 教授

青木 耕史さん

FOCUS POINT

東京大学薬学部を卒業後、京都大学大学院医学研究科で博士号を取得、博士研究員を経て同研究科遺伝薬理学教室に助教として採用された。 その2年後、戦略的創造研究推進事業さきがけの採択を受けるとともに、テニュアトラック普及・定着事業を活用して独立し、Principal Investigator(PI)となった。さらに2年後には、38歳の若さで福井大学医学部医学科薬理学領域の教授に就任。経歴だけを見ると誰もが羨む「成功コース」に乗っている青木耕史さんだが、その道は決して平坦なものではなかった。
Dr. Koji Aoki was appointed as a Professor of pharmacology at a young age of 38 in University of Fukui. His research interest, since his undergraduate days, is the study of the mechanisms of intestinal tumorigenesis. During the PhD course, he learned how to design and plan research strategy and has mastered a wide variety of experimental techniques from his mentor Prof. Taketo. He then decided to be a medical science researcher after publishing his PhD thesis in a high impact journal. With a support program from JST, "Improvement of Research Environment for Young Researchers", he started his own laboratory. Now he leads a research group that aims to identify molecular drug targets to kill colon cancer stem cells via unraveling the mechanisms that control steaminess of these cells.

PIECE OF FUTURE

今の青木 耕史さんをつくっているもの・こと

  • 研究のインパクトを信じて、投稿する論文誌のレベルを落とさず、受理されたこと
  • 独立するための予算を獲得し、採択を受けたらすぐにポジションを探したこと
  • 優秀な研究者が集まる場に参加する、積極的に仕事を受けるなど、新しい刺激を受け続けたこと
  • 難しいことにこそ挑戦して、楽しむことを忘れずに継続すること
  • 研究は人と人とのつながりの中で進められることを意識すること

創薬を目標に、腸疾患のメカニズムを追う

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「とにかく治療薬の標的を見つけて、疾患の治療に貢献する基礎研究をしたい」。大腸がんや炎症性腸疾患に共通する分子メカニズムの研究を進める青木さんは、そう力強く話す。まだ39歳という若さだが、「こういう研究者になりたいとか、研究室を大きくしたいとかは、特に考えていません」と言い、ただ成果をもって社会に貢献することを目指している。

研究の世界に足を踏み入れたのは、学部2年生の後半。生命現象の中でも細胞の増殖制御や、その異常によるがんに強い興味をもち、3つの研究室で勉強をさせてもらった。お世話になったのは、入村達郎教授、堀越雅美准教授と武藤誠教授のラボだ。「入村先生のところでは、メラノーマ細胞をマウス尾静脈から注射して、肝臓や肺に転移するという実験を行って、がん研究に対する強烈なインパクトを受けたのを覚えています。堀越研では、上田泰己氏(現・東京大学教授)や木村暁氏(現・国立遺伝学研究所准教授)などの、卓越して優秀な学生がいることを目の当たりにしました」。一方で、がん遺伝子やがん抑制遺伝子への興味が強かった青木さんは、4年生の卒業研究には、遺伝子変異マウスを用いて大腸がんの研究を進めていた武藤教授のラボを選択した。その後、福井大学で独立するまでの13年間にわたって所属した武藤研のラボ選択について、「今は感謝しかありません。ただ当時は、楽しいけれどつらいことも多かった」と語り始めた。

学生時代から 「自調自考」を実践した

とにかく教育的指導が厳しくも優れている。武藤教授はそういう人だった。研究課題の大枠を示して、その課題をどうブレイクダウンするかは、スタッフや学生の能力に合わせる。研究戦略に一切の妥協はなく、徹底した実験の遂行が不可欠となる。そこで、課題解明のために、青木さんは博士課程に入る頃から教授と1対1のディスカッションを繰り返して研究を進めた。「多くのラボでは、助教など教室スタッフの指導を受けながら研究を進めていると思うんですよね。一方で、武藤先生は細かい指示をせずに、私を信頼して任せてくれたので、可能な限り自分で研究計画を立てて、実験を進めるように努力しました」。

研究室全体のミーティングでの進捗報告は、2か月に1回。その機会だけでは充分な議論を重ねることができない。そこで、2週間に1回程度は、メールでアポイントメントを取り、実験データを示して、今後の研究方針について武藤教授とディスカッションを行った。「大学院生のときは、いつも夜中の2時とか、きついときは夜明けまで実験して、朝10時ぐらいにはまた来て、という生活でした」。誰かに頼るよりも、自分で試行錯誤することが楽しくてがんばれた。学生の頃からオリジナリティーを追求して研究を続けたことが、結果的には後に独立していくための基礎になったと話す。

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学生の頃から13年間お世話になった、武藤教授の研究室メンバー。

その一方で、「自分は研究者としてはやっていけない」とも考えたという。博士課程1年のとき、それまでの研究をまとめて『Cell』に投稿した。結果はエディターによるリジェクト。学位の取得を優先して論文のランクを下げたいと思ったが、武藤教授は実験を追加してもう1回『Cell』に出そうと言う。1年間努力し、コメントに応えるデータを出して再度投稿したが、またリジェクトされた。リジェクトを繰り返す中、上田泰己氏や木村暁氏のような優秀な人たちの活躍を論文などで知り、「自分なんかがこの世界で生きていくのはとても無理だ」という思いがあった。

転機となったのは、2回目のリジェクトの後のことだ。次にどうするかについて、武藤教授は迷われていた。そこで青木さんは、いろいろな雑誌を見て、『Nature Genetics』に出しましょうと提案した。それほど下がっていないハードルに、厳しいのではないかとも言われたが、さらに実験を追加して博士課程3年の6月に投稿。すると、予想もしていなかったほどスムーズに、10月には受理されたのだ。「最初に『Cell』に蹴られた後、1年間必死に実験を行ったことが論文掲載というかたちで認められて、研究を続けてもいいんじゃないかという気持ちを少しもてるようになりました」。